“人と人”との繋がり、そして自分に与えられた使命を実直に[後編]

【写真】大塚化学株式会社 松茂工場長[同社元インドネシア現地法人社長] 野水 誠也さんS63年度1次隊 ガーナ 理科教師
大塚化学株式会社 松茂工場長[同社元インドネシア現地法人社長] 野水 誠也さん

徳島県の代表的グローバル企業である大塚化学株式会社に勤務され、10年以上、インドネシアの同社現地法人に赴任された経験を持つ野水さん。後編では冒険に明け暮れた学生時代から、青年海外協力隊に参加するきっかけ、そして2年間のガーナ生活を通じて、野水さんが得たものについて伺います。

野水さんが海外に興味を持たれたきっかけは?初めての海外経験は?

岡山の洞窟で

私は、学生時代に、あまり聞き慣れないと思いますが、ケイビング・クラブという洞窟専門の探検サークルに入り、北は岩手から南は沖縄まで日本国内を飛び回っていました。沖縄県に、素晴らしい洞窟があると聞けば、沖縄本島から船で17時間。断崖に囲まれたその島へは、船からクレーンでつり上げられて上陸するという南大東島まで行きました。また、山口県の高低差日本一と言われる縦穴洞窟では、80メートルの縦穴をザイル一本で降りるなどの探検をしていました。

当時、このような貴重な経験をしたことで、少しはケイビングに自分なりの自信を持っていました。そのような時期に、関東に所在する大学のケイビング・クラブや探検部の学生が集まり、フィリピンへ洞窟探検に行く計画があると言う話しを聞いたのです。地方の大学にいた私にしてみれば海外に探検に行くなどと考えたこともなかったものですから、「井の中の蛙」であったことを思い知らされるとともに、彼らの視野の広さに驚かされました。
そして、自分と同年代の彼らが、何を考え、何を目指しているのだろうと思い、私も負けまいと参加の意向を伝えたところ、先方から快諾の返事があり、全日本学生連合海外洞窟探検隊(私が参加するまでは関東学生連合と称していたようですが・・・)に1983年春、1ヶ月間参加することとなりました。

学校の休みを利用しての探検隊(右から2番目)

赴任先の全寮制の男子高校での化学の授業

それまでに海外へは、日本から一番近いアメリカと言うことでグアム島へ観光に行ったことはありましたが、その時は、これから行くフィリピンがどんなところか全く想像のつかない未知の世界でした。
まず初めにマニラに着いて、ごみごみとした街、クラクションの騒音、排気ガスの異臭、またそこに生活している人々の活気に対し、強いカルチャーショックを受けました。見るものや、そこに生活する人のやっていること全てが珍しいことばかりの連続で、戸惑いながらも、数日間マニラでこれからの洞窟探検の為の食料などの調達を行いました。

その後、ルソン島北部の都市バギオへ移動しましたが、ここはライス・テラスが有名な観光地で、そんな段々畑の広がる田舎の風景が、日本の昔の風景を彷彿させるものだったのでマニラの喧噪から逃れほっとさせてくれました。
当時、このバギオがフィリピンの人にとって新婚旅行の憧れの地ということもあり、バギオまでの道は、整備が行き届いていたので順調に(途中バスのクラクションが止まらなくなるハプニングはありましたが・・・)に進んで行くことができました。

しかし、一般に洞窟があるところは人が殆ど訪れない山奥が多いため、案の定そこからの道中は、ガードレールのない片方の路肩が谷底となった険しい山道でした。落ちたら死んでしまうだろうなどと考えながら数時間も車に揺られ、やっと、目的地の洞窟の近い村に到着したのは日が暮れた夜でした。
明かりがほとんどない山奥の小さな村でしたが、十数名の日本人が来たものだから、珍しがって村の子供たちがどこからともなくたくさん集まってきました。壁が隙間だらけのレストランで食事をしていると、その隙間から、私たち一行を見る子供たちの目がいっぱいで、壁からその子らの白目だけがうつり異様な雰囲気でした。
私たちが何を食べるのか何をするのかじっと見られたものですから、その日は落ち着いて食事をするどころではありませんでした。
ところが、この村で洞窟の調査を行っていた数日の間、多くの子供たちと片言の英語で話し、一緒に遊んでいる時の彼らの大きな瞳と屈託のない笑顔が、私には一生の忘れられない出来事となりました。

その後も、何度かバックパッカーとしてフィリピンを初めとして多くの東南アジアの国々を巡りましたが、子供たちの笑顔や途上国の活気に触れるたびに、生きていることの感動と喜びを感じ、それが私を異国の地の虜にしていきました。

青年海外協力隊員にどうして参加しようと思ったのですか?

帰国時、生徒たちと

青年海外協力隊は、私のいとこにケニアOBがいましたので、かなり以前からボランティアとしてアフリカや途上国で働く人がいることは知っていました。しかし、学生時代は、洞窟探検とバックパッカーの生活でしたので自分とは別の世界だと思い、その頃は海外で働くという気持ちは全くありませんでした。

大学を卒業後、しばらくは兵庫県の化学会社に就職して普通の会社員として働いていました。就職した会社は、海外に工場や事務所を持ってはいませんでしたので、仕事で海外に行くことはなかったのですが、休みがある度に有休を取っては海外への放浪の旅を続けていました。当時はまだ、有休を取ることはあまりよしとされていませんでしたので、度々長期に休暇を取る私は、上司にとっては大変煙たい存在だったと思います。

近隣の村で、子供たちと

そんな海外を放浪する会社員生活を続けていたある日、奇しくもケイビング・クラブの後輩が、青年海外協力隊でケニアに行くことになり、再び青年海外協力隊が身近なものとなってきました。そして、ある時、その後輩から手紙があり、理数科教師で赴いていた彼女が、子供たちと一緒に生活している様子の写真や手紙の文面を読んでいるうちに、今まで短期の滞在しか経験したことがなかった私は、長期に海外で生活することはどんな感じなのかを考えるようになり、また羨ましく思うようになりました。

ボランティアという言葉に、果たして私が何をすることが出来るのか、ということはちょっと気がかりではありましたが、長期に海外で生活してみたいと思う気持ちが強くなり、応募することを決意しました。

2年間のガーナでの生活を通じて、野水さんが得たものは何ですか?

ガーナでは、いろんな人に接することが出来ました。ガーナ人だけでなく、日本人、西欧人、中国人、多少の考え方の違いはあるものの、困っている人と助けあう、ともに楽しみ共に生きる、どこに住む人も同じ人間である、ということを強く感じさせられたことと、全てのことが特別なことではなく、相手を認めることが出来るようになったことです。

考え方の違い、価値観の違いを理解することはなかなか出来ませんが、認めることが出来るようになったことにより、今まで理解できない、ということから来る恐怖感が和らぎ、親しみを覚えることが出来るようになり、異国の風習に自分を適応していくことが出来るようになったことだと思います。全てのことを認めることが出来るようになったことが、現在の自分の生きる上での礎となっていると考えています。

また、ガーナに行くまでは、普段の生活においての「常識」を不思議に思うことはなかったのですが、その常識に疑問を感じることが増えたことです。1週間は当然7日なのですが、なぜ1週間は7日なのかなど深く考えたことはありませんでした。
ところが、ガーナでの生活リズムは、3日の人と4日の人がいます。カレンダーにそう書かれているわけではないですが、ガーナでは、市場が3日毎に行われる部族と4日毎に行われる部族がいました。なぜ3日なのか?なぜ4日なのか? 当たり前のことが当たり前でないこと。今の仕事でも生かされていますが、常識と思っていることが常識ではないことを勉強させてもらいました。

ちなみに市場が3日毎に行われるのは、農地で得られた穀物が市場で取引され、穀物を手にいれた人が各自の家でこの穀物を使いお酒を作ります。ガーナは、年中真夏ですので、穀物の発酵がどんどん進み、3日目に丁度良いアルコール濃度のお酒となっていきます。よって、3日目にこの出来たお酒を持って市場で売り、新しい穀物を手に入れる。だから市場は3日ごとに開かれるそうです。4日の部族の人はアルコール度数の高いのを好んだのでしょう。

こういった生活リズムを農耕生活が始まった原始の頃からやっていたのだと思いますが、ヨーロッパでの1週間の生活リズムが全世界に広がり今では当たり前とされています。こういった全てのことに理由はありますが、常識と考えることが正しいのかどうかを考えさせられ、多くのことに疑問を持つようになれたことが大きな収穫でした。

青年海外協力隊で得た経験は、企業における勤務でどう生かせていますか?

常識と思っていることが常識ではないことと考えることは、新しい仕事の発見に繋がります。
インドネシアの会社に勤めている時に、石油化学系の会社では日本人は常識的に石油でボイラーを炊いていました。しかし、当社は、発想の転換を行い現地の石炭をいち早く取り入れ、その後の大幅な原油の値上がりにもびくともせず会社の利益確保に寄与できました。
石炭を採用した時は、近隣の石油化学系の会社の方々から笑いものにされたものですが、今では当たり前のように殆どの会社が石炭を採用しているのを見ますと仕事の面白さを感じます。

また、私は今では、海外のどこの国へでも行き、生活し、そこの国の人と一緒に働くことが出来ると自負していることです。まだまだ日本には海外(特に途上国)へ行くこと、生活することに不安を抱く人が多くいますが、海外に行きすぐにその国の人や生活になじみ仕事が出来るということは、他の人より早く結果を得ることが可能となります。特に、今の若い人には、ぜひ恐れずトライしてもらいたいと思います。

最後に、ちょっとキザですが、自分の流儀を持って仕事が出来る様になったことだと思います。アフリカの人はアフリカの人の優れた能力があり、東南アジアの人は東南アジアの人の優れた能力があります。各人には各人の能力があり、それを最大限に生かせば仕事は必ず成功するはずです。

ガーナで感じました。「どこの国に住む人も同じ人間である」ということ。その思いが、一緒に働く人も同じ人間なのだから、その人を信じ、思いやり、一緒に楽しみ、一緒に喜び、一緒に悲しむ、そしてそれが、自分の仕事を面白くする、ということに通じていくのだと実感しています。
その同じ人間という思いが、各人の能力を最大限に生かし、与えられた仕事を実直にこなしていくことに通じ、これらのことが、今ではガーナや東南アジアの途上国で得た仕事をする上での私の流儀となっています。まだ完全ではありませんが、この様な自分の流儀を持ち得たことが、今の仕事をする上で強く生かされていると思っています。

私の青年海外協力隊でのアフリカ生活は、フィリピンの子供たちの笑顔から導かれ、楽しく生きること、共に生きることを教えてくれました。そのことは、仕事だけでなく自分の人生に大きく影響を与えてくれた大変貴重な経験でした。