現地の人とともに街の発展を願いながら−ナミビアのスラムにて−[後編]

【写真】田村 嘉平さん(高知県出身)H22年度1次隊 ナミビア 土木
田村 嘉平さん(高知県出身)

建設会社での経験を生かし、アフリカ・ナミビアに派遣され、現地のスラム地区でインフラサービスの向上プロジェクトに携わった田村さん。日本人にはなじみの薄いナミビアという国で、現地の人と共に街の発展を願いながら活動したお話をお伺いしました。

現地での活動はどういったことをされていましたか?

請負業者と現地スラム作業員の工事開始記念写真

私の活動内容は、地方役所に土木技術者として勤務して全般の技術指導をする事と、街はずれにある非公式居住区、いわゆるスラムの区画整理をしてインフラを整備する事でした。スラムの家屋はトタンを組み合わせただけのとてもシンプルな家屋がほとんどですが、彼らにとっては多くの家族が住む大切な家。知らない国の知らない文化を持つ人々との交渉は大変でした。この区画整理がこれからのスラムの発展と将来の基盤となるので責任重大です。

このスラムはDonkerhoek(ドングルホエク、暗い地区の意)と呼ばれる地区で、2003年に一部に電気・上水道が設置されましたが最低限度の不十分なものでした。現在、ナミビア政府は2030年指標という2030年までに各分野において先進国に負けない水準に追いつこうという政策を掲げています。この指標に基づき、ナミビア各地で街周辺にあるスラムの区画整理が行われています。これは土地と所有者を正式に国に登録し、道路・水道・電気・下水といった基本的なインフラサービスを一般地区と同じレベルまで段階的に引き上げていこうというプロジェクトで、私の活動ではその初期段階に携わりました。

前任者が計画図を作ってくれていたので、それを基に測量を行って区画割りを行い、スラム地区の住民リストを作成、住民と根気よく交渉を行って家の移設を実施、新しい道路と上水道の設置を行いました。

とはいっても現場はアフリカ、なかなかうまくは進みません。一緒に働いた同僚の意識も高く、測量の技術を覚えながら順調に測量、家の移設に伴う補償の準備を終えましたが、(違法居住区ですがナミビア独立前から居住していることからその権利が認められています)予算の母体となる中央省庁との政治的な理由で予算が突如下りなくなったり、役所内部の問題で役所の機能が停止してしまったりと問題が多発。
他の街のプロジェクトを視察したり、中央省庁に情報収集しに行ったり、根気よくスラムを訪れて住民と話す事でプロジェクトの理解を得る事が出来、移設に至りました。

発展を願う現地の人々

ナミビアの失業率は50%、スラムにおいては70%を超えます。若者は仕事探しにいつも苦労していますが、シェアの文化でお互いを助け合いながら、毎日を明るく過ごしています。そこにスラムで暮らしているという悲壮感はありません。

区画整理に目途が付き、上水道の工事が行われた時、スラムの住民が作業員として優先的に雇われました。正直、少し心配だったのですが、そんな心配もよそに役所・業者・スラムの作業員が一体となって凄まじい早さで仕事を完成させました。一般にアフリカというと怠惰なイメージがありますが、そのイメージを一新し、極度の乾燥地帯で汗をたらしながら懸命に働くその姿にスラムの希望を垣間見たような気がします。

郷に入るという事

同僚との週末旅行(写真には6民族います)

叫び「オレはBigになる!」

私が住んでいた街は人口1万人程度の小さな街で、街全体が家族のような街でした。同じものを食べ、共に働き、喜怒哀楽を共にすることで私もその家族の一員として過ごす事が出来たように思います。

その厳しい生活環境からでしょうか、現地の人は困っている人を見たら絶対に見過ごしません。自分にできる事が何かないか必ず探します。道端に故障車があれば必ず停まって修理を手伝いますし、私が現場で言葉が通じず困っていたら誰かが来て通訳してくれたり、雨季になり庭が草でいっぱいになれば馬に食べさせてきれいにしてくれたり、肉も食べきれないくらいおすそ分けをもらったり、同僚にも数えきれないくらいお世話になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。

アフリカの地方の役場ですが、地元の人と共に街の発展を願いながら活動したこの2年間は本当にかけがえのない経験になりました。最後になりましたが、地球の反対側から、この小さな街の平和と発展を願っています。