タンザニアで出会ったKaribuな人々[後編]

【写真】村上 野志夫さん(高知県出身)H22年度3次隊/タンザニア/理学療法士
村上 野志夫さん(高知県出身)

キリマンジャロ山

スワヒリ語の「Karibu」は、「ようこそ」「どうぞ」「どういたしまして」という多様な意味を持つ言葉です。後編では、タンザニアで出会った「Karibu」精神にあふれた人々と現地での活動、そして2年間の活動を終えたいま、この経験を少しでも多くの人に伝えたいという思いについて語っていただきました。

一年目の中間報告会

子どものリハビリ

中間報告会

僕の活動は、外来、入院患者さんへの理学療法の提供が主です。また同僚との知識の共有や、業務内容の改善を行っていくことも目的の一つです。
最初の一年は自分が仕事に慣れること、患者さんとしっかりコミュニケーションを取ることを目標にやってきました。医療事情や生活状況の違うこの国では、マンパワーとして働くこともなかなか難しいと感じることが多かったように思います。スワヒリ語に慣れてきたことと、タンザニアの医療・生活状況(これについては別の機会に紹介したいと思います)について少しずつ分かってきたこともあってか、後半はようやく活動に慣れたように感じています。

2011年12月にはJICAタンザニア事務所にて、僕たち平成22年度3次隊の中間報告会がありました。一年の活動を振り返り、今後の活動について話し合いました。皆それぞれの悩みがあり、その中でも色々な工夫をして、頑張っている状況が分かり、大いに刺激を受けました。また自分の活動を客観的に見直す良い機会となりました。

タンザニアで出会った人々:NUSURA

2年間のタンザニア生活で、様々な人々と出会いました。皆さんのイメージされるタンザニアは、危険?貧困?動物?陽気な人々?いろいろあると思います。私が見てきたのは、日本と確実に違う環境で普通に暮らす人々の生活でした。ここで、私が出会った人たちについて、少し紹介をします。
 
 

Nusura一家

Nusuraの家庭訪問

Nusuraは24歳の女の子。2年前の転落事故で脊髄損傷となり、歩くことができません。私が初めて出会ったのは2011年の4月のこと。他病院から転院をしてきて、その後しばらくドドマ州立病院に入院し、リハビリをしていました。退院後も定期的にリハビリに通い、車いすで移動ができるまでになり、しばらくして彼女はリハビリに通うことを止めました。希望を捨ててしまったのか、もしくはお金がなかったのかもしれません。というのも病院までのタクシー代や理学療法代を払い続けることは生活を圧迫するからです。

その後活動をする中で、彼女の生活が気になった私は、半年後に彼女の家を訪ねました。屋内での生活は自立し、家事などは自分でできるようになっていましたが、ほとんど家の中に引きこもりの状態でした。家の周りの道路は未舗装路で、車いすで自由に出ていくことはできません。家族もNusura自身も今後どうしたらいいのか分からない・・・。という状態でした。でもやっぱり何かしたいとの希望が聞かれたため、障害者支援のNGOを一緒に訪問しました。その後、彼女は脊髄損傷の人々やNGOスタッフとの繋がりができ、少しずつ外に出ることが増えてきています。

タンザニアで出会った人々:Mama Wiliam

Mama Wiliam&Wiliam

Mama WiliamはWiliamという1才3カ月の脳性麻痺児のお母さんです。彼女は子供をあやすのがとても上手です。いつも素晴らしい歌声と笑顔でWiliamに愛情を注いでいます。家からバス停までは歩いて約30分。バス停から病院まではバスで約30分です。家には電気もガスも水道もありません。旦那さんはドドマから遠く離れた町で学校の先生をしており、Mama Wiliamは上の子供(7歳)とWiliam、そして夫の祖母との4人で暮らしています。

タンザニアで子供(5歳未満)のリハビリは無料ですが、往復のバス代はかかるし、家での家事もたくさんあります。普段は畑仕事をし、内職ではミシンを踏んで生計を立てています。週に1回のリハビリでも、負担は小さくありません。しかし、彼女はいつも子供のことを想い、一生懸命も頑張っています。リハビリに来るママ達は皆一生懸命に子供のことを想って頑張っています。そんなママ達の頑張りに、いつも励まされていたのは、私自身でした。

タンザニアで出会った人々:Leah&Saidy&Helena

Leah&Saidy&Helena

Leahは私の家の隣に住む看護師さん。私の母親のような存在でした。彼女は2人の子供たちと一緒に暮らしています。上の子供(Saidy)は大学生、下の子供(Helena)は高校2年生。旦那さんは若い時に亡くなられたそうです。出身はムベヤというドドマの南西約600kmのところのため、近所には親戚やほかの家族もいません。私が家に行くといつも「Karibu(ようこそ)」と言って迎えてくれて、ウガリをごちそうしてくれます。

そんな彼女は子供を学校に通わせるため、2つの病院で働いています。忙しいときには、病院で1週間連続夜勤、そして昼からはクリニックで働く。そんな毎日です。それでも毎日笑顔を絶やさず、一生懸命働き、子供たちを食べさせて、私のこともなにかと気にかけてくれます。とても優しく、愛に満ち溢れた人です。最後は泣きながら私を送り出してくれました。

タンザニアで出会った人々:Wilson

Wilson

絵描きのWilsonは耳が聞こえません。そんな彼は手話と豊かな表情で私に話しかけてきます。13歳のころマラリアを患い、その後遺症で耳が聞こえなくなったとのことでした。タンザニアにはマラリアで耳が聞こえなくなった人が大勢いるようです。彼は絵を描いたり、アクセサリーを売ったりして生計を立てています。妻と子供(2才半)もいて、一家の大黒柱として休日返上で働いています。

2年間の活動をふりかえって

脳卒中患者さんのリハビリ

理学療法科チーム

2年間のボランティア活動を通して考えていたのは、「これから先に繋がる活動とは何か?」という事でした。いつかは終わりのくるボランティア活動ならば、それが終わったその先を見据えて行動する必要があると思っていたからです。

しかし最初は思ったように仕事はできませんでした。とにかく言葉が理解できないし、タンザニアの医療状況や患者さんの状態などは分からないことだらけでした。また医療マネジメントも不十分に感じることが多くありました。とにかく患者さんや同僚と話をすることを心がけ、確実に仕事をして、環境に慣れる努力をしました。徐々に自分のやるべきことが見えてくるとともに、問題点の改善に向けて取り組むことができ、患者さんの対応も少しずつ上手くできるようになってきたと思います。

そして最後には理学療法科内で良いチームワークができました。形として残ったものは、受付システムや理学療法室の環境整備、リハビリ物品の作成、NGOとの関わり、スワヒリ語ラジオ体操など。そして見えないカタチとして残ったのは、3人の同僚たちが日本人と2年間働いた経験なのかもしれません。

私の後任に、3代目の日本人理学療法士ボランティアが配属されていますが、彼が日本人と働いた経験を持つ理学療法士たちとチームを組むことで、更に今後に繋がるものを残してくれることを期待しています。そしていつの日か、日本人ボランティアや海外の支援がない状態で、タンザニアの医療が未来へと繋がっていく。そんな日がくることを願っています。

少しでも多くの人に伝えたいこと

サファリの象の群れ

サファリのサンセット

この2年間の経験を通して、自分自身の様々な感情や考えと向き合うことができました。たくさんの人々との出会い、日本とは違う文化・環境の中で働くことで、様々な物事を受け入れられるようになり、多角的にとらえようとする視点を持つことができたのは、本当に素晴らしい経験となりました。

また自分の経験や、タンザニアのことについて、少しでも多くの人に伝えたいと思います。
2年間、このような貴重な経験をさせて頂きましたことを本当に感謝しております。ありがとうございました。