(高知)県内3大学連携講座「戦後の高知からブラジルへの移住~16ミリフィルム「南米に生きる」を通して~」

2022年2月10日

「JICAと南米との繋がり」
JICAの歴史や日系社会支援事業を説明するJICA高知デスク廣瀬さん

「県と南米との関係」
高知県人会との繋がりを説明する高知県国際交流課吉良さん

 昨年11月末、1960年代の日本からの移住の記録を収めた16ミリフィルム「南米に生きる」が、高知県国際交流課で見つかりました。
 この貴重な映像を基に、高知県の南米への移住の歴史と絆、JICAの中南米への日系社会支援事業を知ってもらうことを目的とした講座を、高知県や県内3大学(高知大学、高知県立大学、高知工科大学)と連携して開催し、2日間で合計166名に参加いただきました。

 この講座では、講師に大阪大学大学院で高知からブラジルへの移住について研究している日系社会青年海外協力隊OV 村中 大樹さん(2016年度1次隊/派遣国:ブラジル/職種:社会学・文化人類学)を迎え、移住の歴史やフィルム「南米に生きる」の映像を解説してもらいました。

 「南米に生きる」は、1968年に全国拓植農業協同組合連合会がアルゼンチン、パラグアイ、ブラジルを訪問した第13次調査団(高知県、香川県、青森県、熊本県など10県が参加)を高知放送が撮影したもので、塩害やあられ被害などの現地の農業の実情や、適地適作を求め試行錯誤を繰り返す日本人移住者の当時の生活や苦労が伺えました。


 

参加者アンケートより抜粋

講師の村中さんより「移住の歴史」について説明後、「南米に生きる」上映中

●幕末期〜戦後すぐの日本人や土佐の人は逞しい人が多いなと感じさせられる。社会に変化を起すという事だけ見れば土佐という国は元々素養を何らか含んでいたのでは無いかと考える。

●私は高知県生まれで高知県で育ったのですが南米海外県人会との交流というものがあるのは初めて知りました。また、高知県民が南米に渡り、日系社会の一部分を構成していてこれらのつながりをJICA事業が支えているということが分かりました。

●戦後の高知県と南米の日系社会のつながりについて深く学ぶことができた。全国的にも多くの「高知県人」がパラグアイなど南米へ渡り、日系社会の一部を構成していたこと、県・市町村・農協が先導し、移民を送り出そうとする動きがあったこと、1960年代以降、移民熱がなくなる中で移民事業がなくなったことなどさまざまな学びがあった。それによるJICA事業(JICA海外協力隊)を知ることに繋がった。JICA事業についてはもともと少し興味があったので、より興味深い講義となった。

●南米への移住の目的の一つが農村の人口過多というのにまず驚きました。今では、地方活性化が叫ばれていますがその反対の理由でこの移住プロジェクトが開始されたというのはその時の社会を反映していて面白いと思いました。また、移住先では農業を営んでいたというのは初めて知りました。そもそも、ブラジルという国の成り立ちを全く知らなかったので、ブラジルには比較的最近の開拓によってできた都市があるということを知り、驚いたとともに、日系人の方がその中にいたことからブラジルに対して少し親近感がわきました。また、農業においては、一部の農作物でブラジルの輸出量の約8割を日系人が生産するという、私の予想をはるかに上回るような功績があり驚きました。