生命の水を守る水道ウーマン

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日本研修帰国職員とセミナー発表用の資料を作っている。右が山本専門員(カンボジア)

水道業界で女性技術者が活躍する道を切り開き、40歳で国際協力を志した山本敬子専門員。男まさりなイメージの経歴に反して、穏やかな笑顔で出迎え、インタビュー中は終始朗らかな笑い声で場を和ませた。専門員とは、現地のニーズを素早くキャッチして開発のための調査を行い支援に結び付ける、いわばプロジェクトのパイプ役でもある。開発支援だけではなく人の気持ちを汲み、人と人とを繋げる仕事。今後もこれまで構築したネットワークを生かして共有していくのが目標という。プロジェクトの成果は技術や情報のみならず、喜びや感動も共有していくのに違いない。

―千葉県の水道局に長くお勤めだったと伺っていますが、それまでの経緯など教えていただけますか?

大学の工学部で衛生工学を選択し、上下水道の水処理技術について学びました。女性がなかなか社会で活躍できない時代でしたが、子どものころから男性と同じ土俵で働ける環境を望んでいました。当時の就職状況は女性にとって非常に厳しいものでしたが、ちょうどその頃、東京のベッドタウンとして急速に開発が進み、多数の技術者を必要としていた千葉県の水道局に採用されました。技術分野で女性を採用したのは、私が初めてだったそうです。後に聞いた話ですが、大学側から女性の採用を打診された局長は非常に悩み、そこで働いていた大学の先輩職員に相談したそうです。結果、先輩の肯定的な意見で私は就職することができました。

―国際協力の道に進もうと思ったきっかけは?

水道施設の拡張・整備がひと段落して水道供給が安定し、仕事に余裕がでてきた時、将来のことを考え始めました。その頃、先の大学時代の先輩が水道の専門家としてケニアに2年間派遣されました。帰国後に感想を聞いてみると「人生観が変わった。あなたもぜひ行った方がいい」と勧められて、そこから興味を持ちはじめました。

それから英語の勉強を始めましたが、仕事、家事、3人の子育ての合間では、なかなか集中して勉強できず、また、水道局に務めて20年が経ち一区切りついたと思ったので、思い切って退職して、子どもたちを連れてカナダに語学留学することに決めました。当初は全く英語ができなかったので、子どもたちの就学手続きやビザの取得で非常に苦労しました。窃盗にあったこともあり、大変な思いもしましたが、それらの出来事を経たからこそ、どんなことも乗り越えられる自信に繋がっていったと思います。

−では、帰国後のご経験を教えてください。

知り合いの専門員を通じて、プロジェクト企画調査員としてボリビアに派遣されました。任地は、雄大なアンデス山脈のふもとにあり、人々は親日的で仕事がしやすく、JICA事務所職員に助けられながら「地方地下水開発プロジェクト」を企画しました。私はここで途上国への開発援助について多くを学びました。

専門員になってからは、中央アフリカ共和国、グアテマラ、カンボジアなどアフリカからアジア、中南米とさまざまな国のプロジェクトに携わりました。水は人間の生命に必要不可欠であり、開発の最初にくる重要課題ですから、どの国からも要請が上がってきていました。今でも世界中で11億の人々が汚染された井戸水や処理されない川の水を使い、毎日数キロメートル歩いて水汲みをするという地域もあるのです。

−現地で苦労されたエピソードを一つ教えてください。

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フッ素で汚染された水を飲み足が曲がってしまった子ども(タンザニア)

タンザニアで井戸を掘るというプロジェクトがありました。政府は300本くらいの井戸を期待していましたが調査をしたところ、フッ素汚染がひどく飲める水が出る井戸は10数本しかありませんでした。フッ素で汚染された水を飲むと足の骨が曲ったり、歯がぼろぼろになったりしますが、地方政府の水道技術者はとにかくたくさんの井戸がほしいと言いました。彼はすでに、日本が井戸を掘ってくれると住民に言っていたのです。私はこのときバングラデシュのヒ素汚染を思い出していました。ユニセフ(UNICEF)の援助で掘った水がヒ素汚染されていて、知らずに飲んでいた多くの住民が中毒になり、皮膚がんなどで亡くなったのです。

私は日本の援助でフッ素中毒患者をだしてはならないと思い、彼らを説得しました。協力内容について、相手方と意見が必ずしも一致するわけではないので、その時はとても悩みます。

−専門員の仕事を通じて、やりがいを感じたことは?

カンボジアの首都、プノンペン水道公社の人材育成プロジェクトに関わっていた時、浄水場の運転や電気機械設備の維持管理、水質分析などの技術を日本の専門家たちが幹部職員に教えました。また彼らが来日して研修にも参加して、能力を伸ばしていくのを見ているうちに、日本の研究会などでの発表や、講師育成研修を受講してもらうなど、活動のアイディアが次々と浮かびました。晴れて講師となった人は、部下の職員に教えるために、さらに勉強して知識を蓄えていき、さらに彼らの研修は、地方水道の職員にも行われるようになりました。研修は講義を受けるだけではなく自分たちの経験を語り合い、相談にのる場にもなりました。こうして、カンボジア人同士でのネットワークも構築されていくのは目を見張るものがありました。

−自助努力の成果ですね。

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地元の技術を活用し、低コストの人力による井戸掘削現場(ボリビア)

そうですね。人材育成というのは、技術を伝えることが一番の目的ですが、いかにして相手にやる気を出してもらうかという、気持ちの支援も大切だと感じました。熱心に研修を受けた後は目の輝きが全く違いますし、周りもサポートし合います。そうした人間関係の中で組織が伸びていくことは、すごく大事なことですね。

もうひとつ、カンボジアのプロジェクト後にボリビアのプログラム評価()の仕事に携わる機会がありました。私が最初の国際協力の仕事をした地方地下水開発プロジェクトが発展してプログラムになったのです。久しぶりにボリビアを訪問し、自分が関わった仕事がその後多くの人たちの努力で成功し広がっていくのを見た時には、本当にやりがいを感じました。

−最後に、今後の目標を教えてください。

次の目標はカンボジア国水道人材育成プロジェクトの経験を他の国で生かすことです。すでにネパール、ベトナム、ケニアの調査に参加し、プロジェクト内容を提案しています。

個人的な活動になりますが、元専門家の人たちやカウンターパートたちとプロジェクト後のフォローをするためのネットワーク、WaQuAC−NET(WaterQuality Asian Cooperation Network)という組織を立ち上げました。タイ、ラオス、カンボジア、ベトナムなど、JICAが水道分野人材育成プロジェクトを実施した国を主な対象としています。JICAはたくさんの情報を持っているので、それらのプロジェクト同士を有機的に繋いでいければ、情報の共有にもなるし良い事例を多方面で生かせると思っています。人と人を繋ぎ続けていきたいと思います。

それと、定年退職後は自給自足的な生活がしたいと思っていて、すでに準備を進めています。畑を作っていて、今はソラマメやサヤエンドウがだいぶ大きくなりました。そして、ご近所付き合いができてきたら、町全体に国際協力活動を普及するのが目標です。

(注)より効果的な援助活動を行うために、開発プログラムを対象とした評価を行うこと。

<プロフィール>
山本 敬子
1947年、北海道夕張市生まれ。北海道大学工学部卒業後、千葉県水道局に20年間勤務。退職後、1年間のカナダ語学留学を経て、92年にJICA専門家としてボリビアに赴任。94年には水道部門の技術士を取得。95年より国際協力専門員。共著に『すいどうまんケニアを歩く』、『水道分野国際協力Q&A』、『国際協力専門員』などがある。

広報室 広報デスク 小池和香子