キッズテニス イン モンゴル(2/5ページ)

エネルギー分野:第4火力発電所視察

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この第4火力発電所では、首都ウランバートルで使われる約8割の発電をしているだけでなく、冬にはマイナス40度を下回るこの地域のセントラルヒーティング機能も担っています。発電所から約120度で出される熱水が、市内のアパート暖房の源となっていると聞き、驚きました。そういえば、発電所から何本もの太いパイプが市内に向かって伸びているのが見えましたが、お湯の通り道だったのですね!

現在、シニア海外ボランティアの山崎孚さんが派遣されており、機材整備やマニュアルづくり等、基礎的な知識から専門的なことまで、様々な指導をされていました。山崎さんは退職されるまで、東北電力の技術者だったということで、発電所の技術者からも一目も二目もおかれています。

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私が第4火力発電所を訪問して最も心に残ったのは、「一番苦しい時に真っ先に助けてくれた日本への感謝を決して忘れてはいけない。いつまでも日本に頼らずモンゴル人がもっと頑張るべきだ」と言うのが、この発電所の社長さんの口癖だと教えていただいたことです。無償資金協力により予定されていたボイラー改修を、返済義務の生じる有償資金協力でお願いしたいと、自ら申し出たというエピソードもあるそうです。また、2004年の新潟地震に際し、約1,200人の所員全員が休日出勤し、所員の超過勤務手当ての全額およそ130万円を寄付されたという心温まるお話も伺いました。

JICAと第4火力発電所には、一方的に援助するだけではない関係が築かれていることを実感しました。

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教育分野:97番学校

1970年に設立された97番学校では、現在1年生〜11年生まで、約2,300人もの生徒が勉強しています。モンゴルの義務教育は8年生までですが、ここは「統合学校」と呼ばれ、日本の高校生に当たる子どもたちも生徒対象となっています。

今年3月、新校舎が日本政府の無償資金協力で建設され、授業は2部制(午前の部、午後の部)に分かれて行なわれていました。

ちなみに、モンゴルでは設立された順番に、学校に番号をつけ、その番号がそのまま学校の名前になっています。しかも97番学校の前に96校が存在しているわけでもなく、また廃校となるとその番号が抜けてしまいますから、97番学校の前は40番台、その前は20番台になることもあるということです。

校長先生のお話では、社会主義時代に建設された校舎は老朽化が激しかっただけでなく、生徒の数に対して、圧倒的に教室や椅子・机が不足していたとのこと。3部制で行なわれていた授業では、小学生なのに授業終了時間が夜の7時を過ぎることもあったそうです。2人掛けの椅子に3、4人で座って、机の上にノートを広げることができない子どもたちも多くいました。

校長先生は、新校舎が建設されてからは「授業が2部制でできるようになり、教育環境が大きく改善されたんです」と嬉しそうに話してくれました。

またこの学校は、同じく2007年から開始されたJICAの「子供の発達を支援する指導法改善プロジェクト」のモデル校にもなっており、先生方がJICA専門家の指導を熱心に受けながら、子どもたち中心の教育カリキュラムへの変更に取り組んでいます。

私はこの学校に青年海外協力隊員・体育教師として派遣されている水田恵子さんの活動を視察しました。「道具を使うスポーツだと、道具を持っていない、買うことができない子どもたちが遊べない」ということで、水田隊員が工夫した道具を使わずに体を動かせるゲームやすぐに手に入るもの、例えばビニール袋や空き缶等を使ってできる運動を授業に取り入れていました。

視察中の私に、3年生の子どもたちが披露してくれたダンスがとてもチームワーク良く、上手なのにビックリしましたが、モンゴルではダンスが盛んなスポーツの1つだということでした。その他、バスケットボールや卓球等も人気があるようです。

この水田隊員の教え子たちと一緒に明日「キッズテニス」をします。元気な子どもたちと触れ合うのが、とても楽しみで、待ち遠しい気持ちになりました。

それにしても無償資金協力、技術協力、ボランティアの活動等が連携を持って行われていることにとても興味を覚えました。建物を新しくして教育環境を整えるのもとても大切ですが、その中で教える先生の技術を向上させることにも同時に協力してこそ、のびのびと元気な子どもたちが育つのだと思います。

環境分野:ウランバートル市廃棄物管理計画

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世界中、先進国、途上国に関わらず、環境問題、中でもゴミの問題は深刻です。ウランバートル市でも、特に市場経済化移行後、ゴミ量が圧倒的に増加し、社会問題となりました。

今年3月までJICAは3年間、この課題解決にウランバートル市役所と共に取り組みました。例えば、これまでゴミ処理場に運ばれたゴミは、ただ山のふもとに捨てられているだけでしたが、それを衛生埋め立てに変更し、その方法を技術移転しました。また、ゴミの中からお金に変えられるもの(空き缶やペットボトル等)を拾い売って生活している人々=ウエイストピッカーの生活改善を行なうため、フェアトレードセンターを整備しました。

今回、ウエイストピッカーの人々と会ったとき、彼らが「最初は外人がやって来て、何をするのかと思っていたが、職場の環境が良くなった」「自分たちでできることはやろうということになり、ゴミ処理場見回り隊を作って、自然発火等が起こった時に、小火の段階で消火活動が行えるようになった」「毎月、少しずつお金を出し合って互助会制度を作った」等と話すのを聞きました。中には「人間扱いしてもらえたのは初めてだと感じた」と涙ぐむ人もいました。

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自分たちの生活を自分たちで良くしていく、そのきっかけを作ったのがJICAの協力であったのだと感じました。

また、札幌市、川崎市等、日本の都市の名前が書いてあるゴミ収集車が市内やゴミ処理場を走っていましたが、これは草の根無償資金協力で、日本の地方自治体からウランバートル市に贈られたとのことでした。

草の根無償資金協力のみならず、ここでも私は、さまざまな形態の支援が組み合わされていることを知りました。ウランバートル市役所にシニア海外ボランティアの原義廣さんが配属されていましたが、市の担当者と一緒に、廃棄物関連の市条例の見直し案を検討したり、ゴミ収集車等の資機材整備プランを組み立てたり等、生き生きと活動していました。分別回収や分別後の紙・プラスチックゴミからリサイクル燃料を試作する等、ウランバートル市の取り組みが続いていました。すばらしいプロジェクトだと思います。ぜひ成功するといいですね!!