北澤豪 パレスチナの子供たちに夢を(2006年9月)(1/5ページ)

JICAオフィシャルサポーターでサッカー元日本代表の北澤豪さんは9月28日から10月1日までパレスチナを訪問しました。日本では紛争、テロなどの報道が多く「危険」な印象が一般的なパレスチナ。JICAは中東和平への貢献のひとつとして、パレスチナ自治政府の行政機能強化、経済的自立の達成、人々の生活の向上を支援するための協力を行ってきています。イスラエルとの関係で緊張が続く中、パレスチナの難民・子供たちに希望を与えたいという現地からの強い声に応えてくれた北澤さん。昨年2月のシリアでのパレスチナ難民の子供たちへのサッカー教室や今年2月のパラグアイ・エクアドル訪問に続き、JICAが集中的に協力をしているヨルダン川西岸のジェリコ市で日本・パレスチナの友好親善を目的にしたサッカーイベントに協力してくれました。

アシスタントとして安彦考真さん(高校教員・サッカーコーチ。ブラジルでプロ選手の経験もあります)と北澤さんのマネージャーの篠原明さんが同行してくれました。

9月27日(水)、フランクフルト経由で16時間近くにもなるフライトの後、イスラエルの首都テルアビブの空港に降り立った北澤さん一行は、まず厳しい入国審査に出迎えられました。係官には、長髪でよく日に焼けた顔の一行はいろいろ質問してみたい対象に映ったようです。

JICA事務所を訪問

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事務所での打合せの様子

入国審査からやっと解放された一行は少々疲れた様子。実は日本出発前日の夜には都内でカンボジア支援のためのチャリティー・フットサル・イベントをこなしての長旅なのでした。空港からホテルに入る間もなく市内のJICA事務所に直行。日程説明の後、パレスチナで行っている支援事業のビデオと成瀬猛所長からの説明を受けました。JICAが行っている事業の幅広さと平和構築のための協力の難しさを実感。「何よりも大切なことは心と心のつながり。スポーツ、特にここでも盛んなサッカーは国境も民族の違いも関係なく心がひとつになれる最高の手段。」という所長の言葉に一行は意欲を新たにしました。

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難民の子供の絵に見入る北澤さん

事務所入り口にはパレスチナ難民の子供の描いた絵が架かっています。不安と希望が重なり合うその絵に北澤さんはじっと見入っていました。

日本大使館を表敬

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大使と懇談する北澤さん一行

続いて、事務所から歩いて日本大使館を表敬訪問しました。

鹿取克章大使は2週間前に着任したばかり。ご自身も参加すべく既にサッカーシューズも購入されたとのこと。大使の初のジェリコ訪問がサッカーイベント参戦とは。パレスチナの人々もびっくりでしょう。北澤さんに訪問への感謝の言葉とともに、パレスチナの子供たちに希望を与えてほしいと激励。北澤さんは「期待に沿えるよう努力したい」と力強く応えました。

エルサレムとベツレヘムに立ち寄り、ジェリコ市へ

翌28日(木)、ジェリコまで移動する途中、エルサレムの旧市街とベツレヘムに立ち寄りました。エルサレムでは旧市街やキリストが磔刑にされたゴルゴダの丘を祭る聖墳墓教会、嘆きの壁、ベツレヘムではキリスト聖誕教会を訪ねました。イスラエルとパレスチナの歴史や、聖誕教会では2002年のイスラエル・パレスチナ間の衝突(インティファーダ)の際に銃撃戦があった説明に聞き入り、「これは大変だ…」と複雑な表情。和平達成の困難な道のりに思いをはせながらサッカーを通じて自分ができることを一生懸命考え出そうとしているように見えました。

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旧市街を歩く北澤さん

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エルサレム聖墳墓教会

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ベツレヘム聖誕教会

ベツレヘムからジェリコに至る道は肌色の山の向こうに砂漠が広がるような不思議な光景の中をひたすら下っていきます。

何とジェリコは海抜マイナス350m。世界でも最も低いところにある町、1万年前から人が住んでいた遺跡がある町として知られます。ジェリコの人口は3万人。温暖な気候と半乾燥地とはいえ比較的水に恵まれていることから農業開発や、数多くの文化遺跡が存在するので観光開発の可能性も高く、また、ヨルダンと接しているため、人、物の交流の面からもパレスチナ経済開発の鍵を握っている地域といえます。

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ジェリコまでの途中の風景

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ジェリコ市の全景