終戦67年を迎えてなお、現在も沖縄県では年間800発もの不発弾が発見・処理されている。
2012年3月3日、不発弾問題の認識を国内外で広く共有するため、「不発弾シンポジウム —足もとから考える世界平和—」が沖縄県那覇市で開催された。
同シンポジウムには、2月にカンボジア、ラオス両国を訪問し、地雷や不発弾対策を視察してきたばかりのJICAオフィシャルサポーター、北澤豪さんもスピーカーとして登壇。各国で地雷や不発弾の問題がいかに住民の日常生活に入り込んでいるか、その実態と被害の深刻さを訴えた。
2012年2月、北澤さんは自身5回目のカンボジア訪問で、首都プノンペンと、内戦時に埋設された地雷被害が深刻なバッタンバンの2ヵ所を訪れた。カンボジアの地雷除去を一手に担う政府機関CMAC(カンボジア地雷対策センター)の案内で除去サイトを視察した北澤さんは、「カンボジアは何度も訪れており、個人的にも思い入れの強い国。訪問するたびに開発が進んでいることを実感するが、その背景に日本の支援による地雷除去の推進があることを知り納得した。人命を守る除去活動が、経済の発展にもつながっていることは、CMACとJICAによる協力の成果の表れだと思う」と、この国の変化を肌で感じた様子だった。
JICAは1998年からカンボジアの地雷除去を支援しているが、2006年以降カンボジアの地雷除去スピードがアップした要因の一つとして、日本政府の機材供与による貢献は大きい。2019年までにすべての対人地雷を除去することを目標に掲げ、現在も活動が続いている。
カンボジアに続いて北澤さんが訪れたのは、歴史上、一人当たりもっとも多くの爆撃を受けた国、ラオス。投下された爆弾の総量は推定200万トン超ともいわれ、現在も約8000万発もの不発弾が残存している。これら不発弾は、1975年に終結したベトナム戦争時に、ベトナムに隣接するラオス国境地帯を中心に落とされたものだ。ラオスでは、このような不発弾の爆発事故により年間約300人の被害者を出しているが、被害に遭っても届けがないケースも多く、実際の被害者数はさらに多いと推定される。
また、大量の不発弾の存在が、国のインフラ整備を遅らせ、経済発展の足かせにもなっている。2012年度からは、JICAが、これまでカンボジアで行ってきた地雷処理支援で得た知見や経験を生かして、カンボジアとの南南協力により、ラオスでの不発弾処理支援が実施される予定だ。
政府機関UXO Lao(ラオス不発弾処理プログラム)が実施する除去サイトを訪れた北澤さんは、いたるところに不発弾のマーキングがされている様子を視察。さらに、不発弾による被害者とも面会し、日常生活を営む中で、住民が突然不発弾による被害を被ってしまう現実に大きな衝撃を受けた。ラオスではカンボジア同様、コミュニティや小学校などで不発弾の危険性に関する教育普及に努めているが、それでも被害は起きてしまう。「ラオスの被害がこれほど深刻だとは今回訪問するまでまったく知らなかった。生活の中に、まして住居のすぐ脇にさえ不発弾があるなんて信じられない。不発弾の除去を進めることはもちろん、被害に遭った方たちの心のケアや被害者を支える制度整備も必要だと感じた」と、ショックを隠し切れない様子だった。
さらに、こうした不発弾問題に直面する地域は、ラオスの貧困地帯とも一致する。開発が進められないだけでなく、農地における不発弾除去のために農作業も満足にできない。不発弾と貧困の負のサイクルに陥っているのが現状だ。
カンボジア、ラオスで地雷や不発弾問題をつぶさに見てきた北澤さんは、3月3日、沖縄県那覇市で開催された「不発弾シンポジウム −足もとから考える世界平和−」のパネルトークに登壇し、両国で視察してきたことを発表した。
今回のシンポジウムは、カンボジア、ラオス両国で地雷・不発弾処理に当たる政府機関関係者を招いたワークショップ実施期間中に開催されたもので、沖縄における不発弾分野の知見やリソースの共有、関係者間での協議が行われた。パネルトークは、JICA国際協力専門員の小向絵理氏をファシリテーターに迎え、北澤豪さん、内閣府沖縄総合事務局の松野栄明企画調整官、JICA沖縄国際センターの小幡俊弘所長の3名を迎えて進められた。
沖縄でも不発弾除去サイトを訪れ、処理の様子を視察した北澤さんは、「沖縄の不発弾問題は全国的にはあまり知られていないが、沖縄ではカンボジアやラオスと同様、身近な問題だ。同じ日本人として本土の人たちにも、日本で不発弾の問題が依然として残っていること、同じ問題を抱えた国が外国にもあることを、もっと認識してもらいたい」と訴えた。松野企画調整官からも、かつて戦後の日本も現在のラオスと同じ被害状況にあったことが紹介され、不発弾問題は他人事ではなく、日本も含めた共通の課題であることを再認識させられる内容となった。
また、北澤さんは、カンボジア・ラオス両国で小学校を訪問し、子どもたちとサッカー交流したことも披露。「子どもたちは皆元気にサッカーをしていたが、日本のようにどこでも当たり前にサッカーができるわけではない。常に危険と隣り合わせの生活では安心もできないと感じた」と振り返りつつ、「元サッカー選手であった立場を生かして、スポーツを通じて世界が平和になるように自分にできることをやっていきたい」と、自身の活動への意気込みを語った。