日本とのつながりを感じて−高橋尚子さん「幸せの国」ブータン訪問

2017年2月6日

「ブータン」— この国名を聞いて、何を思い浮べますか? 2011年11月、ブータン国王が王妃とともに来日され、東日本大震災の被災地を訪問された姿を覚えている方も多いでしょう。また国民の「幸福度」を重視する国づくりも世界中で注目を集めています。JICAオフィシャルサポーターの高橋尚子さんが、現代の秘境、「幸せの国」ブータンを訪れました。

ブータンに息づく、『ダショー西岡』の教え −ブータン農業の父は日本人−

ブータンと日本は、昨年2016年に国交30周年を迎えました。しかし両国間の関係はもっと昔に遡ります。1964年、海外技術協力事業団(OTCA・現在のJICA)を通じて、故・西岡京治専門家がブータンに派遣され、ブータンにおける日本の協力が始まりました。既に50年以上が経過しています。

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当時西岡氏と働いた方から話を聞く

当時、ブータンは農業に適した土地が国土の3%しかなく、野菜の種類・生産量が圧倒的に足りず、隣国からの輸入に頼っていました。農地開発と野菜栽培・生産の拡大を課せられた西岡専門家は、現在空港のある町、パロに試験農場を作りました。農業機械も導入されていない当時、ブータンの若者達と鍬で土を耕し、日本から持ってきた種を植え、粘り強く試験栽培を行いました。

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農業プロジェクト専門家の説明を聞く

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パロの農業機械センターを丘から臨む

「よく働く、厳しい方でした。ブータンの農業に本当に多くの時間を割いてくれた人です。多くの野菜、果物、そして農業機械の導入は、全てダショー西岡が始めたことです」。西岡専門家と共に働いた当時はまだ幼さも残る青年で、今は農業省を退職しご家族と過ごされているジャンベ・ドルジさんはそう語ります。「ダショー」とは「優れた人」という意味の最高爵位。西岡専門家の長年に及ぶブータン農業への貢献が認められ、1980年、4代国王より「ダショー」が贈られました。パロの農場から始まった西岡専門家の活動は、ブータン中央、パロから遠く東に離れたシェムガン県にもおよび、多くの地で農業近代化の土台が築かれました。

現在のブータンでも、日本は農業分野での支援を続けています。「農業機械化強化プロジェクトフェーズ2」の技術協力プロジェクトが、西岡専門家が試験農業を開いた地、パロに設立された「農業機械センター」をベースに広がりを見せています。日本の支援が始まって現在までに、ブータンには日本からの農業機械が3,000台以上導入されました。

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ダショー西岡の慰霊碑には今も村人たちがお祈りに

現在プロジェクトでは、農機具を購入できない農民のために、農機貸出システムを整備中です。「機械の消耗部分も、一部はブータン国内で作れるようになりました。これで部品がなくなっても対応できます」。プロジェクトの大石専門家の説明に、ブータン人の技術者たちも誇らしげです。輸入した農業機械の試験運転方法の確立、さらに農機貸出システムのガイドライン作成や貸出後のモニタリングまで、細部に渡る、いわば「日本らしい」技術移転、そして人材育成が進められています。「ブータンの人たちは、長年に及ぶ日本の協力と交流から、日本人、そして日本のやり方を信頼し、日本の技術がブータンにとって役立つことを、よくわかっているのですね」、高橋さんが語りました。

「国内総生産」ではなく「国民総幸福量」を追求する国づくり

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説明されるカルマ・ウラ所長

「70年代にブータンは開国しました。その時に3代国王が、海外との経済的な接触の中で、私たちが今まで大事にしてきたことが失われないよう、守っていくことが必要だと唱えました。その意志は4代国王に引き継がれ、GNH(国民総幸福量)のコンセプトを打ち出し、調査が開始されたのです」。そう語るのは、ブータン王立研究所のカルマ・ウラ所長です。ブータンはこれまでに3回、国民の幸せを可視化するために大規模なGNH全国調査を実施しました。生活水準、教育、健康、ガバナンスといった他国においても国の発展に欠かせない要素に、文化や伝統の尊重、精神的な充実といったブータン独自の要素を加えた9つの分野で、それぞれ指標を設定し調査が行われます。その調査結果から「幸福度を高める」ための政策が検討されます。2015年に行われた調査では、JICAは専門家を派遣し、資金面及び技術面から支援を行いました。調査結果発表の会議には海外の研究者も多く出席し、GNHに対する国際的な注目が集まりました。現在他国でもGNH重視の事例が出てきたとのこと。

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協力隊によって柔道や卓球の指導も行われている

「幸せを構成する要素の一つ、『健康』。それにはスポーツが欠かせません。ブータン人は従来日常生活の中で良く運動してきたといえるでしょう。しかし近代社会では体を動かすことが減りました。特に人口の過半数を占める25歳未満の若者達、彼らがあまりスポーツをしていない。生活習慣病の予防にも、幸せな人生のためにも、スポーツが担う役割は大きいですよ」、毎日のウォーキングを実践しているカルマ・ウラ所長が力強く語ります。「スポーツは規律を守る道徳心、チームワークなども養われ、良い影響ばかり。ぜひ国全体でスポーツを推奨していただきたいです」、高橋さんが答えました。「おっしゃるとおり。そして、スポーツが『動』ならば、自分と向き合う瞑想の『静』の時間も、人間には大事なんですよ」。そう述べたカルマ・ウラ所長。

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「日本に注目している」とカルマ・ウラ所長

日本はとても独特な国です。経済や技術は高く評価され、しかも長寿国。でも精神的には満たされていますか?長時間働いてプライベートの時間がない。未婚の若者が急増。地方では過疎化も進む。せっかく長生きをしても、孤独に死を迎える方も多いと聞きます。日本は、人生の大切な何かを犠牲にしてはいないでしょうか。日本だけの問題ではなく、これからブータンも含め、多くの国が、同じ問題にぶつかるでしょう。そのためにも、これから日本がどのように動くのか、私たちは注目していますよ」。

長距離選手育成に大きなポテンシャル 恵まれた環境のブータン

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冬のブータンは毎日晴天、日中は温かくスポーツに適する

ブータンオリンピック委員会傘下の「ブータンアマチュア陸上連盟」が主催する陸上合宿を視察した高橋さん。冬季休暇を利用し、全国20県から選抜された10代の陸上選手たちが首都ティンプーに集結、1ヶ月間に渡る集中合宿を行っています。

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ブータンアマチュア陸上連盟のコーチ達と

コーチ達との意見交換では、今後さらに種目別に特化した練習が必要であること、また国内での大会や記録会を活性化させ、選手が「走る楽しさ・競う楽しさ」を段階的に感じ、モチベーションを維持出来る機会を増やすことが大事である、と高橋さんが強調しました。そして、「ブータンは首都も2,300mの高地。私たちマラソン選手がトレーニングを行う地域と環境が似ています。真面目で客観的に物事を見ることができるブータン人は、日本人にも似ていて、長距離やマラソン選手への素質が十分にあると思うので、ぜひ長距離選手の育成に注力してほしい」と提言しました。

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未来を担う選手達を激励する高橋さん

グラウンドでは選手たちが集まり、高橋さんを待っていました。「皆さん、『目標』を持ってください。目標を持つと、その達成のために自分が必要なことを一つ一つ考えるようになるからです。まずみんなの中で一番になる。次はこの部分をうまくする。その次はこの部分。そんな気持ちを持ってトレーニングに励んでください。2000年に金メダルをとって、私の人生は変わり、こうやって皆さんにも会えました。皆さんの前にもチャンスが広がっています」。

自分に出来ることはなんなのか?

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伝統的な建築様式が守られた街並み

『幸せの国』と呼ばれるブータンの訪問を楽しみにしていた高橋さん。実際に訪問し、国土の72%が森林という豊かな自然、守られる伝統や文化、穏やかで争いを嫌う国民性、また長距離選手のトレーニングに適した環境も、「とても親しみを感じます。国王や首相を始め、国全体がスポーツを推奨していることを知り、日本のスポーツ分野での更なる協力に期待します」と語りました。JICAの専門家や青年海外協力隊・シニア海外ボランティアの活動を見て、改めて『自分にできることはなんなのか』を考えたと言う高橋さん。「青年海外協力隊の皆さんは、『自分がいなくなった後も、取り組みが続いてほしい』と考えながら活動しているのが印象に残りました。活動する中で、様々な壁にもぶつかるでしょう。でもそこで成長を遂げ、壁を破ることが出来るのも、協力隊。日本では体験できない貴重な機会、人生に大きな影響を与えると思います」と今回の視察を振り返りました。

最後に、高橋さんが農民にした質問です。「生まれ変わったら、何になりたいですか?」質素な身なりの農民の男性は、「生まれ変わっても、また同じ村に同じ人間として生まれたい」と、笑顔で答えました。ブータンという国と人々が、少しわかった気がした瞬間でした。

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協力隊(柔道隊員)の活動も視察

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インタビューに答える農家の男性

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トブゲー首相ともスポーツについて意見を交換