「道路プロジェクトを通じて見たタジキスタン」三田 博司さん vol.1

2019年2月1日

過去に実施済のタジキスタン道路プロジェクトに引き続き「道路災害管理能力向上プロジェクト」(2017年4月~2020年7月)の総括専門家としてタジキスタン運輸省および対象地域の道路管理局の運営面・技術面指導に携わっている三田博司さんに、タジキスタンでの業務や生活体験を通じて考えたことなどについて、お話を伺いました。

高度経済成長期の最中で

-本日はお忙しい中、お時間を頂きありがとうございます。
まずは三田さんご自身のバックグラウンドについて教えていただきたいのですが、どのような経緯で国際協力に携わることになったのですか?

【画像】

三田さん(2018年11月タジキスタン運輸省にて)

私が中高生の頃、日本は高度経済成長期の真ん中で、日本列島改造論の掛け声と共に、日本中の至る所で土木インフラ工事が行われていました。そんな出来事から、土木分野なら将来の就職の選択肢が広がるのではないかと考え、大学では土木工学を専攻することになりました。

大学卒業後はゼネコンの会社に入り、入社後2年間は大阪の市営地下鉄(現在の大阪メトロ)の駅舎工事に携わりました。その後、入社3年目の1979年にイラクのバグダッドでのプロジェクトに参加することになりました。

-入社3年目で海外に行かれたんですね。

はい。中学生の頃、父の仕事の都合でアメリカに住んでおり、英語を話すことができたので、白羽の矢が立ったのだと思います。

このイラクでの業務が私にとって海外での初めてのプロジェクトで、4年間ほど携わることになりました。また同プロジェクトはODAではなく民間国際入札案件で、地下に雨水排水管やポンプ場施設を建造するという工事でした。

フィジーでの経験を通して

-初めてODAのプロジェクトに関わったのはいつ頃でしたか?

ODAのプロジェクトに初めて関わったのは、当時私が34歳であった1987年、南太平洋に浮かぶフィジー共和国で漁港を建設するというプロジェクト「ラウトカ漁港整備計画」でした。この時私はコントラクターの一員として参加し、同国の第一次産業省と二人三脚で仕事をしました。

工事開始から約1年後に漁港が完成し、開港セレモニーが挙行されることになったのですが、その日は漁港が船でいっぱいになり、国立ラジオ局による漁港完成の放送が行われたのを今でも憶えています。

この時、自分が携わるプロジェクトで建設された施設が、翌日からその国の人々に使ってもらえるのを自分の目で見て、肌で感じることができたのが、大変印象的でした。

この体験が私をODA事業に呼び込む素地となりました。

-タジキスタンでの業務はいつから始まったのでしょうか?

【画像】

交通運輸の要であるタジキスタンの道路(ヴァルゾブ郡)

9年前、現在の会社から建設コンサルタントとしてのお誘いを受け転職したのですが、まずベトナムでのODA技術協力プロジェクトの専門家に抜擢されました。そのプロジェクトは国立短期大学の道路建設コースのカリキュラム・教本を見直し、さらに学内土木試験所の試験機材を整備するというものでした。その時の働きぶりが評価されたようで、2013年の後半からは、技術協力「タジキスタン道路維持管理改善プロジェクト」のチームリーダーである総括責任者になりました。

同「道路維持管理改善プロジェクト」は2016年に終了し、現在は、技術協力「タジキスタン道路災害管理能力向上プロジェクト」の総括として、プロジェクトを総合的にマネージメントしています。

初めてタジキスタンに来てから、かれこれもう6年程になりますね。

関連リンク:

タジキスタンは“旧ソ連邦とシルクロード”の国?

-タジキスタンの土を踏む前は、同国について最初はどのようなイメージを持っていましたか?

タジキスタンに来る前まで、中央アジアに対して、「旧ソ連邦の支配下にあった国」で、かつ「シルクロードの歴史ある地域」といった考えをぼんやりと抱いていました。おそらく、多くの日本人の方はせいぜいこのようなイメージを持っているだけではないでしょうか。

タジキスタンでの業務が決まってからこの国について詳しく勉強したのですが、1991年の旧ソ連崩壊による独立後に起こったタジキスタン内戦が、長年にわたって人々の生活にいかに影響を及ぼしているかということについても深く学ぶことができました。

-タジキスタンに長年関わって来られた中で、この国はどう変化したと思いますか?

首都ドゥシャンベの発展ももちろんですが、世界的なIT社会の誕生が劇的な変化をもたらしたと思います。2015年までは、タジキスタンの人々はパソコンをあまり使っていませんでした。しかし、今日では、国内各地の道路管理局(同国運輸省傘下の道路管理を行う地方部局)のほとんどのオフィスでパソコンが導入されており、インターネットも使えるようになっています。

現在タジキスタンでは、多くの人々がスマートフォンを使っています。私が見る限り、スマートフォンは、道理管理局のオフィスでパソコンが導入される前にもう使われていました。日本では、1990年代後半にオフィスにパソコンが導入され、スマートフォンは2010年頃から徐々に使われるようになってきましたが、タジキスタンでは、逆で、2014年頃から多くの市民がスマートフォンを使い始め、パソコンが各部署に割り当てるように導入されたのは2015年になってからと記憶しています。

タジキスタンで目にした日本の記憶

-タジキスタンでの業務中に、現地の人々とどんな交流がありましたか?

前回の「道路維持管理プロジェクト」では、集落内で道路の補修を行うなどの業務をしていたのですが、近隣住民の方々が「うちで昼食を食べてください」「果物がありますから」と声をかけてくれて、ご馳走をふるまってくれたりました。

その時私はご馳走になりながら、昔の日本でも同じようなことがあったなあ、と思い出しました。というのは、日本も戦後は道路が十分に舗装されておらず、家の前で道路を建設している業者の方に対して、その家の人たちが歓待してくれていたんですよね。

道路を作ることで自分たちの生活が便利になるのを感じ、その感謝の気持ちを働く人に伝えるというのは、当時の日本では当たり前のことでしたが、タジキスタンの人々に触れて、かつての日本の良さを思い出しました。

次回は、三田さんが携わるタジキスタンの道路プロジェクトについて詳しくお話を伺います!

関連リンク:

プロフィール

三田 博司さん
大学卒業後、ゼネコン関連の会社に入社し、2010年に建設技研インターナショナルに転職。専門家として様々なODAのプロジェクトに携わっており、タジキスタンでの業務には2013年から6年間従事している。

聞き手
松田 実樹
JICAタジキスタン事務所による大阪大学との連携に基づく学生インターン。
活動期間2018年10月~2019年1月