JICAタイ事務所長池田修一の小論が「タイ国日本人会 クルンテープ誌 2014年8月号掲載」されました。

タイにおける政府開発援助(ODA)の60年

1.政府開発援助のはじまり

1951年のサンフランシスコ講和条約の調印からまだ3年しかたっていない時期に、また1956年に日本が国際連合に加盟することによって国際社会に全面復帰を実現する前に、日本政府は、1954年10月、南アジア及び東南アジアに対する技術援助等を支援する国際的枠組みであるコロンボプランに加盟し、政府ベースの海外技術協力を開始しました。これは、戦後からまだそれほど時間がたっていないこの時期に、日本が、特にアジアでの信頼を回復し、国際社会に復帰するために、どうしても実現しなければならないプロセスだったのだと思います。その頃の日本は1952年に世界銀行に加盟し、1953年から14年間にわたって世銀の財政支援を受けていました。そしてその資金により東海道新幹線、首都高、阪神高速なども建設することができました。この時期の日本は、まだ援助される側の国であったわけですが、にもかかわらずその早い段階から途上国援助も開始していたことは驚きでもあります。1954年に政府開発援助(ODA)が制度的に開始され、ODAの最初の取り組みとしてタイからも21名の技術研修員が日本に派遣されました。それから60年、今年はODA60周年の年ですが、タイに対するODA60年の歩みを足早に振り返るとともに、今後の日タイ協力のあり方を考察してみたいと思います。

2.タイに対する政府開発援助の歩み

前述したとおり、日本のODA事業は技術研修員の受入れから開始されます。技術研修員受入れを担当したアジア協会(JICAの前身の組織の一つ)の元職員は「その頃は、途上国援助とか国際協力という概念はなく、わが国自体がいまだ復興していない時期に海外研修員の受け入れ先などに対し協力を説得するのは大変な苦労であった」と当時を振り返っています(「国際協力事業団25年史」から)。1954年にタイから21名をこの研修制度で日本に受け入れて以来、タイの政府職員、大学教官・研究者、医療従事者などタイの国づくりを主導してきた多くの人々を多種多様な分野の研修のために日本に受け入れており、現在までにタイ人の研修参加者数は延べ2万人を越えています。また1987年には帰国研修員の同窓会(JICA研修員同窓会JAAT)も組織され、日タイ技術協力を円滑に推進するための強力な支援ネットワークになっています。

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1979年、日本の大学病院における腎不全対策研修の実施風景

研修員受け入れを皮切りに日本人専門家派遣事業も1955年度に開始され、それ以降、さらに1969年にタイに対する有償資金協力事業(円借款)、1970年に無償資金協力事業が開始されます。その他、青年海外協力隊員の派遣が1981年に、シニアボランティアの派遣は1997年に開始されます。

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1984年チェンライ県で活動する協力隊員(体育教育)

1970年代後半以降は援助額の増加とともに、援助対象分野も多様化し、道路、橋梁、港湾、空港、電力などの産業インフラから灌漑施設など農村開発インフラ、上水道などの生活インフラといった幅広い分野を対象に多くの開発援助が実施されるようになりました。特に1980年代後半から90年代前半のタイの高度成長期を後押しすることになる経済インフラの整備にも多額の有償資金協力が活用されました。
2012年度末までに投入された政府開発援助(ODA)の金額ベースの累計は、技術協力が約2200億円、有償資金協力が2兆1644億円、無償資金協力が約1700億円(ただし災害支援や草の根無償等一部を除き、タイ国向けの無償資金協力は1993年に終了)に上ります。この多額の国費をかけて、前述の技術研修員の受入れに加え、1万人近くの専門家がタイに派遣され、青年海外協力隊員やシニアボランティアも900人以上がタイの各地で活動してきました。また多くの行政機関、研究機関、教育機関を協力対象に組織強化、人材育成、施設の拡充がなされてきました。中には日本の協力を通じ全く新たに組織が立ち上げられ、今ではタイ有数の機関に育っているケースも多くあります。例えばモンクット王工科大学ラカバン校(KMITL)、工業省裾野産業開発部、アセアン保健開発研究所、アジア太平洋障害者センター、環境研究研修センター(ERTC)、国家計量標準機関(NIMT)、首都圏水道公社水道技術訓練センターなどがそうです。有償資金協力では、ドンムアン空港の整備やスワンナプーム空港が建設され、地下鉄ブルーラインを開通させ、チャオプラヤ川に14の橋(現在1橋梁を建設中)が架けられました。またバンコク首都圏の1000万人を超える居住者の生活用水と経済活動に必要な用水を供給している首都圏水道公社の全給水能力の6割以上となる3.6百万立米の給水能力の発揮に必要な施設も整備されました。

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3.タイに対する協力の代表的事例

<モンクット王工科大学ラカバン校(KMITL)に対する40年にわたる支援>

1957年5月の岸総理によるタイを含むアジア6ヶ国の歴訪の際の各国首脳との会談において、日本の経済技術協力の強化策として各国に海外技術訓練センターを設置する構想が表明され、それまでの個別に技術研修員を受け入れたり、専門家を派遣していたやり方から、より総合的に技術支援を実施する方式が提案されました。タイに対しては電気通信分野でその構想を進めることになり、1961年にノンタブリ電気通信訓練センターの設立が実現することになりました。設立時23名の学生をもって開始された同訓練センターは、1964年にノンタブリ電気通信大学(短期大学3年制)に昇格、さらに1971年にモンクット王工科大学ラカバン校(KMITL;正規4年制大学)に発展します。

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JICA専門家による授業風景(1972年5月)

日本が訓練センターの設立段階から無償資金協力や技術協力プロジェクトで40年以上に渡り協力を継続した結果、現在では、KMITLは、工学系7学部と大学院や附属研究センターなどを有し、学生数も2万人以上、教員1000人以上の擁するタイを代表する工学系総合大学にまで成長することになり、日タイ協力のシンボルの一つになっています。KMITL支援は、国づくりの基本は、人づくりであり、人材育成こそが国の確かな発展への基礎になるのだという日本の協力の信念を体現したものであったと思います。

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日本の無償資金協力により整備されたKMITL施設を視察される国王陛下及び王妃陛下(1976年6月)

ノンタブリ電気通信大学の第1回卒業生で、その後、文部省の国費留学生として、東海大学に留学した後、母校の教員となり、KMITLの工学部長、そして最後には学長にまで登りつめたプラキット氏のように、KMITL生え抜きの多くの教員が、この40年にわたる協力を通じ育成されてきました。同校を卒業後、日本に留学し、学位を取得し、タイに帰国後、KMITL教員となると、KMITLに派遣されていたJICA専門家からの指導を受け、供与された機材を使いつつ、研究、教育能力を上げてきたのです。そして日本的な工学教育の影響を強く受けた生え抜きの教官たちが中心となって進めてきた教育により、KMITLは、現場指向的で、協調性にも富んでいると日系企業にも評判のよい卒業生を数多く産業界に輩出し続けています。

<タイ東部臨海開発に対する総合的な支援>

天然ガスを利用した石油化学産業の拠点となっているマプタプット地区、輸出志向型産業を目指し現在、自動車、電機機械工業が集積するレムチャバン地区を中核とし、チャチュンサオ、チョンブリ、ラヨーンの3県にまたがる「東部臨海地域」開発に対し、開発計画の策定段階から技術協力を実施するとともに、港湾、工業団地、水道、鉄道、道路などの整備のため、16事業、総額1787億に及ぶ円借款を短期間に集中的に供与することで、タイのこの国家的一大プロジェクトを日本政府は、全面的に1980年代から90年代の初頭にかけて支援しました。この東部臨海開発計画は、1970年代の後半に構想され、80年代初頭には経済社会開発計画における最優先課題となっていましたが、その後実現までに紆余曲折を経ることになります。例えば東部臨海開発の構想段階では、マプタプットでは、漂砂による港湾埋没の恐れや海底の岩盤の掘削の困難さなどから深海港の建設は技術的に困難との見方が優勢でしたが、JICAが派遣した日本人専門家が精査し、問題克服可能との結論が出され、マプタプット、レムチャバン両港に対する円借款供与も決定しました。しかしながら1980年前半にタイは経常赤字、財政赤字、外貨準備不足等のマクロ経済上の問題が深刻化し、タイ政府が緊縮的な財政政策を取らざるを得ず、1985年には東部臨海開発計画の一時凍結が決定されることとなります。また世界銀行も同計画のフィージビリティーに懐疑的な立場と取っていました。ところがちょうどその頃、大きな外的条件の変化が発生します。1985年9月に先進5カ国(米国、イギリス、西ドイツ、フランス、日本)は、協調して為替レートをドル安に進めることに合意します。いわゆるプラザ合意です。その結果生じた急激な円高を機に、86年以降日本企業によるタイに対する直接投資が大幅に増大することになりました。また石油価格の低下等もあり、タイ経済も好転し、東部臨海開発計画一時凍結も解除され、同計画はその実現に向け、一気に加速し、1991年10月にレムチャバン港が、1992年2月にはマプタプット港が完成にこぎ付けることになったのです。

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1987年、レムチャバン港建設段階の遠景

2012年のレムチャバン港の2012年のコンテナ取扱量は583万TEUで、世界港湾別コンテナ取扱量ランキングは、日本トップの東京港を抜いて世界23位(東京港は28位、横浜港43位)と世界有数の港湾に発展しています。また東部臨海3県にすでに23ヶ所の工業団地が建設され、タイ全土の工業団地の4割が設置されており、またこの地域に進出している日系企業も現在259社(JCC登録企業)に上っています。東部臨海工業地帯は、今や東南アジアを代表する一大産業拠点として発展を遂げ、さらに拡大を続けていますが、この大成功の要因として、日本の資金協力と技術協力が効果的かつ有機的に組み合わせされ、非常にタイムリーに支援が行われたことであることは間違いありません。東部臨海開発は、まさに日本の政府開発援助の一大成功事例と言っても過言ではありません。

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現在のレムチャバン港

4.これからのタイとの協力の行方

タイの2013年の一人あたりのGDPはすでに5674ドル、世銀の定義によると上位中所得国であり、すでに堂々たる中進国と言って間違いありません。よってタイは明らかに従来的な意味での途上国援助の対象ではなくなってきています。一方、「タイは近い将来、開発途上国を卒業するのだから、もうJICAがこの国で活動する必要ないではないか」といった指摘を受けることはありますが、我々としては、少し協力の形を変える必要があるものの、今後もJICAとして積極的に活動を展開しなければならない国であると考えています。今後のタイにおけるJICAを通じた協力における重要な視点は以下の2つに集約されるのではないでしょうか。
一つには、タイの地政学的、経済的な意味での重要性です。つまり大メコン地域(カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム、タイ;CLMVT)において、タイはまさに扇の要のような場所に位置し、2億人を優に超す人口を擁するこの地域の経済開発を考える上では、タイ経済とのリンクを念頭においた戦略作りが不可欠だと言うことです。特に5万人近い在留邦人が住み、日本人商工会議所の会員企業だけでも1500社を超え、数千社は企業活動をしているといわれる日系企業との関係は非常に重要です。例えば民主化が進展し、これからの発展や投資拡大が期待されるミャンマーの経済開発を考える上でも、この日系企業群を中心とするタイの産業集積とのリンクを前提にした経済開発戦略が必要となっています。またタイの持続的経済成長のためにもCLMVとの連結性を強化し、当該地域の経済開発により積極的に関与することが間違いなく今後さらに重要となります。よってタイと協働して、大メコン地域の持続的開発に貢献できる協力を推進することが重要だと考えています。例えば東西経済回廊構想の一環として、メコン川を国境線とするタイ・ムクダハン県とラオス・サバナケット県を結ぶ第2メコン国際橋は円借款により2006年12月に完成しましたが、今後はこの東西回廊や南部回廊をさらに西にミャンマーへと延伸するためのインフラ整備に対する協力を模索するとともに、整備されつつあるインフラを活用し、人とモノの移動をよりスムーズにするためのソフト面の改善、例えば税関実務の改善支援など、そして国境周辺の地域開発の推進や国境を跨ぐ国地域間に生じている格差を是正するための政策提言や人材育成などにさらに注力していきたいと思っています。また国境は経済活動を活発化させる可能性を持つ地域であると同時に、人身取引、麻薬などの違法取引、木材の違法伐採、貴重種の乱獲を誘因する危険もはらむ地域です。国境開発における影の部分も十分ににらみつつ、人身取引被害者支援なども積極的に実施していきます。

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ラオスのサバナケット県とタイのムクダハン県を結ぶ第2メコン橋

一方、タイにおいては、前述したように1954年ODA開始以来の長年の協力の歴史があり、その協力のアセットとも言うべき人的・組織的なネットワークや知識蓄積が存在しています。例えば先に触れたモンクット王工科大学(KMITL)や工業省裾野産業開発部などは、技術協力や資金協力を通じ、まさにゼロからの立ち上げ段階から組織強化を支援してきた機関であり、組織自体がまさに日本のタイに対す協力の一大成果、アセットと言えるでしょう。またタイはすでに国際開発協力庁(TICA)や周辺国経済開発庁(NEDA)を通じ、技術協力や資金協力を他の開発途上国に実施することを積極的に開始しており、TICAやNEDAとも協力しつつ、過去のタイへの協力アセットを有効活用して、CLMVはもとより、それ以外の途上国に対する支援を模索したいと思います。1975年に4名のラオス人の研修をタイで実施して以来、JICAはタイの政府機関や大学等と協働し、タイ国内を研修場所とする通称第3国研修と呼ばれる研修事業を数多く実施し、現在までに2000人以上のタイ国外からの人材に研修を提供してきました。さらに近年では、前述のTICAとの協力関係を強化し、タイ国内での研修実施にとどまらず、協力対象国に対し、JICAとTICAが協力して支援する所謂三角協力事業を、ミャンマーなど周辺国のみならず、アフリカ諸国やパレスチナでも開始しつつありますが、今後、タイの各協力機関をパートナーとして協働し他の開発途上国を支援する取り組みをさらに強化したいと考えています。

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アセアン諸国の配電関係行政官、技術者対象の第3国研修「ASEANにおける配電系統の調和化」コース(2012年〜2014年)の研修風景

もう一つの重要な視点は、中進国タイが、これまでの開発課題とは異なる新たな課題に直面しつつあるということです。例えばタイ社会の高齢化は、日本が経験したものより早く進行していると言われます。欧米社会より急激に高齢化が進んだといわれる日本でさえ、高齢化社会(全人口に占める高齢人口の比率が7%以上)から高齢社会(高齢人口が倍加し14%以上になる)に移行するのに24年間かかっていますが、タイの場合、さらに短い23年間で高齢化社会から高齢社会に移行すると予測されており、タイは、中進国からさらに発展し、完全に開発途上国から卒業する前に、所謂"人口ボーナス"を使い切り、早くもこの課題に直面することになりました。これからタイは、進行する高齢化に対し、自らの行政能力や財政規模、国民の負担能力の範囲内で実現可能なシステムを作っていかなければなりません。一方、バンコク市内をビルの窓から眺めると、高層ビルが林立し、ビルの立間を高速道路や高架鉄道が走り、東京以上の大都会のように見えます。しかしビルの外に一歩出てみると、道路は常に渋滞しており、歩道は歩きづらく、また大気汚染なども進み、必ずしも住みやすい都市空間になっていないとすぐに気づかされます。タイもより洗練された環境配慮型の都市づくりを目指す時期にきています。そのためには地方分権化を進め、地方自治体がより主体的に責任を持ち、住民参加型で都市づくりを進める仕組みも必要でしょう。高齢化対策や持続的な環境配慮型の社会形成などの課題に対し、日本の経験や知識を共有しつつ、タイ側関係機関と協働し政策立案支援を積極的に行っていきたいと思います。またこのことは、タイはもちろんのこと、他の途上国が将来直面するであろう課題にモデルやヒントを与えることもできる意義深いものであると考えています。

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高齢者対策プロジェクトにおける専門家による介護プラン作成指導風景(コンケン県)

<参考文献>

1)国協力事業団25年史 1999年8月発行
2)下村恭民(2000)、「東部臨海開発計画の変遷とその意味—途上国のオーナーシップと援助の有効活用—」『円借款案件事後評価報告書2000』、国際協力銀行
3)荒木光弥「一つの国際協力物語-タイのモンクット王工科大学」2012年4月