石川奈穂(現姓:波塚)「パナマライフ」

Nao Ishikawa
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宮城県仙台市出身
青年海外協力隊

職種
村落開発普及員
配属先
経済財務省 ラ・アミスター国際公園(セロ・プンタ市)
派遣期間
2006年3月〜2008年3月
プロフィール
ラテンアメリカに魅せられ、大学ではスペイン語を専攻したものの、なぜか農業系の会社に就職。スペイン語と農業、どちらも活かす道を探していたとき、縁あって青年海外協力隊へ。パナマ人の喜びそうなこと・ためになりそうなことは何でもやってやろう!という気持ちで試行錯誤しながら、子どもたちに元気をもらってパナマライフ満喫中です。

最終回 「パナマライフ総括」(2008年4月17日)

いよいよ帰国となりました。
最終回の今回は、今までのパナマライフの出来事を振り返ってみたいと思います。

1. 貧困は不幸?

パナマに3つほどある先住民自治区のひとつ、ノベ・ブグレ自治区。パナマ最貧困地区です。そこにいる女性たちは1日1ドル以下の生活をしている、いわゆる「絶対貧困層」。ほとんどの家には電気も水道もなく、非常に不便な暮らしをしています。しかし、不便=不幸なのかというと、そうでもないようです。

彼女たちとの何気ない会話の中で、私が
「私は27歳で独身で子どももいないよ、遅いよね!」
と笑って話をした際、女性たちは誰も笑ってくれず、
「…そうね、遅すぎるわね…」と誰かが一言つぶやき、「かわいそうに…」と言いたげな視線をみんなから向けられました…。

そうか、ここでは貧困よりも不便さよりも、子どもがいないことが不幸なのか…と愕然としました。まさかそんな視線を向けられると想像していなかった私は動揺し、なんだか自分が本当に不幸な気になってしまいました。

貧困=不幸、なんとかしなくては!というイメージにとらわれがちですが、幸せの形は人それぞれ。彼らを不幸と決め付けて、一方的な援助をしてはいけないのだな、といういい教訓になりました。

2. 登山?いや、いつもの道
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(写真1)これが普通の道

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(写真2)役目を果たしていない橋

上記のノベ・ブグレ自治区のソロイという村で同期隊員がコーヒー生産者グループの支援活動をしており、その巡回に同行させてもらいました。実に片道6時間。道が未整備のため、徒歩と馬しか手段はありません。基本的には(写真1)のような道。

途中いくつかの川がありますが、はっきり言って橋が橋として機能していません。(写真2)

私にとっては完全に「登山」の領域。
しかし彼らにとっては、日々の生活ルートです。
私は単なる来訪者なので、嫌ならもう来なければいいだけの話。
でも、彼らはこの道を、馬も使わず、荷物を背負って、歩かなければなりません。
ほとんど裸足で。

協力隊員のように、できるだけ金銭的な援助に頼らず、「人」を基本にした協力を行うことも大切ですが、インフラ整備もやはり同じくらい大切だなあ…と、落ちないよう必死で橋を渡るたびに痛感するのでした。

3. パナマ的誕生日
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(写真3)お菓子入り人形(ピニャータ)を殴る子ども

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(写真4)大人のピニャータは目隠しつき

パナマには(中米には)子どもの誕生日に「ピニャータ」という、天井からお菓子の詰まった人形をぶら下げ、それをホウキの柄などでガンガン殴り、中のお菓子をぶちまけるという、ちょっと恐ろしい風習があります。(写真3)

子どもがまるで親の仇のように人形をガンガン殴っている様子は、ちょっと異様な光景です。
時には大人の誕生会でもピニャータを叩きます。大人の場合には目かくしのオプション付きです。(写真4)

人形の中にはアメ等のお菓子がぎっしり詰まっています。人形の中からお菓子が床に落ちると、みんな必死になって拾います。大の大人がアメを必死になって拾い集める様が面白く、その様子を撮影していると、「写真なんか撮ってないで!あなたも拾わなきゃダメじゃない!!」と結構本気で怒られます。縁起物のようなもの?

パナマは地方と農村の格差がひどく、首都は先進国のようですが、田舎にはまだまだ電気・水道等のインフラが整っていない場所が多いです。しかし、不便ながらも日々楽しそうに、たくましく生活する彼らの姿から学ぶものはたくさんありました。パナマを訪れる方々には、運河だけでなく是非田舎の村も訪問してみて頂きたいと思います。彼らは温かく迎えてくれます!

2年間のパナマライフを支えてくれたパナマ人の友人たち、村の子どもたち、隊員仲間に心から感謝しています。それでは、この辺でパナマとも、パナマライフ紹介ともしばしの別れ。
また会う日まで、Hasta luego!!

第3回 「原爆展と日本紹介」(2008年2月1日)

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パナマ大学原爆展:来場してくれた友人と

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パナマ大学原爆展:展示会場の様子

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パナマ人学生有志による折り紙教室

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ペノノメ市での原爆展:映画を観る高校生

パナマは幸運なことに、他の中米諸国で起こったような内戦を経験していません。第二次世界大戦にも参戦していません。それゆえにでしょうか。平和について、世界で起こったーあるいは起こっているー戦争について、考える機会はほとんどありません。学校でも、ほんの少ししか習わないようです。原爆については多少知っていますが、「ヒロシマは今でも焼け野原なのか?」「もう植物は生えないのか?」そんな質問もしばしば受けるほど、なんの知識もないパナマ人が多数…

平和は素晴らしいことだ。しかしその幸福さを十分理解するためには、戦争についてもやはり知らなくてはならないのではないか?同時に日本についても知ってもらういい機会ではないか?とそのような理由で原爆展(を主とする平和教育)を企画・実行しました。

しかし、戦争映画で大笑いするパナマ人。日本人なら涙するような、息を飲むような悲惨なシーンでも何故か笑いが起こります。
「知識がなさすぎて、戦争の痛みに共感するための想像力が働かないのではないか。原爆展を行っても、こちらのメッセージは伝わらないのではないか。」
そんな不安を抱きつつも、真っ先に原爆展のアイデアに賛同し、開催のために尽力してくれた同期の山本英恵隊員の任地、首都パナマシティのパナマ大学で第1回目の原爆展を行いました。

広島平和記念資料館よりご寄贈頂き、JICA事務所を通じてパナマまで輸送された巨大ポスターとDVD。長期の使用に耐えうるようにポスターを保護する作業、英語の資料の上からスペイン語の訳を貼り付ける作業、広報ポスターを貼る作業等で苦労しました。隊員活動に限りませんが、イベントを行う際に一番大変なのは裏方の地味な作業。他の多くの隊員の助けがなければきっと開催はできなかったことでしょう。

そうして迎えた原爆展。

内容は

  • ヒロシマ・ナガサキ原爆ポスター(30枚)
  • ポスター『サダコと折鶴』(26枚)
  • DVD「ヒロシマ・母たちの祈り」(約30分)
  • 折り紙教室
  • その他 第二次世界大戦略年表等、補足資料

来場者は大学の学生が主。皆ポスターに見入ったり、映画を観て涙したり、メッセージ帳に平和へのメッセージをたくさん寄せてくれたりと、反応は上々でした。
不安に思っていた「悲惨なシーンで笑う」こともほとんど起こらず、映像に合わせて痛がったり苦しがったり、戦争に苦しめられた人たちの痛みや悲しみを共感してくれていました。
「どこで日本語を習えるの?」と質問してくる学生もおり、日本に興味を持ってもらうきっかけにもなったようです。

その後も理数科教師・鶴崎隊員の任地であるアンヘル・マリア・エレラ高校(ペノノメ市)や私の任地セロプンタでも開催し、たくさんの学生が参加してくれました。セロプンタの学校はどこも規模が小さく、全てのポスターを貼れる部屋がないため、廊下に貼り出しましたが、意外としっかり見てくれた様子で、質問もたくさん出ました。
大学生よりも中学・高校生の方が映画で涙する率が高く、反応もすこぶる素直。将来を担う若者たちに原爆の悲惨さを伝えられたこと、平和について考える機会を与えられたことをとても嬉しく思います。

もうひとつの大きな収穫は、日本について知ってもらえたこと。パナマに限らない話ですが、こちらではアジア人は全て「中国人」と呼ばれます。外見的に区別がつきにくいのは仕方ないとしても、せめて隊員と関わるパナマ人にだけでも、日本について知ってもらいたい!

原爆展の会場には、外務省から頂いた日本についての資料や雑誌などを置き、空き時間に来た学生には日本紹介の映像を見せるなど、日本アピールにもかなり力を注ぎました。
その結果…
任地セロプンタの中学校では日本語がブーム。みんな持ち物に日本語で名前を書いています。
誰かが私を「おーい、中国人」と呼ぶたびに、子どもたちが「違うよ!彼女は日本人だよ!」と訂正してくれるようになりました。とても嬉しいことです。

全クラス分の名前をひたすらカタカナでノートに書き、手首がものすごく疲れたのもその嬉しさの代償と思えば、まあ安いものだ…と自分で自分を励ますのでした。

第2回 隊員活動、何より楽しいのは自分自身(2007年12月27日)

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国立公園よりみたセロプンタ

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ボルカンバレー国立公園へ遠足。環境に関するクイズ大会

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ボルカンバレー国立公園の登山口にて

「協力隊って何するの?井戸掘るの?」と聞いてきた友達もいるほど、一般の人には馴染みのない協力隊。その仕事は隊員によって千差万別ですが、私は井戸は掘っていません…。勤務体系は様々で、自宅から直接農家や畑を訪問する隊員、日本のサラリーマンのようにスーツにネクタイで毎日オフィス勤めの隊員、馬と徒歩で山奥のコミュニティを一週間以上かけて巡回する隊員、ひたすら患者さんの対応に追われる隊員…。一概に「これが隊員活動だ!」と言うことはできません。私の場合は、毎日決まった場所に出勤しているわけではなく、比較的自由に、自分で企画した環境関連のイベントなどを行っています。今日はその一つ、「自然を学ぶ遠足」をご紹介します。

パナマは自然の豊かな国です。貴重な熱帯雨林、咲き乱れるカラフルな花々、あちこちで見られる様々な動物たち…。しかし自然破壊と環境汚染が進み、「昔より水が汚くなった」「木が少なくなって、雨が降らなくなった」などぼやくパナマ人も多数。

私の任地であるセロプンタは、世界自然遺産である「ラ・アミスター国際公園」やパナマの自然公園「ボルカンバルー国立公園」にほど近く、その自然を守るためにいくつかの環境保護団体が存在し、様々な活動を行っています。私の所属するNGO、AMIPILAもそのひとつ。「子どもたちに自然に触れてもらい、その貴重さをもっと認識してもらおう」と、ボルカンバルー国立公園への遠足が行われました。

日本の子どもたちに比べ、圧倒的に普段から自然に接することが多い子どもたち。今さら森へ連れて行っても感動は少ないのでは?との危惧もありましたが…大間違い。終始一貫して大はしゃぎ、引率の私がくたくたになってしまうほど。湧き水を見つけては群がって飲み、鳥の声が聞こえては「みんな静かに!鳥が逃げちゃうよ!」と騒ぎ(その声で鳥が逃げそう)、茂みを見つけては隠れたがり、岩を見つけては登りたがりと、自然を十分満喫していたようです。環境に関するクイズなども行い、皆積極的に答えるなど、とにかく子どもたちの元気に圧倒されっぱなしの一日となりました。

大人を相手に活動を行うこともありますが、彼らは自分の価値観と経験を信じ、新しいものを取り入れることをあまり好みません。「ゴミのポイ捨てをやめよう」「農薬散布時はマスクを」と訴えたところで、今までそんな事気にしたことがないまま大人になった人たちは、なかなか習慣を変えるのは難しいようです。

活動はなかなか成果が目に見えません。しかし将来、あの子どもたちが大人になった時少しでも環境に思いを馳せるようになってくれれば…。そんな希望で子どもたちを相手に活動をしていますが、何より楽しいのは自分自身。彼らに日々元気をもらい、その想像力とエネルギーに驚かされ、笑顔と優しさに癒されているからこそ、「お湯が出なくても、山歩きがきつくても、頑張ろう…」と思えるのです。

第1回 「極寒のパナマで、有機肥料作り」(2007年9月16日)

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セロプンタ・広がる野菜畑

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子どもたち、ボカシ肥料作成中

「パナマって運河があるところだよね。アフリカ?」
そう聞いてきた友達もいるほど日本人に馴染みのないパナマ。(スエズ運河と間違いてる)
パナマは中米の一番端、お隣コロンビアはもう南米です。

首都には高層ビルが立ち並び、24時間営業のスーパーもあちこちにあり(治安が良い証拠)、水道水は飲んでも安全、高級ブティックや各国料理屋が立ち並ぶ…

のは首都だけの話。

私の任地、チリキ県セロプンタはコスタリカとの国境近く。標高2,000メートルの高地にあり、熱帯のパナマにありながら平均気温は15〜20度(昼間)と、日本の晩秋のような気候です。
夜は0度近くまで下がる日もあり、日本の家族から送ってもらった湯たんぽを抱いて寝ています。
この寒さながら家にお湯シャワーはなく、鍋で沸かしたお湯を水で薄めつつ、毎日凍える思いで入浴(行水?)しています…。

この気候のおかげで、セロプンタは人口7,000人という規模でありながら、パナマの野菜の約90%を生産している一大農業地帯です。酪農も盛んで、一昔前の日本の農村のような田園牧歌的な風景を見ることができます。
しかし近年、化学肥料と農薬の乱用による土壌と水質の汚染が進んでいます。
私の所属するNGOは、「美しいセロプンタを守ろう!」と、持続可能な農業の提案や、近隣小中学校への環境教育などを行っています。

今回はボカシ肥料作成のアクティビティについて。

ボカシ肥料とは、鶏ふんや油かすなどの有機物を原料とし、発酵させて肥効をおだやかにした(ボカシた)肥料のことで、ここパナマでも「ボカシ」という日本語でそのまま通じるほど定着しています。日本が世界に誇る農業技術だと思っています。

次世代の農業を担う子どもたちに有機肥料の作り方を知って欲しい!ということで、小学校に行って子どもたちと一緒にボカシ肥料を作ってきました。
大量の鶏ふん・土・もみ殻などをかき混ぜるので、大人でも重労働ですが、子どもたちは嬉々としてやってのけます。元気いっぱい。

農薬が悪いとは言えません。化学肥料をやめろとも言えません。有機肥料も万能ではありません。
ただ、このようなアクティビティを通じて、「有機肥料という選択肢もある」「環境に配慮した農業を推進している人々がいる」という事が伝わればいいな、と思います。