公害のつらい経験を乗り越えて:「円借款事業における環境社会配慮実務」コース

JICA東京の研修のひとつ、「円借款事業における環境社会配慮実務」コースでは、参加各国の環境アセスメント(注)を担当する行政官が、日本で公害の歴史と環境への取り組みについて学ぶため、熊本県水俣市を訪れました。

熊本県環境センターへ向かう研修員たち

「四大公害病」の一つとしてよく知られた水俣病は、高度成長期の1950年代から60年代にかけて大きな被害をもたらしました。これは、当時「アセトアルデヒド」という化学物質の工場から排出された有機水銀化合物(メチル水銀)により、中枢神経がおかされた病気です。水俣と周辺地域の人々は、工場排水に含まれたメチル水銀で汚染された魚介類を食したことにより、感覚障害、運動失調、視野狭窄(きょうさく)、言語障害などさまざまな症状に苦しむことになりました。また、母親たちが妊娠中にメチル水銀に接したため、脳性小児まひ(胎児性水俣病)患者の子供も生まれました。

汚染物質の有機水銀が除去され、かつての豊かさを取り戻した水俣の海(八代海)

研修員たちは、国立水俣病総合研究センターで水俣病発生の背景や水俣病のメカニズムについて講義を受け、また水俣病資料館では、実際の水俣病被害者である語り部から、体験談を聞きました。高度成長期にあった当時の日本では、企業は安全面の投資を節約し、国や自治体の環境政策は遅れがちでした。このため、深刻な公害が引き起こされたのです。水病は多くの生命と健康を奪い、地域社会にも深刻な影響を与えました。周辺住民は公害病の恐怖におびえる一方で、患者は隔離されたり差別を受けたりするなど、病気以外でも苦しみを味わいました。地域の農産物は水俣の名前では売れず、観光客も激減するなど、水俣病は地域社会全体に長期にわたって悪影響を及ぼしました。

語り部の話しに聞き入る研修員たち

語り部のお話によると、企業側は工場排水に含まれているメチル水銀に害があることを早い時期から知っていたにもかかわらず、当時の一般の人たちは事実を何も知らされなかったそうです。地域の多くの住民が工場で働き、地域社会は経済的に目覚ましく発展していたため、公害が明らかになったころでも工場への批判はほとんどありませんでした。また地域の漁業組合や農協なども、農水産物の風評被害を恐れて、当初原因不明の奇病とされていた水俣病の患者を隠そうとしていたことなど、いくつもの要因が重なって、この公害病の被害をより大きくしたことを研修員たちは学びました。

今では釣った魚を汚染の心配なく口にできるようになりました

「人は絶望しているだけでは生きていけません。水俣病の多くの犠牲を無駄にしないためにも、私たち語り部は、辛い経験を多くの人たちにお話しています」

語り部のこの言葉は、研修員の心に深く残りました。研修最終日の評価会でも、多くの研修員が、「水俣で学んだことは決して忘れない」「帰国後はそれぞれの国で、開発が引き起こしかねない公害を防止するため、より強い使命感を持って環境アセスメント業務に当たるつもりです」と決意を述べました。

エコタウンとして生まれ変わった水俣市では、ごみを24種類に分別して可能な限りのリサイクルをしています

水俣市は、水俣病の辛い経験を無駄にしないため、1991年から「環境都市水俣づくり」を推進し、2000年には国からエコタウンの認定を受けるなど、環境都市づくりが評価されています。新しく生まれ変わった水俣からのメッセージは、多くの研修員の国でもきっと活かされることでしょう。

JICA東京 経済基盤開発・環境課 坂田香 (2012年)

(注)環境アセスメントとは、大規模な開発などの際に周囲の環境にどのような影響があるかを事前に調べる調査のことで、環境影響評価とも呼ばれます。その結果によっては、事業を大幅に見直したり中止したりすることもあります。