ガザ紛争から1年−復興に向けた支援の今

−三井祐子JICAパレスチナ事務所長−

2015年8月24日

三井パレスチナ事務所長

2014年6月(注1)にイスラエル国防軍とガザのハマスとの間で紛争が勃発、事務所があるテルアビブにも毎日ガザからロケット砲が発射され、不気味な空襲警報の音を聞きながらシェルターに隠れる日々が続いていた。

紛争後に足を踏み入れたガザは、町中いたるところにがれきの山が積み上がり、道路は穴だらけ、空から切断された電線がぶら下がり、ほぼ全壊している建物の中で布で目隠ししながら人々が暮らす、そんな町だった。そんなガザでひときわ印象に残っているのは、廃墟の中で、紛争で亡くなった家族の写真を大きく写した派手な色ののぼりと、かつての自宅の位置を忘れまいとするかのように自身の名前と携帯番号を崩れた壁に書きなぐった色鮮やかなペンの色の、砂埃と廃墟とのコントラストだった。

停戦から1年がたとうとしている。ガザが今どうなっているのか、ガザの復興支援にJICAがどのようにかかわっているのかについて、最新報告をしたい。

【画像】

停戦直後のガザの街並み(左)、爆撃された電力会社倉庫(右)

ガザ復興支援

ガザで配付する食糧ボックスの梱包ボランティア(ラマッラ)

2014年8月26日に無期限停戦が合意された後の国際社会の対応は早かった。停戦から1ヵ月もたたないうちに国連人道問題調整事務所(United Nations Office for the Coordination of Humanitarian Affairs: UNOCHA)パレスチナ自治区事務所(occupied Palestinian territory)による「Gaza Crisis Appeal」が作成され、その被害額及び復興のために必要な金額のアピールがなされた。その金額は約4,300億円(約40億ドル)。2014年10月にはエジプトのカイロにて、「ガザ復興支援会合」が開催され、各国から約5,800億円の支援約束を取り付けた。日本政府は約20億円の支援を表明した。

JICAは2014年6月の紛争勃発後もガザに支援を実施していた。JICAガザ事務所には現地職員が4名勤務している(注2)。イスラエルによる空襲がないときは、全員が事務所で防弾チョッキ、ヘルメットを装着しながら勤務した。彼らの安否確認や事業指示は、テルアビブから主に携帯電話かテレビ会議システムで行った。

紛争開始後3週間でガザの死者は1,000人を超えた。手をこまねいて状況を見ているしかないストレスに耐えがたくなったとき、現地職員から、ガザのJICA同窓会(注3)を通じてガザ最大の病院であるシーファ病院に医療品を贈ることはできないかと相談があった。現地での配賦(はいふ)は同窓会のメンバーがボランティアで実施した。今やらなければという思いで、50種類以上ある医薬品の調達を最短で終わらせ、無事供与となった。供与式は8月5日から一時的に実施された72時間の停戦の最中だった。

上記の医薬品供与と並行して、パレスチナ西岸にあるJICAフィールドオフィス(FO)ではガザへの食糧支援を準備していた。西岸での購入及び梱包はFOとNGOの若者20人以上が、ガザでの配送は国際連合パレスチナ難民救済機構(United Nations Relief and Works Agency、UNRWA)が協力し、UNRWAの学校に避難している人々に食糧ボックスを配付した。

JICAの支援から約3週間たった8月26日にガザはようやく無期限停戦を迎えた。ガザ地区での死者は2,100人を超えていた。停戦合意の夜のガザでは、夜遅くまで皆が停戦を祝い街頭で踊り続けていたのが印象的だ。

現在のガザへの取り組み

コンサルタントによるガザ現場踏査(ガザ地区復興支援(電力・水)に係る基礎情報収集・確認調査)

無期限停戦から約10ヵ月が過ぎた。復興はなかなか進んでおらず、目に見える風景は停戦直後の光景とそれほど変わっていない。その理由は、資金不足と複雑な物資搬入メカニズムだ。復興に必要な建設用資材はトンネル掘削や兵器など別の用途に転用されないようチェックを受けるのだが、その手続きに膨大な時間がとられ、ガザに物資が搬入されず建設工事ができないのだ。

JICAはガザに対し紛争前から、長期にわたり支援を実施していたが、治安が不安定なガザに対しては、支援は限定的にならざるを得なかった。治安状況から、JICA専門家が自由に入域できないため、ローカル人材が中心の短期かつ小さな金額規模の支援が多かった。ガザを実効支配しているハマスとパレスチナ自治政府との関係が事態を一層複雑にしている。さらに数年に一度イスラエルとの紛争が勃発するため、ドナーは復興支援ばかりに目が行き、ガザの発展の土台になる人材育成には時間も金も投入できないという悪循環が続いていた。

紛争後のガザの荒廃を目の当たりにし、復興計画をガザの関係者と協議するなかで、復興支援だけでなく、自ら復興に立ち上がる意思と能力を持つ人材育成の重要さを痛感した。そのためにはJICA専門家によるきめ細やかな寄り添い型の支援が必須だと考え、紛争から半年というスピードで立ち上がったのが、現在実施中の「ガザ地区復興支援(電力・水)に係る基礎情報収集・確認調査」だ。本調査は、復興支援ニーズを満たすために紛争で使用できなくなった配電ケーブルの取り換えや上下水道管の敷設を支援するとともに、今後の開発支援のための中期的な開発計画を策定するのが目的である。日本人の専門家が頻繁にガザに入域しているが、日本人のプレゼンスを示す絶好の機会だ。開発計画の策定に関しては、特に人材育成にフォーカスしたいと考えている。

ガザに対する協力としては、さらに、ヨルダン川西岸で実施中の技術協力プロジェクトの現地研修に、ガザで実施しているJICA協力のカウンターパート(相手国側関係者)を出席させるほか、西岸のカウンターパートにガザのセミナーで研修講師をしてもらうなど、西岸とガザの一体感を醸成しながら、ガザの能力向上を図る機会を積極的に創出している。

最後に

「ガザ支援に必要なものは何か」と聞かれれば、「どんな状況になってもあきらめない根気」と、「転んでもただでは起きない創意工夫」だと答えている。東京23区のほぼ6割の面積に約170万人の人が住み、紛争への恐れと閉塞感に押し潰れそうなガザを、一刻も早く健全で正常な状態にするために、JICAができることは今後も山のようにある。

(注1)イスラエルが治安閣議で「イスラエル市民に対するテロを止めるために「境界防衛作戦(Operation Protective Edge)をガザ、ハマスに対して開始する」と決定したのは7月7日であるが、6月からイスラエルによる散発的なガザ空襲は続いていた。
(注2)JICAパレスチナ事務所は、テルアビブ事務所(イスラエル)、ガザ事務所(ガザ)、ラマッラフィールドオフィスおよびジェリコフィールドオフィス(ともにパレスチナ西岸)の4つの拠点で事業を実施している。
(注3)ガザからJICAが実施する日本および第三国の研修に参加した元研修員で構成される団体。会員は166名(2015年8月16日現在)ガザでのJICA活動を積極的に支援している。

<プロフィール>
三井祐子(みつい ゆうこ)民間企業勤務を経て国際協力事業団(現JICA)に入団。鉱工業開発協力部、財務部、エジプト事務所、アフガニスタン事務所、南アジア部、調達部に勤務後、2014年6月パレスチナ事務所に赴任。静岡県出身。