【命と健康を守る国際協力】母子手帳知られざるストーリー——日本で受け取り故郷パレスチナへ、難民の母子に希望

2016年5月20日

プロジェクト活動の様子(写真提供:今村健志朗/JICA)

パレスチナのすべての妊婦に1冊の母子手帳を。

2008年、紛争による貧困も重なり、母子の健康に深刻な影響が出ていた同国で、世界初のアラビア語版母子手帳が発行された。新たな分離壁や検問所ができ、移動制限などで同じ保健所や病院に通えなくなった場合でも、別の保健所などで使用が可能、また、難民であっても区別されずに配布されたことから、「生命(いのち)のパスポート」と呼ばれている。

JICAは作成から配布、さらにその使用方法の指導、制度化に至るまで「母子保健リプロダクティブヘルス向上プロジェクト」のもと、2005年から2012年にわたり支援した。大切なことは相手国に根付くまでの丁寧なアプローチ——、配布すれば終わりではなく、相手国が継続して母子手帳を自力で改訂、印刷し、時世とともに変動するニーズに応えつつ活用し続けることが目標だった。プロジェクト終了から4年がたとうとしている今、その意義の深さをJICA関係者があらためて実感したエピソードがある。

まさに「生命(いのち)のパスポート」、京都で受け取りパレスチナへ

母子手帳は、妊娠初期から乳幼児期まで、母子が共に継続的にケアを受けるための健康記録だ。そのほか、育児手引や、医療従事者と保護者のコミュニケーションの手段としての役割をもつ。これまでJICAが協力した各国で、現在およそ年間800万冊を発行。その数は日本で1年間に発行される数の8倍にあたる。戦後間もなく日本で生まれた母子手帳の有用性は国際社会でも認められ、近年ではユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(注)の実現に向けた仕組みとしても注目されている。

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各国語で作成された母子手帳。イラストが多用され、読みやすい内容になっている。

2007年から2009年までJICAパレスチナ事務所、ラマラ・フィールドオフィスに勤務したアミン・ナワダさん(Dr. Amin Nawahdah)には5人の子どもがいる。アミンさんは、かつて京都に留学し、当時4歳、3歳、1歳だった3人の子どもと、4人目の子どもを妊娠中の妻を連れ、パレスチナに帰国した。

「日本の母子手帳は、妊娠早期の母親の健康状態から子どもの予防接種まで記録して母子の健康管理に活用できるすばらしい仕組みです。京都で受け取った4冊の母子手帳を持参してパレスチナに帰国した時、アラビア語のパレスチナ母子手帳を見た感激は忘れません。JICAプロジェクトの支援により、パレスチナでも日本と同じように母子手帳が使える仕組みが整備されていました」

母子手帳のサンプルを手にする母親たち(写真提供:今村健志朗/JICA)

パレスチナでは、2005年8月からJICAが前述の母子保健プロジェクトを展開しており、翌9月には同国保健庁が中心となり進められていた母子手帳の作成をその活動の一環として支援。そして2008年、パレスチナの年間総出生数(当時)をカバーする12万冊を配布、全国の保健所、病院などで導入された。作成からわずか3年という快挙であった。

京都から持参した母子健康手帳には英語表記もあったため、パレスチナの助産師、看護師により子どもの予防接種や健診の記録が切れ目なく記入された。功を奏したのは、プロジェクトが普及活動に加えて実施していた医療従事者向けの使い方訓練の成果だ。母親と子どもの健康を守り伝えるという日本発祥の母子手帳の使命は、国をも越えて生きている。

未来への希望込め、難民キャンプで母子手帳配布

2015年9月、ウェブメディアやSNSを通じて、シリアなどからヨーロッパに避難する難民たちのかばんの中身を紹介した写真が話題になった。赤ちゃん連れのお母さんのかばんに大切にしまわれていたのは、パレスチナで作られた母子手帳。「生命(いのち)のパスポート」として、いかにかけがえのない物であるかを痛切に思い知らされる発見であった。

現在はガーナでの母子手帳作成に尽力している萩原専門員(前列中央)

パレスチナでの母子保健プロジェクトのチーフアドバイザーを務めていたJICA萩原明子国際協力専門員は、母子手帳の普及に全力を注いだ一人だ。現在もJICAの母子保健分野事業に精力的に携わっている。

萩原専門員は、2010年、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の医師スタッフであり、パレスチナ難民へ母子保健サービスを提供する責任者であるアリ・ハーデル医師と、レバノンの難民キャンプで母子手帳導入記念式典に参加した。

難民キャンプで母子手帳の説明をする萩原専門員(写真提供(下):今村健志朗/JICA)

すべてのパレスチナ難民に質の高い母子保健をと、パレスチナ西岸地区、ガザ地区だけでなくヨルダン、シリア、レバノン在住のパレスチナ難民へ母子手帳の配布を支援してきた。パレスチナ難民キャンプが展開されている5地域の中でも最後となったレバノンでの母子手帳導入スピーチの際には、思わず感極まったという。

「今日からすべてのパレスチナ難民が母子手帳を使うことができるようになり、感激しています。手帳を使った母子保健制度は国境を越えて拡大し、最も支援を必要とする母子に支援が届くようになりました」

そして、萩原専門員の傍らでそのスピーチを聞いたアリ医師も、使命の達成感を感じていた。

アリ医師自ら、パレスチナ難民として生まれUNRWAの教育、保健サービスを受けて育ってきた過去がある。今度は、目の前にいる自分と同じ境遇の子どもたちとその家族へ「命を守る新しいツール」をと、UNRWAの医療チームに、医師の立場からもそのすばらしさを認める母子手帳を手渡した。UNRWAでは、現在、JICAの支援を受け、電子母子手帳の開発も進めている。

(注)ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)。すべての人が、適切な健康増進、予防、治療、機能回復に関するサービスを、支払い可能な費用で受けられることを指す。