【VIVA中南米! 深まる絆 Vol.1】1世紀前、「国際協力の先駆者」になった日系人たち

2018年6月4日

およそ1世紀前、日本人移住者を乗せた船が相次いで海を渡りました。海外での成功を夢見た人々が、ハワイや北米、そして中南米を目指したのです。いま、中南米には、日本人移住者やその血を引く日系人が200万人以上暮らしています。2018年は海外移住から150年の記念すべき年で、ブラジル移住110周年やメキシコ外交樹立130年、コロンビア外交樹立110年などの節目の年でもあります。中南米と日本の絆を4回シリーズでたどります。

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写真左:1908年4月28日、日本人781人を乗せてブラジルのサントス港に到着した移民船「笠戸丸」。航海は約2ヶ月におよんだといいます
写真右:1964年ごろにブラジルのサントス港に入港した移住者たち
※いずれもJICA横浜 海外移住資料館所蔵

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地図:中南米各国の「横顔」

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苦難を乗り越え信頼を勝ち取った先人たち

20世紀初頭に北米での排日気運が高まる中、中南米に向かう移住者が増えました。中南米に渡った移住者には、厳しい熱帯気候、過酷な労働、マラリアなど多くの苦難が立ちはだかりました。第二次世界大戦中には財産を没収され、収容所に入れられたことも。戦後、日本に「強制帰国」させられた二世もいました。それでも移住者たちは綿作や、野菜、花の栽培、都市では食堂や理髪店、クリーニング業、巡回シネマなどを始め、現地社会にとけこみ、大いなる信頼を得てきました。また、日本語学校を設立するなど、日本人としてのアイデンティティも大切にしました。

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写真左:サンパウロ州で栽培した綿を摘む様子
写真右:都市で野菜を売る日系人
※いずれもJICA横浜 海外移住資料館所蔵

海外移住は、故郷への送金による外貨獲得が期待できる側面もあるため、戦前から国策として重視されました。戦後も間もなく再開され、その支援業務を担う海外移住事業団(JICAの前身)が設立されます。しかし、高度経済成長期に入ると海外移住者は激減し、1973年には船による大量移住者送出が終了しました。1985年には、海外の日系社会を支援するため海外開発青年事業が始まり、その後1996年に日系社会青年ボランティアに改称、支援の分野は営農の普及、医療など幅広い分野に広がっていきました。現在は高齢者介護や日本語教育などの分野で支援が続いています。

JICA海外移住資料館の朝熊由美子館長(JICA横浜国際センター所長)は「移住者の方々は、国際協力の先駆者といえる存在です。JICAがいま、途上国に多くの人を派遣して活動できるのは、彼らの努力のおかげなのです」と話します。

ルーツの国の先進医療を 母国へ

高齢者の転倒予防教室に参加する日系人の看護師たち

昨年11月、「地域医療の先進地」として知られる長野県佐久市に、日系人の医師、保健師、看護師ら8人がブラジルからやって来ました。JICAが行っている「日系研修」の研修員たちです。日系研修は1971年に始まり、これまで15ヵ国の4,489人を受け入れてきました。8人は約3週間、福祉施設や訪問介護を見学し、高齢者の健康促進や認知症予防について学びました。

「まるで、家族をケアしているみたい」。看護師の田中ハケル由里香さんは、日本人医師や看護師が患者と触れあう姿に感動したそうです。研修後、「ブラジルでも巡回診療の体制を整え、若い世代への高齢者ケアの理解なども深めていきたい」と意気込みました。研修に関わった佐久大学看護学部の束田吉子教授(国際看護)は「ブラジルでは、介助を必要としている日系1世の高齢者もいると聞いています。日本の取り組みや事例を現地に生かしてほしい」と期待しています。

日伯友好病院

日系研修の参加者の活躍は、現地社会からも評価されています。日系人たちが1959年に結成したサンパウロ日伯援護協会が運営するサンパウロ市の日伯友好病院は2016年、「ブラジル国内最高レベルの医療」に認定されました。救急診療の受付数が多いことや、集中治療室での死亡率が低いことなどが理由です。同協会は複数の病院や福祉施設を運営し、多くの日系人の医師や看護師、栄養士たちがJICA日系研修で学んでいます。田中さんもその1人です。

ブラジルには、「ジャポネス・ガランチード」という言い回しがあります。「信頼できる日本人」の意味です。

1959年にブラジルに移住し、同協会の会長も務めた菊池義冶さんは「日系人はブラジルの人口のわずか1%弱しかいないけれど、農業や商業、工業など幅広い分野を通して日本人の良さを伝え、ブラジル社会に貢献してきました。私たち日系人は今後もより一層、日本とブラジルの橋渡し役として日系社会を成長させていく必要があります」と、節目を迎えた思いを語りました。

支援する相手から本当のパートナーへ

荒れ果てた土地から大豆畑に生まれ変わったセラード

移住先だった中南米は、日本の経済成長とともに国際協力の対象国に変わりました。1970年代には、「不毛の地」とされたブラジルの熱帯サバンナ地域「セラード」で土壌改良などに成功。大豆やトウモロコシなどの一大産地となり、ブラジルを世界有数の穀物輸出国に成長させました。また、チリではサケの養殖産業という新たな産業を生み出し、これらは雇用促進、貧困問題改善などにつながりました。

近年、中南米は大きく成長し、日本とともに他国への協力を行う南南協力・三角協力のパートナーともなっており、専門技術を持つ日系人は、中南米やポルトガル語圏アフリカ諸国で第三国専門家として活躍しています。

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