【私の思い】「地球の反対側」で学んだもの 中南米協力に20年 吉田憲 中南米部次長

2018年7月5日

1世紀にわたる中南米と日本の絆を紡いできた、JICA職員たちがいます。中南米地域のさまざまなプロジェクトに20年以上にわたって関わってきた中南米部の吉田憲次長は、「地球の反対側」で、学び合いの大切さを教わったといいます。

中南米部の吉田憲次長

6月5日、吉田次長は静岡県浜松市内を訪れ、中小企業向けにブラジルでの事業展開について講演しました。

「中南米は、ASEAN10カ国の2倍の市場規模。超音波スキャナーでアマゾン奥地の患者と、病院をつなぐ日本のベンチャー企業もいます」

現地のニーズや情報収集の仕方について会場から質問が飛ぶと、吉田次長は1時間かけて、それぞれに丁寧に答え、その足で次の出張先に向かいました。

ふるさとの長崎に落ちた原爆が、世界に目を向けるきっかけになりました。一度は銀行に勤めたものの、26歳で青年海外協力隊員として中米のドミニカ共和国へ。そこで2年間、貧困層の生活を支える小さな融資プロジェクトに奔走し、「貧しくても一生懸命生きる人たちの力になりたい」と、帰国後JICA職員の道に進みました。

荒れた土地が一面緑に変わったセラード

初の海外赴任がブラジルでした。1997年当時、「不毛の大地」とされた熱帯サバンナ地帯セラードを南半球最大の農地に変えた一大プロジェクトの真っ只中。一帯を開拓するため、農家たちへの融資を進めることが吉田次長の大きな役割の一つでした。しかし、JICAの資金協力は現地銀行を通じた形態だったこともあり、簡単にはいきませんでした。金利に不満をもった農家たちとの矢面に立つこともあったといいます。

セスナでセラード地域に向かう

「大豆はよく実ってる?」
「計画通りに進んでいますか?」

日本の23倍もの広さがあるブラジルで、吉田次長は毎月セスナを乗り継ぎ、農家の元に通いました。大豆やトウモロコシなどの収穫状況を尋ね、生育具合を自分の目で確かめるためです。ときには農家と2~3時間話し込み、営農計画と作付け状況をすり合わせて売上の見通しを専門家と分析。その結果をもって、ブラジルの農務省と銀行の担当者たちと交渉を重ねました。広大なセラードを泊まりがけで巡り、川の水で体を洗って一夜を明かした日も。足しげく通う吉田次長に、ある農家の男性が夕食に招いてくれたこともありました。

吉田次長が注力したセラード地域にはいま、日本の面積の2倍以上の8,000万ヘクタールの畑が広がり、役所や学校、病院なども建っています。「もとは、本当に何もない赤土の平地。一から町づくり、人づくりに携わることができ、まるで西部劇のような世界でした」。

「開発協力」の大きな意義を実感

母子保健のプロジェクトについて講演する

2度目のブラジル赴任となった2008年。吉田次長はさらに、開発協力の大きな意義を実感します。あのセラード地帯は大豆やトウモロコシ、コーヒーなど世界の大穀倉地として多くの民間企業による開発が進み、吉田次長が手がけた健康で安全な出産を目指す母子保健の取り組みは各地に拡大。プロジェクト終了から10年後、アマゾンの奥地で開かれたセミナーで登壇すると、客席に100人を超える助産師たちの姿があり、胸が熱くなったといいます。

交番プロジェクトのメンバーたちと

中南米で、様々な協力の始まりや広がり、終わりを見てきて、いま思うのは「協力する側、される側の両者が学び合う大切さ」だと、吉田次長は語ります。日本の交番制度を取り入れたブラジルのある地域では、交番がサッカー大会を主催するなどして住民の集いの場となり、警察と住民の信頼関係ができたことなどによって治安が劇的に改善。多くの住民が交番に置かれたブラジルコーヒーを飲みながら警察官と語らう姿に、吉田次長はコミュニティの安定を実感しました。

今年6月、日本人移住150年を祝うハワイでの海外日系人大会に参加したとき、日本人の面影が薄れていく日系人の子孫たちをみて、「中南米の日系社会がそうなっても、日本と中南米が学び合って良い影響を与え、日系人たちにルーツの日本を誇りに思ってもらえるつながり、協力を目指す必要がある」と、再認識したと振り返ります。

学ぶ意欲、いつまでも

吉田次長はいまも毎月2~3回、日本各地の大学や商工会議所などで登壇し、途上国の現状やJICAの活動を紹介し、疑問や質問に答えます。現場と日本をつなぐためです。その一方、JICA内の細かい打ち合わせや勉強会、専門家の帰国報告会などにも積極的に顔を出します。

「自分の知らないことが、まだまだたくさんある。講義で質問に的確に分かりやすく答えられなくて、恥ずかしい思いをすることもあります。でも、未知の分野をまた見つけて、新しく学ぶ。それがまた、次なる意欲につながるんです」。

プロフィール
長崎市生まれ。大手銀行、青年海外協力隊を経て1994年に入構。ブラジル事務所で農業開発や交番プロジェクト、森林保全、日系社会の支援などに関わる。国際協力銀行(JBIC)や日本貿易振興機構(JETRO)への出向を経て青年海外協力隊事務局でスポーツ・教育などを担当し、現職。

【画像】