WHOの家庭用記録に関するガイドライン発表に寄せて:尾﨑敬子 JICA国際協力専門員に聞く

2018年9月14日

今月、世界保健機関(WHO)が初めて母子手帳など母子の健康にかかわる家庭用記録について、包括的なガイドラインを発表しました。

このガイドラインは「妊産婦や子どもの死亡を防ぎ、健やかに暮らすために必要で欠くことができないケアを、家庭用記録の活用を通じて母子が確実に受けことができる」ことを、さまざまな研究結果に基づきまとめ、利用を勧めるものです。このガイドラインで母子手帳のような家庭用記録の効果が国際的に認められたと言えます。

尾﨑敬子国際協力専門員

WHOの発表に「母子手帳をきちんと使うことで、お母さん自身が妊娠から出産、育児の記録を保持して母子ともに必要なケアを受けることができ、それが母子保健の改善につながるという認識がさらに広まっていくと思います」と語るのは、JICAで母子手帳の導入や開発に携わる尾﨑敬子国際協力専門員です。

尾﨑専門員は、各国での母子手帳に関する調査結果を論文として発表する一方、世界中から集まった母子保健の専門家などによるこのガイドライン策定委員会に外部パートナーとして参加。JICAが培ってきた母子手帳の導入や開発の経験などについて情報を提供してきました。

「JICAは、さまざまな国際機関や各国政府関係者と共に家庭用記録のガイドライン策定に向け、国際会議の場などを通じて声を上げてきました」と尾﨑専門員は言います。

妊娠から出産、新生児から幼児までの切れ目ないケアが重要

タジキスタンで母子手帳の導入前に使用されていた子どもカード

およそどこの国にも、妊娠や出産、産後のケア、子どもの予防接種や栄養などについて、それぞれ記録を記載するカードといった家庭用記録があります。ただ、記載される内容や形式は異なり、家庭用記録について国際的に統一された見解はありませんでした。十分な量が定期的に供給されず、「産前検診用の記録カードが在庫切れで、保健医療従事者が次の検診日をメモに走り書きしてビリっと破いて渡すだけ、といったこともありました」と尾﨑専門員は述べます。

各国における母子手帳の導入・開発は、個別の家庭用記録を1冊にまとめる作業。今回のガイドラインの発表により、今後よりスムーズに母子の健康に関する記録を統合する動きが進むことが考えられます。記録が1冊にまとまり、家庭で常に保管され、受診時に見せることができれば、母子が保健医療従事者から継続したケアを受けやすくなります。

生涯を通じた健康を考えると、胎児期から乳幼児期というその人の健康の土台となる時期に継続ケアを確実に受けることができるかどうかは、とても重要。SDGsのゴールの一つ「すべての人に健康と福祉を」への貢献にもつながります。

各国の事情に合わせた母子手帳の開発

尾﨑専門員が「保健分野で受益者の視点から国際協力に取り組みたい」と、開始まもないJICAのインドネシアでの母子手帳の導入・開発プロジェクトに専門家として赴いてから約20年。「まさか、ここまで母子手帳に深くかかわるとは思いませんでした」と振り返ります。

インドネシアでは、妊産婦の危険な兆候に対する発見の遅れ、医療施設への搬送の遅れなどに加え、母親やその家族の妊娠出産に対する基礎的な知識と準備の不足といった状況の改善が必要でした。そのため、「母子手帳には、どこで出産するか、誰がどのように医療施設に連れて行くかといった項目があり、事前に記載するようになっています」と尾﨑専門員。地域の食材を使った離乳食の作り方などの情報も盛り込まれました。「日本の母子手帳をただ翻訳すればいい、という話ではありません」。

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インドネシアの母子手帳。妊娠期に必要な準備や栄養についてイラストを交えて説明。

インドネシアでは現在、年間約500万冊の母子手帳が発行されています。2010年の調査で、母子手帳を使っている親子の方が使っていない親子に比べ、母子保健サービスを利用している割合が高いことも確認されました。

インドネシアで、母子手帳の導入・開発に関する研修を受けるアフガニスタンの行政担当者たち。右端は尾﨑専門員。

「インドネシアは、母子手帳を開発する国々に対し、自分たちの経験を伝え、共に学び合う取り組みを始めています。そのサポートを続けていきたい」と尾﨑専門員は言います。これまで、アフガニスタン、ウガンダ、ケニア、タジキスタン、ラオス、ベトナム、ミャンマー、パレスチナ、東ティモールなど14ヵ国の母子保健担当者がインドネシアでの研修に参加しています。

作成して配るだけではなく、活用しなければ意味がない

インドネシアの母子保健担当者と打ち合わせをする尾﨑専門員(右)

「ある国が母子手帳を導入したいと言ったとき、必ず『作って配るだけではただの紙。行政も保健医療従事者もきちんと使っていく覚悟はありますか?』と聞きます」。尾﨑専門員は、母子手帳の導入で大切なのは、母子手帳をどのように活用して母子保健のサービスを改善していくか、行政や保健医療従事者が十分に考えることだと強調します。

実は尾﨑専門員、インドネシアへ専門家として2回目に長期派遣された際、まだ幼いご自身の子どもを連れての赴任でした。母親としてインドネシアの母子手帳を使い、健診にいったとき、保健医療従事者の対応に「ちゃんと説明してくれるんだな」と感心したとか。

母子手帳の開発や導入はその国の保健サービスの制度づくりそのものであるため、行政側との調整が難航することもあり「へこむことはたくさんありました」と尾﨑専門員は苦笑しながらもこう言います。「でも、どこの国でもお母さんたちが母子手帳を手に喜んでいる姿が私の原動力です」。

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インドネシアでお母さんたちに母子手帳の使い勝手について質問する尾﨑専門員(左)

プロフィール
尾﨑 敬子(おさき けいこ)
JICA国際協力専門員(保健・医療)
神奈川県出身。大学で開発途上国の政治経済について学んだ後、保健分野で途上国への国際協力の道を目指し、大学院で国際保健学を専攻。1995年からJICAのインドネシアで母子手帳の開発・導入に携わる。現在、アフガニスタン、ブルンジ、タジキスタンほか、母子手帳の開発・導入・効果的な運用に向けた支援に関わる国多数。