2019年3月7日
JICAが起草の支援を続けてきたラオスの民法典が昨年末、成立しました。首都ビエンチャンでは今年2月に式典が開かれ、ラオス、日本の関係者たちが大きな節目を祝いました。630の条文からなる民法典は、ラオスの国や社会を支えるルールとなり、そこに暮らす人たちの権利や利益の実現に貢献することが期待されています。
ラオスの法整備支援が始まって、20年。ラオス、日本と、それぞれの立場で関わってきた人たちの思いを通して、その道のりをたどります。
ラオスの首都ビエンチャンで2月19日、民法典の成立を祝う式典が開かれ、ラオスのサイシー・サンティボン司法大臣ら多くの関係者が出席しました。
民法典の成立を祝う式典の様子
サイシー大臣は式典の中で、「ラオスの法律・司法界の強化と、法統治社会・国家への転換に対する日本の多大なる貢献に感謝を申し上げます」と述べ、民法典の普及や司法教育などに対する今後の支援への期待も語りました。
民法典成立時の国会の様子
JICAは1996年からアジアを中心に法整備支援を展開。ラオスへの支援は1998年に始まり、JICAは2012年から民法典の起草支援を進めてきました。民法典はラオスの国会で昨年12月、9割超の支持を得て承認されました。周知期間後、2020年に施行される予定です。JICAの支援による民法典の成立は、ベトナム、カンボジア、ネパールに次ぐ4カ国目となりました。
「国会を通過した時、起草に関わったメンバーたちは大変喜んでおり、言葉に言い表せない思いが込み上げてきました。民法典は、私たちが発展するための土台になる法律。ビジネスをしたい人、何か契約を結びたい人が、統一的な原則に基づいて、安心して活動を進めていけるようになります」。そう喜ぶのは、JICAの協力相手として約20年関わってきた最高人民裁判所のブンクワン・タウィサック副長官です。
民法典成立までの道のりは、決して平たんではありませんでした。
ラオス史上初の民法典の起草。ブンクワン副長官は「どこから情報を探し、どう研究をしていけば良いかもわかりませんでした。JICAのプロジェクトについて知らない人もおり、最初は協力的でないラオスの関係者もいました」と、当時を振り返ります。
そうしたなか、既存の法律を見直しながらも、外国の法体系を研究していくことが求められました。ラオスの裁判所、司法省、検察院、国立大学などさまざまな機関からメンバーが構成されたため、知識や経験のギャップもあったと言います。
民法典に関する勉強会を行う様子
日本側が重視したのは、ラオス側の主体性でした。日本も明治期に外国から法制度を学び、「他国の法律を押し付けても根付かない」という経験があったからです。
長期専門家として現地に派遣されている入江克典弁護士は、「ラオスの人たちが自ら、ラオスの社会や文化に合う民法典とは何なのかを考え、手を動かしてもらうことに力を注ぎました。今後も新たな法律を起草したり、民法学を研究したり、将来の法律家に民法を教えたりできる人材の育成が重要だと考えたからです」と語ります。
JICAはまず、ラオスの司法省や裁判所に向けた民法の教科書や実例集などを作成。その後、弁護士や検察官、大学教授など多くの日本の法律家たちがラオス側と意見をじっくり交わしながら、民法典の条文を一つ一つ地道に考えていきました。
プロジェクトで作成された教科書や実務マニュアルなど
ブンクワン副長官は、日本がラオスの法律分野における人材育成に大きく貢献したことを評価。「日本の専門家や先生たちがラオスまで来て、研究方法などを教えてくれました。日本の経験や制度は、とても勉強になり、プロジェクトに参加することは、大学に通っているような気分でした。つくられた多くの教科書や問題集は、今も裁判所の研修所などで利用され、今後も長く利用でき、役立つはずです」と語りました。
ラオスの法整備支援に開始当初より関わってきた慶應義塾大学大学院法務研究科の松尾弘教授は、「ラオスのメンバーたちはさまざまな法律に関心をもち、ラオス国民の立場でメンバーたちが独自の主張や反論をするようになりました。民法典の成立は、まさに『旅立ち』です。今後もラオスの経済発展や民主化への影響など、社会の変化をみながら、ラオスに合った法体系を追求していくことが必要です」と話しました。
そして、式典でのこうしたエピソードを語ってくれました。
「ラオスの民法典起草メンバーの一人が『ミスター・マツオ、サンキュー、サンキュー、一緒に写真とらないか』と声をかけてくれ、そこに起草に関わったメンバーが次々と集まってきました。彼らとはかつて法律家として信念をかけて議論を交わしました。いつも緊張感がありましたが、『ラオスにとって最も良い法とは何か』を考え続けたことは共通でした。彼らが心底喜んでいる姿を見られたことは、何にも代え難いものです」。