【私の思い】スポーツの力で社会を変えたい:青年海外協力隊事務局 「スポーツと開発」担当 浦輝大職員

2019年3月12日

JICA海外協力隊での経験が、「スポーツと国際協力」という大きなテーマを追いかけるきっかけとなりました。アメリカンフットボール選手の経験を生かし、青年海外協力隊員としてバヌアツで体育を教え、現在JICA青年海外協力隊事務局で「スポーツと開発」を担当するのは、浦輝大職員です。来年、東京で開催されるオリンピック・パラリンピックへの機運が高まるなか、「スポーツには人の心をつかみ、動かす力がある。多くの人の幸せにつながる社会づくりにスポーツを生かしたい」と意気込みます。

「スポーツと開発」担当として日々奮闘

浦職員

JICAは、日本政府が推進するスポーツを通じた国際貢献事業である「SPORT FOR TOMORROW」 (以下、SFT)に協力しています。SFTは、2014年から2020年までの間で、オリンピック・パラリンピックを幅広い世代に広めるため、開発途上国など100ヵ国・1000万人以上を対象にスポーツの価値を伝えていく取り組みです。

長年にわたりJICA海外協力隊などを通じてスポーツによる国際貢献を続けてきたJICAは、青年海外協力隊事務局に新たに「スポーツと開発」専任の担当を配置し、現在、その役割を担っているのが浦職員です。

今年は、日本でラグビーのワールドカップや第7回アフリカ開発会議(TICAD7)の開催が予定されるなど、国際的なイベントが目白押しです。浦職員は、ブルキナファソやジンバブエの野球の代表監督としてオリンピック予選に臨む元協力隊員たちや障害者スポーツ分野の活動を紹介するイベントを企画したり、オリンピックに関するセミナーで講演したりしています。また、スポーツ庁、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会などを交えた「スポーツと開発」 協力構想会議の運営事務局も担当し、慌ただしい日々を送っています。

バヌアツで考えさせられた「支援」

バヌアツで体育の授業を行う協力隊員時代の浦職員

浦職員が青年海外協力隊員に応募したのは、今から13年前の32歳の時です。アスリートとしての引退を迎え、「国際協力という、終わりのない挑戦に惹かれた」と言います。

派遣された南太平洋の島国バヌアツでは、小学校の生徒や教師たちに体育を教えました。「体育の授業なんてしなくても、私たちは何百年も幸せに暮らしてきた」という現地の人たちに、どうやって体育の良さや意義を伝えていくかに当初は悩みましたが、「日本人のモノサシで『支援をする』というのは、もしかしたら失礼なのかもしれない」と考えるようになったと言います。

体育の授業で組体操に挑戦し、笑顔を見せるバヌアツの子どもたち

それからは現地の人たちの視点に立ち、少し肩の力を抜いて活動。「体育の楽しさを伝えたいなら、何より自分が楽しまなくては」と、子どもたちと一緒に体育を楽しむことを心がけました。

帰国する頃には、生徒や教師が体育の授業を楽しみにしてくれるようになり、校長からは「『体育より、お前がバヌアツに2年間いてくれたことが俺たちにとって重要なことだった』」と声を掛けられ、浦職員は「押し付けるのではなく、現地でそこに住む人たちと一緒に考えることが大事。多くを学んだのは、自分の方でした」と振り返ります。

世界に広がるスポーツを通じた開発支援

五輪応援企画のセミナーで講演する浦職員

JICAは現在、スポーツは平和構築や相互理解などにつながるものとして、小・中学校で使う教材や教員の指導書の開発、教員をはじめとする人材育成、海外からの研修員の受け入れなど、スポーツを生かしたさまざまなアプローチで開発支援に取り組んでいます。

1965年からJICA海外協力隊として派遣された全職種のうち約1割が、体育、野球、柔道、サッカーなど、体育・スポーツ分野の隊員で、これまで91ヵ国4000人以上を派遣してきました。

スポーツの効果は数値化しにくいという難しさがある一方で、浦職員は自身のアメリカンフットボールの経験から、「スポーツをきっかけに、途上国の若者の社会参加への啓発活動につなげたり、スポーツのルールなどを通して公正さや平等の精神を培ったりすることができます」と語ります。

かつて、スポーツは「国際交流」という考えが一般的でしたが、この10年間でその考え方は大きく変わったと言う浦職員。「JICAが取り組む「『スポーツと開発』は東京でのオリンピックを通過点とし、その後のSDGsの達成に向けて国際的にも注目されています。スポーツは、子どもたちも高齢者も障害者も、誰もができる活動です。だからこそ、SDGsの目標である「誰一人取り残さない」の実現に、スポーツの力を役立てることができると信じています」。

プロフィール
浦 輝大(うら てるひろ)
大阪府出身。高校・大学・実業団でアメリカンフットボールをプレー、2003年に実業団チームで日本一になり、32歳で引退。2007~2009年、青年海外協力隊(体育隊員)としてバヌアツに派遣され、その後、イギリスのボランティア団体、JICA多摩地区デスク国際協力推進員、「スポーツ・フォー・トゥモロー・コンソーシアム」事務局を経て、2018年9月より現職。

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