ウズベキスタンに「盲ろう当事者専門家」を派遣

2013年12月2日

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盲ろう者自身が街歩きをしてアクセスチェックを行う(ウズベキスタン、タシケント)

12月3日は、国際障害者デー。1982年12月3日に国連総会で「障害者に関する世界行動計画」が採択されたことを記念して、この日が制定された。JICAは、障害当事者と社会への双方への働きかけを重視して、当事者が社会変革の行動の主体となることを意味する「エンパワメント」と、社会のあらゆる場に障害者に配慮した視点を組み入れる「メインストリーミング」の二つのアプローチに力を入れ、障害者を含む「すべての人々が恩恵を受ける、ダイナミックな開発」というビジョンの実現に向け、さまざまな国で障害者と共に取り組みを進めている。

支援の手が届きにくい存在

盲ろう者と触手話を用いてコミュニケーションする福田専門家(左)。福田専門家は脳や脊髄が侵される多発性硬化症のため、現在は人工呼吸器と車いすも利用している

「まずは、私たちがどういった状況にあるかを理解してもらうことが重要だと思う。私は、通訳・介助者(盲ろう者専門支援員)の手を離したら、真っ暗で何も聞こえない。周りに誰がいるか、何があるか、自分がどこにいるかもわからない。触読式の触ってわかる時計がなければ、時間もわからない。触覚やにおいで感じることもあるが、盲ろう者は通訳・介助者を通して、見えないものを見て、聞こえないものを聞いているのです。通訳・介助者は、朝ご飯に何が並んでいるかの説明から始まり、ありとあらゆる情報を盲ろう者に伝えています」と語るのは、盲ろう当事者の福田暁子専門家だ。

視覚と聴覚の両方に障害がある「盲ろう者」は、移動や情報入手に大きな困難が伴い、支援の手が非常に届きにくい存在とされている。国や環境により差異はあるものの、一般的に人口数千人〜1万人に対し、一人の割合で存在するといわれており、社会福祉法人全国盲ろう者協会の行った調査によると、国内に2万3,000人いると推定される。このうち、支援制度やサービスを活用しているのはわずか5パーセント程度といわれている。

盲ろう者として世界で最も有名な存在は、米国のヘレン・ケラー(注1)だろう。20世紀の社会・障害者福祉の在り方に大きな影響を与えた偉人の傍らには、映画「奇跡の人」のサリバン先生として知られるアン・サリバン(注2)の存在があった。家に閉じこもりがちになってしまう盲ろう者の自立と社会参加を促進するため、とりわけ盲ろう者自身のコミュニケーション方法の体得や、通訳や介助のできる人材の育成と確保が必要とされている。

JICA初となる盲ろう当事者専門家として

会場となったホテルは多くの参加者の熱気に包まれた

10月上旬、福田専門家と、全国盲ろう者協会の専門家として幅広く活動する、盲ろう当事者の村岡美和専門家の二人は、4人の通訳・介助者と身体介助者を伴い、中央アジア、ウズベキスタンの首都タシケントに降り立った。これまでもJICAは、青年海外協力隊員やシニア海外ボランティア、専門家としての障害当事者派遣に力を入れてきているが、盲ろう当事者の派遣は初めてとなる。

これに先立つ2011年に、JICAは、中央アジア4ヵ国から7人の研修員を日本に招き、各国の障害者団体の組織を強化する目的で「障害者のメインストリーミングおよびエンパワーメント促進」研修を実施している。そのフォローアップ協力の一環で、今回、盲ろう当事者専門家を送り、ウズベキスタンで研修を実施することになった。

ウズベキスタンでは、人口2,700万人のうち、80万人以上が障害者であるとされている。中でも、盲ろう者は家族以外の誰からも知られることなく、家に閉じこもったままひっそりと暮らしている人がほとんどで、コミュニケーションがうまく取れないために、追い詰められた家族が、盲ろう児と共に自殺するといった悲劇も実際に起こっている。

研修の前に、まず、タシケント州とフェルガナ州で盲ろう者の現況調査を実施。調査結果を基に、「盲ろう当事者のエンパワメント」「盲ろう者に対する通訳・介助の基礎的な知識・技術の移転」「盲ろう者の支援組織のネットワーク構築」を三本柱とした研修の活動計画を策定した。

社会参加の足がかりに

通訳・介助実習で、盲ろう者(中央)と共に実際に階段を上り下りする参加者

10月8日にタシケントで行われた公開セミナーには、ウズベキスタンのろう者組織、視覚障害者組織、政府機関などから100人以上が集まった。そのうち、半数以上が、タシケント以外のサマルカンド、ブハラ、フェルガナといった地方からの参加者だった。

セミナーでは、村岡専門家が手話で話すと、通訳・介助者が読み取り日本語音声にする。それを通常の通訳者がロシア語とウズベク語に通訳。その上で、ウズベキスタンの手話通訳者がウズベク手話にするという手法で会場内の意思疎通が行われた。さらに、盲ろう者に関する日本のビデオや、盲ろう当事者専門家自身の日常生活を素材にしたビデオや写真を用いて、日本の盲ろう者の実情や支援制度の課題なども紹介。「盲ろう者が社会で生きていくためには」に始まり、ウズベキスタンでの支援制度構築まで、熱のこもった議論が交わされた。

目隠しとヘッドフォンを装着し、盲ろうという状態を疑似体験するセミナー参加者ら


また、その後3日間にわたって開催された「通訳・介助者養成講座」では、これまでウズベキスタンではほとんど知られていなかった、触手話、弱視手話、手のひら書き、指点字といった、盲ろう者のさまざまなコミュニケーション方法や、盲ろう者に対する通訳、移動介助の方法などが、理論と実践を交えて指導された。参加者は皆熱心に聞き入り、21人の通訳・介助者の卵が誕生した。

触手話などでの触れ合い

盲ろう者に白杖指導をする村岡専門家(右)。村岡専門家は少し視力が残っているので、慣れた場所なら可能な範囲で単独で行動しているが、なじみのない場所は通訳・介助者が必要

セミナー、講座に先立つ10月5〜7日には、盲ろう児・盲ろう者実態調査(ワークショップ)が行われ、ウズベキスタン各地から17人の盲ろう児・盲ろう者が参加。触手話などを用いて両専門家と参加者が直接触れ合う機会も設けられたほか、白杖を使った歩行指導なども行われた。タシケント市内から参加した盲ろう者のソジダ・タジエヴァさんは、「普段は家でじっとしているしかないが、今回の活動に参加し、たくさんの人に出会えて、新しいことをいろいろと知ることができ、本当にうれしかった。周りの人が触手話で状況を通訳してくれて、日本から来た盲ろう者とも交流できたことは本当に貴重な経験になった」と述べた。

村岡専門家は「今回苦労したのは、ウズベキスタンに同行する通訳・介助者の確保。私たちは、常に通訳・介助者に近くにいてほしいが、実際は、家庭や個人の事情もあり難しい。今回は9日間という長期間の派遣だったため、通訳・介助者の確保は本当に苦労しました。また、タシケントは街中でも歩道がガタガタであったり、日本と比べても不便だということがわかりました」「一番うれしかったことは、外出をあきらめて、表情も暗かったウズベキスタンの盲ろう者が、セミナーを通じてうそのように笑顔になっていったことです。これまで全国盲ろう者協会は、国内外で盲ろう者福祉の支援を行ってきました。また、国内では『通訳・介助者の養成』を支援してきましたが、国際協力までは至りませんでした。それが今回実現できたことは、大きな喜びです」と語った。

盲ろう者自身が明るく積極的に

養成講座参加者(右)が、実際に盲ろう者に通訳

最終日には、通訳・介助者養成講座の受講生による通訳・介助を受けながら、盲ろう者自身が自らの意見を積極的に発信し、他の盲ろう者の発言を通訳・介助者の通訳を介して理解できるまでになった。当初は表情に乏しかった参加者も明るく積極的になった。タシケント市在住の盲ろう者トゥルグン・ムスタキモフさんは、「日本の盲ろう者は自立して社会に参加していることを知り、とても勇気づけられた。自分も、点字や新しい技術をもっと学びたい」と意欲を示した。また、盲ろう者自身から「日本と同じように、ウズベキスタンにも『全国盲ろう者協会』が必要だ」といった意見も出た。

福田専門家は、「私は発声することができるが、盲ろう者が100人いたら100人とも違う。読み書きの力も方法も、年齢も、言語や手話などのコミュニケーション方法も違う。今回は、日本から二人の盲ろう当事者が参加したので、その多様性も理解してもらえたのではないでしょうか」と述べた。村岡専門家は「次に私たちを必要とする国があれば、またお手伝いできればうれしい」と言う。

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養成講座を修了した通訳・介助者の卵たちと(前列、右から6人目が村岡専門家、その左が福田専門家)

今回の活動を通じ、これまで知られていなかったウズベキスタン国内の多くの盲ろう者の存在が明らかになり、支援の手を差し伸べる組織のネットワークの素地が形成された。今後もJICAは、関係者のフォローアップを通じて、現地盲ろう者支援団体の立ち上げや、通訳・介助者の養成講座の実施、盲ろう者の定期的な交流などを検討していく。


(注1)1880年、米国アラバマ州生まれ。2歳のときに高熱で、聴力、視力、言葉を失う。アン・サリバンの熱心な指導を受けてコミュニケーション方法を獲得し、世界各地を歴訪し、生涯を通じて身体障害者の教育・福祉に尽くした。
(注2)1866年、米国マサチューセッツ州生まれ。日本では「サリバン先生」の名で知られている。50年にわたり、教師、友人としてヘレン・ケラーを支え、共に社会福祉活動に従事した。自身も視覚障害者。