【国際協力60周年】中国医療の最前線を担う中日友好病院開院30周年記念式典の開催

2014年11月26日

10月23日、中国の北京で「中日友好病院」の開院30周年記念式典が開催され、日本側からは木寺昌人駐中国特命全権大使、柳沢香枝JICA理事をはじめ、中日友好病院に派遣された元JICA専門家やボランティアなどが、中国側からは歴代の病院長や国家衛生計画生育委員会幹部などの政府関係者が出席した。式典で王辰(おう・しん)中日友好病院院長は、「中日友好病院は、1984年当時最も国際的、先進的な病院として日本の援助で設立された。日本からはその後長年にわたり支援を受け、大変感謝している。今後は伝統と社会的責任を胸に、病院の長期的な発展や人材育成などの課題に取り組んでいく」とあいさつした。

中日友好病院は、現在では中国最高レベルの「三級甲等医院」と認められ、内陸部の後進医療地域の人材育成の拠点ともなっているが、現在に至るまでには、技術力とホスピタリティー精神で築き上げた日中の医療関係者の努力の軌跡があった。

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中国側の招待を受けた木寺特命全権大使、柳沢JICA理事ほか多数の日本の関係者が出席し式典は執り行われた

ゼロからのスタート

トウモロコシ畑の真ん中に先端医療をリードする近代的な病院が建設された

日本に中日友好病院建設の要請があったのは、1970年代後半、日中国交回復後の時代のこと。医療の遅れなどの問題を抱えていた中国は、保健医療サービスの近代化を進めるべく、漢方を使った中国伝統医学と西洋医学を融合させる場として新たな病院建設を決定した。要請を受けた日本は、まず無償資金協力によって建設を支援した。

そして1984年10月23日、北京の郊外に、最新の医療機器、医療設備を備えた中日友好病院が開院した。当時の北京には、協和病院や北京大学付属病院など、歴史があり、市民にもよく知られた病院があった。一方で中日友好病院は、開院式典は大きく報道はされたものの、中心部からの交通の便もそれほどよいとはいえず、認知度も低い。「中日友好病院で受診してください」と呼び掛けても、患者はなかなか集まらない。「閑古鳥が鳴いていた」と、病院関係者は当時を振り返る。全国各地の病院、医科大学から多数の医療人材が集められたにもかかわらず、患者が少なすぎてチームとして機能せず、最新の医療機器があっても検査すらできなかった。

共に築き上げてきた道のり

日本人医師がきめ細やかな医療技術の指導を行った

中日友好病院に求められていたのは、近代的総合病院に必要な経営マネジメントや医師、看護師の技術力だった。病院建設と並行して1980年に、医療関係者を対象にしたJICAの技術協力が始まった。千葉大学、順天堂大学など、日本全国の医療機関の協力を得て、「中日友好病院国内支援委員会」が発足し、医師、看護師などが専門家として交替で現地に入り、カルテの書き方、検査手技、外来診療、手術ノウハウなど、さまざまな技術を移転した。また、中日友好病院の多くの医療関係者が日本で研修を受けた。

協力開始当初は、日本と中国の国情の違い、思想や社会体制からくる違いに双方が戸惑い、意見の対立や衝突も少なくなかった。万人が等しく診察を受けることを目指し、診察料金を最大限引き下げるべきだとする日本側の主張に対し、病院のステータスや検査試薬など、維持管理費用を捻出するためにはある程度の料金はやむを得ないとする中国側の主張との食い違いや、日本にはない「治療費の前払い制」を巡る議論もあった。

一方で、日中の専門家が共に、検査用試薬を確保するために奔走したり、供与機材を常に清潔に保とうと残業をいとわずに手入れをしたりする中で、次第に信頼関係が育まれた。JICAの中日友好病院に対する技術協力は12年間に及び、派遣専門家数は延べ166人、日本で受け入れた研修員は234人、青年海外協力員の派遣も14人に上った。

名実共に中国最高峰の病院へ

2008年、四川大地震の被災地で無料診療活動を行う中日友好病院の医師たち

こうした日中双方の努力が実り、2003年重症急性呼吸器症候群(SARS)発生時、中日友好病院はSARS感染症対策病院として多数の救急患者を受け入れた。2008年には中国政府公認の「北京オリンピック指定病院」となり、世界各国から集まった選手、コーチ、関係者の診察を一手に引き受けた。同じ年に発生した四川大地震以降、大きな自然災害が起こった際に関係者が緊急医療派遣チームに参加したり、テレビ会議システムを利用した手術指導で内陸部の医療向上に貢献したりするなど、現在では中国医療の先端を担う存在となっている。

農村部でも無料診療を行っている

また北京市内で最初に、患者の待ち時間を短縮するために予約診療を実施。予約専用電話の設置や自動受付機の導入、休日診療や診療時間の延長も開始した。「こうした患者へのきめ細かな配慮も日本から学んだものだ」と病院関係者は言う。

中国全土の保健セクターのJICA帰国研修員同窓会の事務局機能も中日友好病院が担い、同窓会活動として自然災害の被災地や貧困農村地域での無料診療活動などを主体的に実施している。東京大学、慶応義塾大学などの日本の主要大学の付属病院と戦略的協力関係を構築する一方で、アフリカ諸国の医師の研修を実施するなど、開発途上国の医療機関との関係も深めつつある。

開院30周年を迎えて

中日友好病院が30周年の記念式典で掲げたスローガンは、論語になぞらえた「而立(じりつ)」、すなわち「三十にして立つ」である。記念式典であいさつに立った木寺駐中国特命全権大使は、同じく式典に参加した柳沢JICA理事が1984年10月23日の開院当日、JICA中国事務所の案件担当者として中日友好病院の開院式典に参加していたことを紹介。会場は温かい拍手に包まれた。

また、1986〜1987年に中日友好病院プロジェクトのJICA専門家であった喜多悦子笹川記念保健協力財団理事長、平松信哉元青年海外協力隊隊員(歯科技工士として1989〜1991年に派遣)、大西幸子元隊員(言語聴覚士として 1994〜1996年に派遣) には、それぞれ当時のカウンターパートや教え子が随行し、当時の思い出やその後の変化を和やかに語り合った。

式典の模様は中国メディアでも広く報じられ、中国共産党系機関紙「人民網」は、国交正常化以来、日中間の保健医療セクターで各種の協力が行われたことや、中日友好病院の成果を詳報した。