ブラジル和太鼓チームが日本の全国大会に出場——その陰に「日系社会シニア・ボランティア」の貢献あり!

2015年4月23日

「日本の全国大会でも、ブラジルチームもアルゼンチンチームも堂々と演奏できた。本番に強い。相撲のように、和太鼓の世界でも外国人が活躍する時代がくるかもしれない」。「日系社会シニア・ボランティア」(注1)としてブラジルに派遣され、和太鼓の指導に当たった蓑輪敏泰さん(66歳)は語る。

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大会で演目を披露するブラジリア光太鼓のメンバー(写真提供:日本太鼓財団)

8年にわたるボランティア活動の成果

蓑輪さんが手塩にかけて育てたブラジルの和太鼓チーム「ブラジリア光太鼓」が、3月22日、長野市で開催された和太鼓の全国大会「第17回日本太鼓ジュニアコンクール」(公益財団法人日本太鼓財団主催)に出場した。日本の都道府県代表など52チーム、台湾のチームともに内閣総理大臣賞を競った。

大会には蓑輪さんが出張指導に当たったアルゼンチンの「日亜学院・ブエノスアイレス太鼓」も特別出演。「ブラジリア光太鼓」は長野市長賞と国際友好賞、「日亜学院・ブエノスアイレス太鼓」は国際友好賞を受賞した。

「ブラジリア光太鼓」は、昨年8月、安倍晋三首相がブラジルを訪れた際、日本大使館で行われた歓迎セレモニーで和太鼓の演技を披露し、首相から激励を受けた。蓑輪さんの3回のボランティア派遣、8年にわたるブラジルでの活動の賜物だ。

なぜブラジルで和太鼓?

ブラジル太鼓協会があるサンパウロのリベルダージ地区は東洋人街と呼ばれる(写真撮影:久野真一)

日本からブラジルへの出稼ぎ移住が始まったのは、1908年(明治41年)にさかのぼる。コーヒー農場などで働き、一旗揚げようと海を渡ったものの、マラリアなどの熱帯病に苦しんだり、害虫の大量発生で作物が全滅したりするなど、劣悪な環境に直面した。

そのような試練を乗り越えて、現地での地位を高めてきたのが、移住した日本人とその血を引く日系人だ。世界各地で暮らす日系人は約285万人で、そのうち150万人以上がブラジルに暮らしているといわれる。「ジャポネス・ガランチード(信頼できる日本人)」と呼ばれ、今や農業だけでなく、政財界などさまざまな分野で活躍している。

日系社会の人々は、日本から遠く離れた土地で、日本の教育や文化を守り、育てるとともに年中行事などを大切にしてきた。しかし移住開始から100年を超え、日本語が話せない3、4世も増えてきている。JICAは1986年から「日系社会青年ボランティア」、1991年から「日系社会シニア・ボランティア」を派遣し、日系社会における日本語教育や高齢者福祉、日本文化の継承などを支援している。その一つが、和の心を伝える和太鼓だ。

ブラジルでの和太鼓の普及は、2002年にJICAボランティアとしてブラジルに初めて指導者が派遣され、各地で巡回指導を行ったことがきっかけ。各地の日系社会に太鼓チームが結成されていった。蓑輪さんが2代目の指導者としてブラジルに派遣されたのは2007年。2008年の「ブラジル日本移民100周年祭」記念事業「千人太鼓」の実施を控えて、太鼓人口が急増していた。現在のブラジル太鼓協会所属会員は60チーム、2,000人(注2)程度。昨年のブラジル大会ジュニア部門には19チーム、約200人が参加。「ブラジリア光太鼓」が優勝して、日本行きの切符を手にした。

和太鼓とともに歩んだ30年

ブラジルで指導に励む蓑輪さん(奥)(写真撮影:久野真一)

蓑輪さんは宮崎県串間市出身。進学のために上京し、卒業後は東京で就職。経済的余裕がなく、帰省できなかった夏休みに盆踊りを眺めていた。「やぐらの上での和太鼓の一人打ちを見て、やってみたいと思った」と言う。

数年後に帰郷。町から盆踊りが消えていた。多くの若者が都会に出てしまっていたからだ。37歳の時、町おこしの一環として和太鼓チームを結成。2年後、20年ぶりに町に盆踊りを復活させた。以来30年にわたって和太鼓とともに人生を歩むことになる。中学校の非常勤講師、農業、塾経営と3足のわらじを履きながら、週末を太鼓チームの活動に当て、太鼓の腕を磨いていった。チームで台湾やシンガポールに演奏に出かけたこともある。それがJICAボランティアに志願するきっかけとなった。

蓑輪さんがJICAボランティアとして最初にブラジルに派遣された期間中の2008年6月、「ブラジル日本移民100周年祭」に合わせてブラジルを訪問した皇太子殿下の前で、日系ブラジル人とブラジル人1,187人の打ち手による「千人太鼓」の演技を披露した。その演技はテレビ中継され、ブラジル全土が感動に包まれた。ブラジルでの功績が評価され、蓑輪さんは、過去44人しか認定されていない日本太鼓財団の一級公認指導員の資格を取得した。

帰国後の2010年9月、蓑輪さんは文化庁から日墨交流400周年の文化交流使としてメキシコに派遣されるなど、活躍の場はブラジルに留まらない。それまでの活動が評価され、2011年10月、宮崎日日新聞社国際交流賞を受賞している。

南米から東北の復興を後押し

太田市のブラジル人学校で演奏(写真提供:日本太鼓財団)

JICAボランティアとして2度目の派遣(2011年7月〜2013年11月)を控えていたとき、東日本大震災が発生。その後、蓑輪さんは毎年、復興を応援する太鼓曲を作曲している。「遠く離れた南米から復興を後押しする力強い響きを届けたい」という思いから、毎年7月に開催される和太鼓のブラジル大会の課題曲とし、出場チームが演奏している。

その復興を応援する曲を、今回、日本で演奏する機会を持った。蓑輪さんが来日したブラジル、アルゼンチンの両チームと共に、南米出身者が多く住む群馬県を訪問したときのことだ。メンバーは太田市のブラジル人学校「コレジオ・ピタゴラス・ブラジル」、大泉町の「大泉町文化むら大ホール」で和太鼓の演技を披露したり、叩き方を教えたりするなどして、日本に住むブラジル人の子どもたちと交流した。

ブラジルに新たな指導者を求む

日本出発前の空港で。ブラジリア光太鼓チームと蓑輪さん(後列左から3人目)(写真提供:ブラジリア光太鼓)

蓑輪さんは2014年7月から、3度目のブラジル派遣中だ。その熱心な指導は、ブラジルの人々から厚い信頼を得ている。JICAボランティア派遣期間中以外も、現地から請われてブラジルに赴くこともある。

「和太鼓の技術だけでなく、日本の文化についても学びました。もらえるのはいつもヒントだけで、後は自分の力でやる、そう感じさせる指導方法です。厳しいけど優しい先生」。サンパウロ州ツパン市で蓑輪さんの指導を受けたマツモト・フェリッペさんは言う。

日本語の作文やスピーチコンテストの題材に太鼓や太鼓指導を通じて学んだ日本の習慣を選ぶ子どもたちも多いという。蓑輪さんの指導が子どもたちに強い印象を残している証拠だ。また何らかの形で日本文化を継承してほしいと願う日系人の両親は熱心で、日本文化への強い思い入れがある。

日本の約23倍の国土を持つブラジルを駆け回って、巡回指導を続けてきた蓑輪さんが指導したチームは80に上る。総移動距離は34万キロメートル、実に地球を8周半したことになる。チームの構成年齢は14〜18歳のジュニアチームがほとんどで、進学などの理由からリーダーの入れ替わりも激しい。リーダー育成研修は毎年2回の実施が必要で、一人では指導が行きわたらないというのが実情だ。

さまざまな流派の打ち方を勉強して技術を伝えてきた蓑輪さんだが、「ブラジルで今まで積み重ねてきた、和太鼓を通しての礼、節、和、そして感謝の心を絶やさないためにも、日本からの新しい指導者が必要。新風を吹き込んでほしい」と訴える。

JICAは現在、和太鼓指導を行う「日系社会青年ボランティア」を募集している。資格は指導員三級以上。ブラジルで和太鼓の指導に情熱を傾けることができる人材の応募を期待している。

(注1)JICAボランティアには、20〜39歳の方を対象とした「青年海外協力隊」「日系社会青年ボランティア」、40〜69歳の方を対象とした「シニア海外ボランティア」「日系社会シニア・ボランティア」の4種類がある。「日系社会青年ボランティア」「日系社会シニア・ボランティア」は中南米の日系人社会で活動する。
(注2)非加盟のグループも150以上あるため、実際の太鼓人口はもっと多い。