人々が争いを止め、コミュニティーが再生される日まで

−落合直之JICA職員−

2012年6月8日

落合直之JICA職員(48歳、横浜市出身)(以下、敬称略)が、フィリピン、ミンダナオ島のコタバト市に本部を置くミンダナオ国際監視団(International Monitoring Team: IMT)(注1)に赴任して、約1年半が経過した。

【画像】

IMT本部のメンバーと共に(前列右から2人目)。本部入口には「TOGETHER WE MAKE IT HAPPEN(共に成し遂げよう)」とのスローガンが掲げられている

IMTには、停戦監視、市民保護、人道支援、そして日本が担う社会・経済開発支援の四つの柱がある。落合は、JICAから外務省に出向し、復興・開発担当上級アドバイザーとしてIMT に勤務。1日24時間、週7日間、さまざまなステークホルダーからの情報収集と調整に努め、現場に赴き援助ニーズの確認や、ODA事業のモニタリングと促進など、ミンダナオ紛争影響地域の社会・経済開発に取り組んでいる。

数世紀にわたる闘争の歴史

緑の地域が、ムスリム・ミンダナオ自治区

IMTの発足の経緯を知るには、ミンダナオの闘争の歴史をひも解く必要がある。まず、ASEAN唯一のキリスト教国で、人口約9,400万人のフィリピンという国。83パーセントがカトリック、10パーセントがその他のキリスト教、そして、人口の5パーセントを占めるイスラム教徒の「モロ人」が拠点としているのがミンダナオ島だ。その面積は、首都マニラを擁するルソン島に次いで2番目に大きい9万4,630平方キロメートルを誇る。

フィリピンでは、15世紀、ミンダナオ島南西に位置するスールー諸島を中心にイスラム教国のスールー王国が栄えた。以後、マゼラン率いるスペイン艦隊が来航し、フィリピンは徐々にスペインの植民地となる。これに伴い全土でキリスト教への改宗が進んだが、ミンダナオ島南部はイスラム勢力が強く、スペインの力も及ばなかった。第1次世界大戦後には、ルソン島やビサヤ諸島から多数のキリスト教徒がミンダナオに移住。1960年代末から独立を求めるモロ民族解放戦線(Moro National Liberation Front :MNLF)などのグループと、フィリピン国軍による紛争が勃発した。

占領、搾取にあらがう戦いの歴史

1990年には、ムスリム・ミンダナオ自治政府が設立されるが、紛争の影響で、社会と経済は壊滅状態にあり、その貧困率は65パーセント前後に達した。1996年に政府とMNLFが和平合意を締結した後も、同グループから分離したモロ・イスラム解放戦線(Moro Islamic Liberation Front: MILF)や、勢力を拡大した反政府グループとの間で武力衝突が続いた。

落合は「自治区では依然として、不正義・不公平が存在しています。MILFが主張するバンサモロ(注2)の民族自決権の獲得の意味がここにあります。イスラム・ミンダナオの歴史は、フィリピンの歴史の中でも、占領と搾取、それにあらがう戦いの歴史であり、貧困問題を解決すればミンダナオ紛争が解決するというわけではありません。MILFはそうしたバンサモロを代弁して、不正義と貧困に対して戦っているのです」と語る。

J-BIRDの文字を旗印に

IMTに加わっている国々の中で、日本だけが援助の名称に「バンサモロ」の文字を掲げている

MILFとフィリピン政府は2003年に停戦合意に至り、現在、和平合意に向けた交渉が続けられている。2010年に就任した、ベニグノ・アキノ3世大統領は、ミンダナオ和平に優先的に取り組む決意を繰り返し表明し、2011年8月には、東京でMILFのアル・ハジ・ムラド議長と非公式会談を行うなど、交渉は大きく進展した。

「日本は『国際コンタクト・グループ』(注3)の一員として、ミンダナオ和平当事者双方に対して助言を行っているほか、オブザーバーとして和平交渉に直接関与しています。IMTに要員を派遣し、日本大使館とJICAを通して『JapanBangsamoro Initiative for Reconstruction and Development: J-BIRD』の旗の下、技術協力、有償資金協力、草の根無償資金協力などを用いて、和平プロセスに貢献するための社会・経済開発援助を行うなど、日本政府による和平合意前からの、政治レベルと開発レベルにおける平和構築への取り組みは、JICAとして初めての事例であり、画期的な好例といえます」と落合は言う。

J-BIRDの協力で開設された女性職業訓練所で縫製を学ぶバンサモロの女性たち(マギンダナオ州)

「アキノ大統領とムラド議長との歴史的会談が日本で開催されたことを見ても、日本政府が当事者双方から絶大な信頼を得ているのは、これまで地道に続けてきたJ-BIRDによる協力の成果があるからこそともいえます。コミュニティーレベルでこつこつと実施してきたインフラ整備やキャパシティー・ビルディングが、民生安定と社会・経済開発に貢献し、和平交渉継続の下支えとなっていることは間違いないのです」と、手応えを感じている。

ヨルダンでイスラム世界に身を任せる

1991年にJICAに入る。フィリピン事務所への赴任、JICA本部でのフィリピン担当課長など、これまで合計13年間、直接フィリピンにかかわってきた。1996年の政府とMNLFの和平合意締結後には、JICAとして何ができるのかを関係者と相談するため、幾度となく紛争影響地域の中心にあるコタバト市に赴き、ミンダナオの紛争にかかわるようになった。当時は、治安が不安定だったので、多くの国軍兵士の護衛付きでの訪問だった。

1998年に帰国後、開発と紛争の関係に興味を抱き、法政大学大学院であらためて政治学を学び、修士号を取得。その後、フィリピン事務所での勤務を希望したが、赴任先は中東のヨルダン事務所だった。「アラブの国にはそれまで出張でも行ったことはなく、正直戸惑いました。アラビア語もしゃべれず、アラブ文化に対する理解もなかった。結局、ヨルダン事務所に3年半勤務し、その間どっぷりとイスラム世界に身を任せたのです。モスクの真向かいに住んでいたので、日に5回、大音量で流れるアザーン(コーランのお祈りの声)を浴びる毎日でした。ヨルダンでイスラム教に真正面から接し、イスラム教徒と仕事や娯楽を共にしながら多くを学びました。今振り返れば、ミンダナオのイスラム教徒の輪の中に自然に入っていけるのも、この経験が大きかったのだと思います」。

ボーイスカウトから洞窟探検へ

農業案件モニタリングで、地元農民にインタビューを行う。(右端・マギンダナオ州)

IMT勤務は自ら志願した。ミンダナオ支援の最前線で働きたいとの思いはもちろんだが、子どものころから慣れ親しんできた団体生活への適性を踏まえてのことだ。また、一介の開発援助ワーカーとして、和平合意が達成される前から、社会・経済開発支援を行う試みに挑戦してみたいとの思いもあった。

小学生でボーイスカウトに入隊。規律に基づく団体生活をたたき込まれた。高校時代は山岳部で登山に明け暮れ、大学では「スポーツと知的な学術調査の側面を併せ持つ総合活動」という洞窟(くつ)探検に身を捧げる。地形図、地質図、過去の調査報告書などを考察して、新しい洞窟の存在を予測。実際に山中に赴き、洞窟の入口探査を行う。洞窟を発見すれば、内部を探検し、竪穴、水流、狭部などの形態を、時にはロッククライミングやダイビングの技術を活用し確認。内部を測量して地図を作成したら、内部の測量と成因調査を行い、総合調査報告書をまとめ、学会に報告する。加えて、調査合宿を円滑に実施するための、交通、食料、装備などのロジスティックスを整える。

洞窟探検をはじめとする、団体での野外活動を通じて経験した、多種多様な人々と協働し、共通の成果を得るという行為の積み重ねが、現在のIMTでの任務につながっていると落合は考えている。軍人が大半を占め、治安の問題で自由に外出もできず、いつも周りに誰かがいるような環境に自然に入り込めるのも、団体行動や合宿活動に慣れているおかげなのだ。「愛と気合いと想像力をモットーに、ひたすら現場を這いずり回る。私は『地べた派』ですから」と、照れながら付け加えた。

塩の効いた干し魚とIMT

IMTはフィリピン政府の予算で運営されている。年度内に予算が成立しないと、合宿所での食事内容にまで影響が及ぶことも。「実際、今年の2~3月は、おかずが一品減ったり、フィッシュカレーの具が鮮魚から塩の効いた干し魚になったりしました。当地でもさすがに、干し魚をカレーに入れたりしないので、調理人(フィリピン人)の究極の選択だったのでしょうね」。カレーの味はさておき、おもしろおかしく受け止めている。

内戦で破壊された北コタバト州ピキット町のブアラン小学校は、J-BIRDの草の根無償資金協力により校舎が再建された

2008年に218件を数えた停戦合意違反事例は、2011年には、わずか4件にまで激減した。武器を持たずモニタリングを行うIMTは、まだ争いの芽が小さいうちから、関係者に適切な助言と、場合によっては警告を発する。たとえ丸腰でも、IMTが一部始終を「見ている」ということが、争いがエスカレートしないための抑止力となっている。

「日本からわずか4,000キロメートル南のフィリピンという隣国の中に、日本人には想像し難い不正義と貧困に覆われた『イスラム・ミンダナオ』があります。一人でも多くの日本人にその実態を知ってもらい、バンサモロの人々の苦難を共有してもらえればありがたい。それを伝えることが、私の仕事の一つだと思っています」

落合は今日も変わらず、ミンダナオの現場を駆けずり回る。



(注1)2003年のフィリピン政府とMILFの停戦合意を受けて発足。現在は、マレーシア、ブルネイ、リビア(政変により帰国中)、日本、EU、ノルウェー、インドネシア(派遣準備中)の派遣員で構成されている。日本は、社会・経済開発促進に向けた、開発ニーズの調査、具体的案件の発掘・形成・実施・モニタリングなどを担う。
(注2)BANGSAMORO:モロ民族、イスラム教系の民衆。
(注3)International Contact Group::ICG。英国、サウジアラビア、トルコ、日本と四つのNGOから構成される国際的な助言枠組み。