「ブレークスルー」でインドの製造業に変革をもたらす

−司馬正次VLFMプロジェクトチーフアドバイザー−

2012年7月31日

プロジェクトのロゴが入ったポロシャツを手にする司馬。ブレークスルーを実現するための「第3の眼」を表すイラストが描かれている

日本のものづくりの真髄を伝えるJICAの「インド製造業経営幹部育成(Visionary Leaders for Manufacturing : VLFM)プロジェクト」。インドの製造業に変革をもたらす人材を育てることが狙いだが、これに参加した企業の幹部が、BOP(Base of the Pyramid)層向けの簡易型冷蔵庫「チョットクール」を開発して2012年エジソン賞(注1)を受賞、世界の注目を集めている。プロジェクトの司馬正次チーフアドバイザー(筑波大学名誉教授)(以下、敬称略)は、このほど、インドの製造業の発展に対する功績が認められ同国政府から国家最高勲章「パドマ・シュリ章」を授与された。

ものづくりは科学

「ものづくりは科学だ」というのが司馬の持論だ。その考え方の根本にあるのは、戦後の復興と経済発展に取り組む日本が、「日本のやり方は科学的でない。勘と経験だけだ」と欧米から批判されたことだ。その言葉が、当時12歳だった司馬の心に深く刻まれ、「いつかそんな批判を返上させてやる」と思った。

その後、東京大学に入り統計学に出合った。講義の内容は、日本に統計学的な品質管理を持ち込み、「ものづくり日本」の発展に貢献した米国の統計学者、ウイリアム・エドワーズ・デミングの流れをくんだもの。「これこそ科学だ」と、その魅力にはまった。大学では、全学部の統計学の講義を聞き、学外の研究機関にも足を運んで徹底的に統計学を学んだ。生物系の修士課程を修了後、北海道大学で教べんを取りつつ経済学の研究を深め、母校の東京大学で博士号を取得した。

1990年、米マサチューセッツ工科大学(MIT)客員教授に就任。後に併任教授となり、米国製造業の発展に大きく貢献した「Leaders for Manufacturing」(LFM)プログラム(注2) で15年間教えた。2004年からは、2年間にわたり、インド工業連盟と共にVLFMプロジェクトの原型となるプログラムを同国で実施。その成果を全国に広めたいとインド政府から日本に協力要請があり、2007年にJICAのプロジェクトとしてスタート、司馬はそのチーフアドバイザーに就任した。上級経営幹部、中級経営幹部、社長、中小企業育成の四つのコースがあり、プロジェクトの参加者は800人を超える。

スモールmとビッグM

VLFMプロジェクトの講義風景。研修の参加者は皆、顧客に対する尊敬の念を示すために、常にいすに浅く腰掛けるよう指導されている

司馬は、インドの製造現場の問題点として、「GDPに占める製造業の割合の少なさ」(国レベル)、「狭義の製造業への依存」(企業レベル)、「ブレークスルー(現状打破)という考え方の欠如」(個人レベル)の三つを挙げ、プロジェクトを通じてその解決に取り組んでいる。

GDPに占める製造業の割合については、16パーセント(2011年)から10年間で25パーセントに引き上げ、1億人の雇用を創出するという国家目標があり、その実現に向けて取り組んでいるが、「インドのような大国は、サービス産業だけでは雇用が生み出せない。ものづくりがなければ創造性も育たない」と指摘する。

また、生産だけを製造と呼ぶインドの考え方を、small manufacturingを略して「スモールm」と命名。それに対して、企画・デザインや販売、アフターサービスといった一連の流れを含め、技術変化やグローバリゼーションといった社会変化も考慮したものづくりを「ビッグM」と名付け、製造業の変革のために欠かせない概念として、その必要性を説いている。

個人レベルの問題として挙げているブレークスルーについては、さまざまな手法が取り入れられている。その一つが、「金魚鉢理論」だ。鉢の中の金魚のことを知りたければ、まずその中に飛び込んで一緒に泳ぎ、論理的に考えるのではなく、直感を働かせる。そして、金魚についてわかりだしたら金魚鉢の外に飛び出して考えることが、有効な仮説を立てる唯一の手法だという考え方だ。

生花をチョットクールで保存しながら売る女性。チョットクールは、一般家庭だけでなく小売業などにも活用されている

プロジェクトで研修を受け、2012年4月に米国のエジソン賞金賞を受賞したインドの大手企業「ゴドレジ社」のゴパラン・サンドラマン副社長は、この理論に基づいてBOP層の人々が暮らす地域に何度も通い、彼らは日々少しずつ食材を買い求めることや、15平方メートルほどの家に住んでいることから、機能がシンプルでコンパクトな冷蔵庫を必要としていることを突き止めた。その結果、冷媒もコンプレッサーも使用しない、持ち運び可能で低価格の「チョットクール」の開発に至った。サンドラマン副社長は「司馬教授に教わった金魚鉢に飛び込むブレークスルー技法、目に見えない潜在的ニーズを科学的に引き出す手法などが、チョットクールの開発に直接貢献した」と話す。

VLFMのブランド化

サンドラマン副社長以外にも、企業の変革に成功した事例は数多くある。上級経営幹部コース第2期修了者のフセイン・シャリヤル副本部長は、冷蔵庫の製造ラインが2本しかなく生産性も低かった自社の工場を、わずか3年余りの間に新機種も含め6本の製造ラインを持つ革新モデル工場に変えた。また、中小企業育成コースに参加した二次下請け企業のラフル・ジェイン社長は、納入先の信頼を失い閉鎖直前の状態にあった工場をわずか1年で立ち直らせた。これらは、トップマネジャー自身が「心の変換」(注3)を起こして課題に対する科学的な解決法を集中的に導入し、その結果を工場全体に広げ、また、活動を拡大して地域や取引企業との関係改善にもつなげるといった、司馬から学んだブレークスルーマネジメントの方法論を着実に応用した結果だ。

インドのパドマ・シュリ章は、これらの司馬の功績が大きく評価されたもので、3月にデリーで授与式が行われ、プラティバ・デヴィシン・パティル大統領から直接授与された。受章について司馬は「多くの周囲の人々の貢献と支えがあったからだ」と話す。

チョットクールを開発したサンドラマン副社長は、その開発過程をつづった冊子を作成した。「文章にまとめることで、サンドラマン副社長がやってきたことが理論化された。方法論として示すことで、個別の事例だけでなく広く世界に役立つようになる。この理論化があったからこそ、エジソン賞につながったのだ」と司馬は評価する。

司馬は今後、サンドラマン副社長同様、パドマ・シュリ章を受けるに至った経緯を取りまとめるつもりだ。目指すのは、インドの人たちの創意工夫の結果であるVLFMプロジェクトの経験を、世界のどこでも通用するようにすることだ。それが、日本、インドはもとより、世界の製造業発展に対する貢献だと考えている。

プロジェクトは2013年3月まで。司馬の挑戦は続く。

(注1)エジソン賞は、発明家のトーマス・エジソンの名にちなんで創設された、電気電子工学で優れた業績が認められる者に贈られる賞。ノーベル賞に比類する名誉とされる。
(注2)MITの工学部とマネジメントスクールが共同運営する2年制のプログラム。経営学修士(MBA)と工学修士が取得できる。
(注3)VLFMプロジェクトでは、「心の変換」を出発点とした能動的学習システムを導入している。まず、「自己中心的な態度を取らない」「責任転嫁しない」など、行動を変えることから始め、それらが、強制ではなく自然と実践されるような仕組みをインドの風土に合わせて作り出し、成功している。