「国際緊急援助隊への熱き思い」

総務課 主任調査役
川嶋 潤哉

ネパールの子供たちと

2015年4月25日、ネパールの首都カトマンズから北西80km付近を震源とする大地震が発生。その3日後、川嶋さんは国際緊急援助隊(以下JDR)医療チームの業務調整員として、現地へ派遣された。厳しい環境の中、活動の源となったのが現地の子供たちの笑顔だった。川嶋さんのその穏やかな笑顔に秘められた熱き思いにせまる。(※JDR Japan Disaster Relief)

JDRの業務調整員とは

業務調整員ミーティング(ネパール)

現地のドライバーに通訳を介して説明中(ネパール)

2011年夏にJDRの訓練を受けて以来、川嶋さんは業務調整員として、今回のネパールも含めて4回派遣された。JDR事務局に所属していない職員としては異例の多さだ。1回目は2011年11月タイの洪水災害、2回目は2013年11月フィリピン台風、3回目は2014年3月マレーシア航空機消息不明事案における捜索、そして今年4月のネパール地震である。
フィリピン以外は、全業務調整員の取りまとめ役としての重責を担ってきた。
業務調整員は、被災地での要救助者捜索や医療行為には直接参加しないが、現場で活動する医師やレスキュー隊員といった専門家の後方支援を行う。普段とは違う状況の中で、彼らのスキルが十分に発揮される環境を整えることである。

「現場では頑張りすぎないこと。みんなただでさえ頑張る人たちなのに、慣れない過酷な現場で更に頑張ろうとしてしまう。被災者のため、チームのため…と、最初から飛ばして、体調を崩してしまう隊員もいるけれど、それはかえってチームに迷惑をかけてしまう。自分も以前はそうだった。今でははやる気持ちを抑えて、冷静に休むようにしています。」さらに川嶋さんは厳しい表情で続けた。

「とにかく業務調整員の仕事は多いです。具体的には、安全管理、機材管理、移動手段の確保、テント設営、食事の準備、通訳・翻訳、生活環境の整備、必需品の調達、資金管理、情報収集、対外交渉など、派遣から帰国までに起こるすべてのことに対処しなければならないので、本当に大変です。そして、業務調整員は裏方に徹し、決して前に出ない。業務調整員が裏方に徹すれば徹するほど、チーム力の向上につながるので、裏方を楽しんでいますよ。」と、厳しい表情が和らいだ。

なぜJDR隊員に

自衛隊の輸送機に乗り込む隊員たち(マニラからレイテ島へ)

JICAの理念に感銘し、国際協力とは縁のない業界から転職。しかし、JICA入職後、日々の多忙な業務に追われ、何のために転職したのかを見失ったまま、2007年ミャンマー事務所に赴任。翌年5月2日、巨大なサイクロンがミャンマーを襲った。死者・行方不明者合わせて約13万人もの被害が出ていながら、当時のミャンマーの軍事政権は、5月下旬まで各国の支援を拒否して受け入れなかった。ようやくJDRが派遣されることになり、川嶋さんはヤンゴン空港で彼らの到着を待った。

「助かるはずの命がどんどん失われてゆく現状を目の当たりにしながらも、我々は何もできず、苛立ちと悔しさでいっぱいだった。でも、ヤンゴン空港に日の丸をつけたチャーター機が滑り込んできたとき、全身に鳥肌が立った…なんのために自分はJICAに入ったのかを思い出させてくれた瞬間だった。そしてこの時、日本に戻ったら国際緊急援助隊に入ろう!って、決めたんです。」と、川嶋さんは当時を振り返りながら、JDRへの思いを語ってくれた。

川嶋さんにとってJDRとは

診療開始前のミーティング(フィリピン)

「JICAで働く原点に立ち返ることができる場所です。JICAの通常の業務はほとんどがデスクワークですが、JDRが唯一、職員が現地で直接活動できる仕事なんです。被災地での活動は、つらい場面に遭遇することが多いけれど、そこからしか得られないことがあります。また、JDRに登録している方々はみな、我が国を代表する優秀でプロフェッショナルな人たちです。そんな志の高い方々との活動を通して得られるものも数多くあります。」と、川嶋さんは今後もJDRの活動に意欲を見せている。

取材後記

ネパールの子供たち

川嶋さんに、JDRについて熱く語っていただこうと思いましたが、インタビューは淡々と終了しました。あくまでも裏方に徹しているその姿に、私自身、身の引きしまる思いがしました。
世界各地では、大規模な災害により多くの人命や財産が失われています。災害で被害を受けた人々のために、JICA、JDR、そして私たちだからできる支援活動を今後も続けていかなければなりません。 (水沼)