海外OJT研修を通じて感じたこと(1)

2019年9月19日

JICAウガンダOJT職員
佐藤 未来

国を捨てて難民になることは、果たして本当に悲劇な事なのだろうか。

私は、この4月にJICAに入構し、本部アフリカ部に配属された。同部で約4か月間のOJT研修を受け、現在はJICAウガンダ事務所にて海外OJT研修中である。期間は7月31日から10月24日までの約3か月間という限られた期間ではあるが、事務所の職員やナショナルスタッフ、その他のJICA関係者の皆さんのおかげで、本当に多くのことを経験させていただいている。

8月26日から9月13日まで3週間、ウガンダコメ振興プロジェクト(Promotion of Rice Development Project, PRiDe)に海外OJT研修の一環として配属された。本プロジェクトはコメの生産面積拡大に注力していたフェーズ1を終え、現在フェーズ2に移行し、正気の稲作の押下を対象にコメの生産性および品質の向上を目指している。今回このプロジェクトに配属となった主な目的は、JICAから派遣されている日本人専門家の皆さんが、どのようにコメ栽培技術をウガンダないしは周辺国に普及させているのかを現場で見て学ぶためである。具体的な活動内容としては、ザンビア人農業普及員を対象とした広域研修の視察、農民研修用ボードゲームの作成、アルア県ライノ難民キャンプ視察であった。本記事では、これらの活動の経験から感じたことを綴ることとする。

期待の作物

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試作したボードゲームを利用して、国立作物資源研究所(NaCRRI)の農家たちに損益計算を行う。

ウガンダは肥沃な土壌を有しており、一般的に年2回の雨季があり水資源も豊富であることから、コメの栽培ポテンシャルが非常に高いと言われている。特に畑地で栽培できる陸稲は天水条件下での栽培が可能なため、灌漑施設を持たない小規模農家にとっては扱いやすい作物である上、コメは換金作物としての意味合いも大きい。ウガンダでは他のアフリカ諸国と同様、20世紀後半からコメの需要が高まっており、ウガンダ政府はコメを優先作物の一つに位置付けコメの自給達成を目指しているが、依然としてかなりの量を輸入に頼る状況が続いている。この状況を改善するためには、限られた土地資源の有効活用と共に適正技術や高品質な種子の導入による生産性の向上が必要不可欠であるが、農家が使用している種子の品質は低く、その栽培技術も依然として粗放的である。日本人専門家によると、真っ直ぐ稲を植える方が、播種にかかる時間も少ないという調査結果もあり、除草などの作業においても効率的であると科学的に立証されていると説明しても、ばら撒きを採用する農家が多いそうだ。また、肥料の使用に関しても、日本では農業の知識や経験がなくても、適切な量を与えることでコメや野菜などの収穫量が上がるということは当たり前の認識だが、ウガンダでは肥料の効能や収益の変化を理解している人は少ない。あるいは、理解はしていても十分な購入資金を備えていないこともある。そのため、今回、日本人専門家に助言を頂きながら、肥料を使用した場合の農家の収入に係る損益計算ができるボードゲームの作成を担当させていただいた。試行錯誤をしながらボードゲームを形にはしたものの、最初に試していただいた農家の皆さん反応はあまり良くなかった。その理由は、おそらく計算の要素が多くなってしまったことにあると思う。農家の皆さんはお金の計算は難なくこなすようであったが、「肥料を使用し、コメの全体の収穫量が30%増えるとどのくらいになる?」と問いかけると、答えは返ってこなかった。なかなか伝えたいことが伝わらず落ち込んでいた私に、日本人専門家が「技術協力は毎日体当たり、ここから改良して改良して作り上げるものなんだ。」と喝を入れてくれた。一端を経験しただけではあるが、「技術協力プロジェクト」はまさに国際協力の最前線であるということを肌で感じることができた。

難民に一生の財産を

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南スーダン人難民移住者で、Training of Trainers(TOT)でもある女性と

ウガンダ政府は、国内で紛争が続く周辺国である南スーダン共和国やコンゴ民主共和国から、120万人以上の難民を受け入れており、この数はアフリカで最も多い。難民が自分たちで生計を立てることができるよう、難民定住地と呼ばれる地域では、各世帯に土地を配分し、就労なども許可している。本プロジェクトでは、一般農家に加えて、一部そういった難民への支援として、頻繁に現地へ赴き、稲作栽培技術の研修を行っている。

9月3日、私も日本人専門家と共に、アルア県に位置するライノ難民キャンプを訪問した。ライノ難民キャンプに定住している難民の多くは南スーダン共和国から逃れてきた人たちである。今回の訪問の目的は、前回日本人専門家が、彼らに移転した稲作栽培技術がうまく普及しているかどうかのモニタリングを行うことであった。82エーカーもある広大な農地に耕された田んぼをすべて見て回るのに、実に4時間もかかったが、農家1人1人に「君の田んぼはどれ?」と問いかけながら、真摯に向き合っている日本人専門家の姿に感銘を受けた。そんな専門家の姿勢が伝わったのか、農家も自分が耕した田んぼを「みて、これ私がやったの。」と自慢げに誇らしく話していた様子が非常に印象的であった。このやり取りを見て、「技術協力プロジェクト」の意義は、単なる資金援助や機材供与、施設建設のみでは成しえない、裨益者自身の自信やプライドを生み出すことなのではないかと感じた。

もちろん難民が他国で生計や社会生活を再建するには、外からでは気付きにくい制約が存在しているのは間違いないだろう。だが、紛争などの理由で安全に暮らしていくことができなくなった母国に居続けることのほうが幸せなのだろうか。今回ライノ難民キャンプに赴き、自分が育てたコメで得たお金で子供に教育を受けさせられるようになったと喜ぶ人や、これから自分たちが作ったコメをより多く売るためマーケティングに力を入れたいと意気込んでいる人の姿を見て、「難民=不幸」と思っていたのは私だけで、彼らはすでに前を向いて歩きだしているのだと思い直させられた。一人の日本人専門家が、「技術は一生の財産である」と言っていたが、いま難民たちがその財産を日本人専門家から受け継ぎ、自分たちの力で生活を再建しようとしている。今後、母国に戻ることになったとしても、ウガンダに定住することになったとしても、その稲作栽培の知識や技術は、彼ら難民たちにとって一生の財産であることは間違いないだろう。

JICA職員として私にできることは果たして何だろうか。きっとJICAで仕事を続けていくうえで、毎日向き合う問いだと思う。だが、JICAは多くの人の期待と希望を背負っているということは確かなことであり、常に専門家達の先には、支援を待っている人達がいるということを忘れないようにしたい。この写真の存在が、今後また私自身をこの思いに立ち返らせてくれるだろう。