大洋州のオリンピック“Pacific Games”で見えた理想と現実

2019年10月1日

青年海外協力隊
2018年度4次隊
糸見 涼介(陸上競技)

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コールマンスタジアム

2018年4次隊で陸上競技の指導者として派遣されている糸見涼介です。大学在学中だった1月に訓練所へ入所し、訓練終了と大学卒業式を終えて、4月にバヌアツへ来ました。私の赴任地である首都ポートビラは人口5万人ほどの小さな都市ですが平日昼間などは活気に溢れており、国の中心であることを実感します。現在はドナーの支援によってインフラが整えられつつあり、活動場所であるコールマンスタジアムも中国の支援によって2017年に建設されました。私はバヌアツ陸上競技協会に配属されており、中長距離種目を中心とした競技レベルの向上、国内における陸上競技の普及活動、国内外の大会への帯同の3点が主な活動となっています。

4月は現地語であるビスラマ語の訓練などのオリエンテーションがあり、5月上旬から活動が始まりました。日本の国体に相当するVanuatu National Gamesがちょうど行われており、活動初日からその大会を視察することできました。当該大会は、4年ごとに行われる大洋州のオリンピックである「Pacific Games」が7月にサモアで開催予定だったため、その代表選手選考も兼ねており、好成績を残した選手20人の代表選出を見届けました。しかし大会終了後、中長距離のコーチがいないことから指導3日目にして突如代表コーチを任されることになり、どんな指導が良いのかもわからないまま手探りの活動が始まりました。

今思えば初日に競技場を訪れた時、選手たちからは「この若いコーチは大丈夫なのか?」という印象を持たれていた気がします。サッカーなど他競技の外国人監督からも「英語があまり喋れない若者が日本から来たけど大丈夫なのか?」という雰囲気を感じました。

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Pacific Games 開会式

しかしそんな憂慮をしている暇もありませんでした。バヌアツ人は計算が苦手だと言われており、1,000mは400mトラック何周分かという算数指導から始めるなど、最初は戸惑うことも多くありました。しかし自分が選手と対等の練習をこなせる状態であったため、「この指導者は若いけれど付いて行っても大丈夫じゃないか」と思ってもらえた気がしました。また、スポーツ隊員は練習に参加してもらうまでが大変との話を派遣前に聞いていましたが、そんな心配はすぐに吹き飛びました。大多数の選手は練習開始予定の15分前には競技場に来て各自でウォーミングアップをし、強度の高い練習も逃げずに最後まで追い込みきるなど、向上心をもって日々練習に取り組んでいました。次第に彼らに合った練習メニューの作成や指導ができるようになり、充実した活動が行えていたように感じます。そして次第に、大洋州のスポーツのレベルは世界と大きな差があるため、大洋州の人々にとっては本家のオリンピックよりPacific Gamesの方が重要であることがわかってきて、責任の重大さを感じるようになりました。

バヌアツ選手団は全競技で金2、銀4、銅7個以上の獲得を目標としてPacific Gamesに臨みました。開会式は超満員の観客でスタンドが埋め尽くされ、サモアの伝統的な踊りが披露されるなど、オリンピック並みの盛大なセレモニーでした。2週間にわたり開催されるこの大会において陸上競技の出番は後半だったため、前半は最終調整や他競技の応援をして回りました。東京オリンピックのような大規模な選手村を設営することはできないので開催地の学校や教会を選手村として利用していました。宿舎が国ごとで固められているため、他競技がメダルを獲得したら夕方は宿舎の全員で出迎えるなど自国内で士気を高め合う雰囲気が出来ていました。

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女子10000m、表彰式

そして大会後半、ついに陸上競技の出番です。フィジー、パプアニューギニアなどが前回大会より相当力をつけている中、バヌアツは陸上競技では金1、銀1、銅4個を獲得でき、メダルの目標数に貢献できたように思います。また自分が指導している女子長距離選手が10,000mで銀メダルを、最終日のハーフマラソンでは金メダルを獲得(どちらとも国内新記録)。バヌアツへ来て3ヶ月ほどでしたが表彰式で国歌が流れた時は感慨深いものがありました。また1999年以来、実に20年ぶりの陸上競技女子金メダルだったこともあり、選手村に帰った時にはバヌアツ選手団総出で迎え入れられ、バヌアツ陸上競技にひとつ貢献できたことに嬉しい気持ちになりました。他競技のコーチからもおめでとうと笑顔で握手を求められ、少しは認められたのかなと安堵したところもありました。最終的にバヌアツ選手団は目標を大きく上回る金6、銀8、銅12個を獲得することができ、スポーツ界のみならず、多くの国民が歓喜した大会となりました。

大会終了後は2週間の休みを挟んで東京オリンピックなど次の国際大会へ向けた練習を再開することになりました。しかし再開の日、予想外の展開が待っていました。選手が来ません。さらにはコーチも指導をしようとしません。選手に連絡を取るともう少し休ませてほしいとの返事。いつも大会後どれくらい休むの?と尋ねると、だいたい6ヶ月は休むよとのこと。次の国際大会は来年で時間があるため、コーチを含め多くの選手が向上心を失っているように見えました。さらに詳しく聞いてみると、どうやらほとんどの選手は国際大会の3ヶ月前にある代表選考会に合わせて練習を再開させるようです。選考を通過した選手だけが大会に向けてより本格的な練習をするというのがバヌアツ陸上競技界の標準であり、半年間練習をして半年間休むという流れがここでは当たり前なのだと判明しました。あの全員がやる気に満ち溢れていた3ヶ月は、単にもっとも盛り上がっていた期間だっただけのようです。

もしかしたら彼らは、私たちにとっての体育祭のような感覚で一国の代表になっていたのかもしれません。長期間休んでもまた代表に選出されると分かっている彼らの大多数は、普段の幸せな時間を削ってまで競技力向上を追い求めるようなことはしないようです。ここではスポーツは日々の幸せな生活をより豊かにするための1つの手段であり、日々の生活を犠牲にして目標達成を目指すことが美徳とされる日本との大きな違いだと感じています。

現在は数人が練習を継続していますが、体育祭感覚だった人々はチームを離れています。成長の過程で起こる失敗でプライドが傷ついたり、指導者から見切りをつけられたりして競技から離れる人が多いのも事実であり、競技者のための長期的な育成を行う意識が不足していた気がします。また、フィジーをはじめとする近隣諸国が目標レベルを世界水準に合わせ、想像以上に大会レベルの上昇が見受けられました。競技水準が上昇した中でのメダル獲得は喜ばしいことではありますが、メダル獲得を期待されていた選手が予選落ちするなど、これまで大洋州内での勝利に満足していたバヌアツは一歩出遅れていたように感じます。

こういった現実を知れたことは自分にとって良い機会でした。着任直後に理想的な状態を見られたことは活動の道筋を決める上で重要な指針となるはずです。これまではトレーニングが断続的であったにも関わらず高校全国大会出場レベルの競技力に到達できていたことから、今後の更なる記録更新や競技水準の向上に期待を抱いています。

現在はトップ選手の育成のほかに競技の裾野を広げるための大会の企画や、学校におけるクラブチームの設立、代表選手選考のための派遣標準記録の導入など、選手が自発的に練習を継続するような仕組み作りを行なっています。重要な役割を任せてもらえることも多く、日本の若者に成長の機会を与えてくれる懐の深さには感謝しかありません。2027年の自国開催となるPacific Gamesでのメダル大量獲得、2030年代のオリンピックでの決勝進出を目標に、残りの1年半で持続可能な競技発展の基礎を築く活動ができればと考えています。帰国までの発展を楽しみに、今後もバヌアツのペースで活動を続けていきたいと思います。