[特集] 再派遣から任期終了まで
コロナ禍のハンデを乗り越えた先輩隊員

2020年3月、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、JICA海外協力隊の全隊員が一時帰国してから2年が過ぎた。待機を選んだ隊員たちは、同期隊員が減っていき、先行きが見えないなか、日本でどのようにモチベーションを維持しながら過ごしたのか。晴れて再赴任を果たしたあとは、先輩隊員がいないなかで、短期間でも成果を残すためにどのように活動を行ったのか。帰国したばかりの4人の隊員にお話しいただいた。

CASE1    再赴任したら、要請内容が解決済みに
新たな課題を見つけ、挑戦した

小柳耕平さん
小柳耕平さん
ルワンダ/コミュニティ開発/2019年度2次隊・福岡県出身)

PROFILE
こやなぎ・こうへい ● 学生時代はバックパッカーとして世界を放浪。京都の大学を卒業後、インドの民間企業勤務などを経て、国際NGOに参加し、パレスチナ・ガザ地区にて人道支援に携わる。よりダイレクトな支援をするために協力隊に参加。2022年3月より外資系旅行会社に勤務。

 

どんなときもやれることを探す
ビジョンを示せば道は開ける

日本の子どもたちからの寄付で購入したクレヨンなどを進呈

日本の子どもたちからの寄付で購入したクレヨンなどを進呈

「困難が起きたら引き揚げる。そんなふうには思われたくありませんでした」。2020年2月11日にルワンダ東部県キレヘ郡ガトレセクター事務所に赴任して1カ月余り。突然の帰国命令を受けたときのことを小柳さんはそう振り返った。3月18日に帰国通達のメールを受け取り、2日後にはぎゅうぎゅう詰めの飛行機に乗っていた。ルワンダが国境封鎖した日と重なり、一日でも遅れていたら帰国できなかったはずだ。

「ルワンダ虐殺のとき、国境なき医師団と赤十字を除く国際支援団体が軒並み撤退したと聞きました。自分も新型コロナで任地の人たちを見捨てて帰ってしまったような後ろめたさが残りました」

   横浜での2週間の健康観察期間中、一斉帰国した隊員たちが再会を喜び合うなか、小柳さんはすぐにオンラインで仕事探しを始めた。

「渡航準備にもお金がかかっていますし、日本にいるだけでも生活費はかかりますから」

   いつ再赴任が決まるかわからないため、仕事は短期のアルバイトに限った。渡航前に部屋を引き払っていたが、「親に合わせる顔がない」と実家には帰らず、京都の知人宅に住まわせてもらった。1カ月、2カ月と、待機期間が長くなればなるほど、「生活の不安、焦り、いろんな思いが押し寄せてきました」。

寄付で買ったクレヨンと画用紙に、将来の夢などを描いたルワンダの子どもたち。

寄付で買ったクレヨンと画用紙に、将来の夢などを描いたルワンダの子どもたち。小柳さんは「Draw Dreams」のホームページ を開設して絵を販売、売上金はすべてルワンダの学校へ送っている

   21年4月2日に再赴任できた際は「これでやっと成果が残せると、ほっとした」という。しかし、約1年の待機期間を経て任地に戻ってみると、状況は劇的に変わっていた。任地は農村地帯で水道が整備されておらず、住民はハンドポンプで水をくみ上げている。そのハンドポンプも適切に管理されず、故障するとそのまま放置されてしまうため、本来の要請内容は、「水の防衛隊」として、自律的に水を管理する組合を組織化することだった。

「ところが、一時帰国中に3基のハンドポンプのうち、2基が太陽光パネルを使った最新のポンプシステムに替わっていたのです。残りの1基は壊れたままでしたが、半年かけて近隣を調査したところ、修理どころか、そもそも必要のないハンドポンプだということがわかりました」

   小柳さんの一時帰国中に、太陽光のポンプシステムを設置したのはルワンダのベンチャー企業だった。現地の課題をルワンダの企業や住民自身が解決する姿を目の当たりにし、感動すると同時に、自分のやることがなくなってしまった事実にがくぜんとした。

   一筋の光が差したのは、VC(企画調査員〔ボランティア事業〕)からの相談がきっかけだった。日本の小学校から「ルワンダの小学校の水事情を紹介してほしい」という依頼があったという。そこで小柳さんは、オンラインビデオツアーを開催し、スマホをビデオカメラ代わりにして村や子どもたちの様子を実況中継した。その後、個人的つながりからビデオツアーを行う日本の学校を増やしていき、児童や先生の反応を見て手応えを感じていると、そのうちの1校の児童たちから募金で集めた3万円を寄付したいと申し出があった。ルワンダの子どもたちが10~20㎏もある水タンクを頭に乗せて歩く姿を見て、クラスで話し合い、自主的に支援したいと考えたのだ。

   小柳さんは「お金を渡しても親が靴やビールを買ってしまうかもしれない。根本的な問題解決にはならない」と支援を申し出た児童たちに問いかけた。結果、紙とクレヨンを買って、子どもたちに将来の夢を絵に描いてもらい、それを売ることになった。絵が売れれば、3万円がもっと大きなお金になり、自分たちの問題を自分たちで解決することにつながるのではないか。そんな思いでスタートしたのが、「Draw Dreams(夢を描く)」プロジェクトだ。

展示を見た大人がディスカッションしだしたりするなど、大人の衛生教育にもなった

展示を見た大人がディスカッションしだしたりするなど、大人の衛生教育にもなった

児童たちには、コロナウイルス対策のポスターも描いてもらった。

児童たちには、コロナウイルス対策のポスターも描いてもらった。

   自費で通訳を雇い、村人たちとコミュニケーションをした小柳さん。最初はノートやペンなどの実用品がほしいと反対していた人たちも、ビジョンが伝わると、「やろう!やろう!」と快く協力してくれ、最終的に、公立小学校8校の児童約800人が、自分の将来の夢や、現在の水や生活の問題についての絵を描いた。

   小柳さんは絵と児童一人ひとりの写真を撮り、4カ国語のウェブサイトを作成した。それがSNSで拡散されると、たちまち多くの反響が寄せられた。日本の児童たちから届いた3万円は、ルワンダの子どもたちが絵を描くことで10万円にまで増えた。

   22年1月に任期を終え、日本に帰国した小柳さんのもとには、「10万円で制服を買い、休学していた子どもたち約80名を復学させることができた」と報告があった。「制服がないということはお金がないということ。その事実を恥ずかしく感じ、学校に行きたくなくなる児童もいます。そうした児童を減らそうと、先生たちが話し合い、より困っている人たちのために使ってくれたことがすごく嬉しかった」。

   再赴任直後は、コロナで人々との交流が制限され、やるべきことを見失い、同期や先輩隊員もいないなか、「孤独感があった」という小柳さん。それでも、実績を残すことができたのは、状況やニーズが変化しても、自分にできることを探し、行動することを諦めなかったからだ。

「焦らずに周囲の人と積極的に話してみて、要請内容以外のことでも、やってみる。アプローチを変えると、見えてくるものがあると実感しました」

小柳さんの活動期間と気持ちの変化

2020年1月6日派遣国到着。40日間、キニヤルワンダの語学訓練とルワンダ人家庭でのホームステイ生活。

2020年2月11日、配属先であるガトレセクター事務所に赴任。「同僚はみな忙しく、現地の人たちとはほとんどコミュニケーションが取れていませんでした」

2020年3月20日に新型コロナウイルス感染拡大のため緊急帰国。「見捨てて帰ると思われるのは嫌でした。でも、同僚も1カ月しかいない僕に思い入れはなかったと思います。それも寂しかったですね」

「待機」を選び、日本でWebサイトの翻訳、地元より仕事の多い京都で遺跡発掘作業、治験などの短期アルバイトをして糊口を凌いだ。「労力、時間、お金を注ぎ込んで、このまま終わったら人生どうなるのかという不安をずっと抱えながらも、いつでも再赴任できるように短期の仕事でつなぎました」

2021年4月2日に再赴任。
「戻ったらみんな何も気にせずウェルカムな雰囲気だったのが嬉しかったです。一番つらかったのは、他の隊員とも交流できず、何をしたらいいかわからなくなったことですね」

2022年1月に任期終了。
「残りの期間で何ができるのか、焦りもありましたが、タイムリミットを意識できたのはラッキーだったかもしれません。とにかくできることをやるしかありませんでした」

後輩隊員へのメッセージ

状況やニーズは変わっていきます。目的を達成するためのアプローチは一つではなく、いくつもあるはずなのでいろいろ試してみてください。困ったときはまずリラックス。戸惑ったとき、怒ったときは呼吸が乱れ、相手にもそれが伝わります。落ち着いて周りが見えてきたら、回り道も見えてきます。相手を信頼して助けを求めましょう。

Text=秋山真由美    Photo(小柳さんプロフィール)=ホシカワミナコ(本誌)    写真提供=小柳耕平さん

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