聖路加国際大学
大学院

大学連携
【連携開始】 2014年7月
【派遣国】 タンザニア
【協力分野】 助産師・看護師
【派遣形態】 大学院生を2~3か所の配属先に1名ずつ、
1年9か月間の長期隊員として派遣。
【累計派遣】 計6名(~2020年度)

タンザニアからの留学生受け入れが契機となり、現地のムヒンビリ健康科学大学と大学間協定を締結し、その後は同大学の助産学修士課程の創設に協力した聖路加国際大学。以前から隊員経験者が聖路加国際大学の大学院に入学する例が多かったことも背景に、大学としての国際貢献活動を更に拡充させるべくJICA連携を先頭に立って推進してきた堀内成子学長と、実際にタンザニアで活動した櫻井佐知子氏からお話を伺いました。

※文章内の制度名、派遣名称は派遣当時のものです。​

堀内 成子 氏

学長

堀内 成子

大学院生の実践能力を活かし、「更に磨く」ための修士課程

案件形成にあたっては、JICAタンザニア事務所とムヒンビリ国立病院側と事前に相談しながら、小児科及び産科への派遣、大都市のみならず地方でも活動して欲しいという現地側からの声に応え、近隣のバガモヨ県庁への派遣とし、「地域母子保健教育」の3か所の案件形成に至った。
大学からストレートに大学院の修士課程に進む者もいますが、病院での臨床経験を積んだ後あるいは病院に勤務しながら修士課程を終える者もたくさんいることから、JICAコースも3年間の長期履修制度を活用した。3年間の履修モデルは、初年度前期に必須科目を履修、その後JICAでの派遣前訓練を経て1年9ヶ月がタンザニア派遣期間、派遣中はWebを通じて研究指導を行う。そして、帰国後に残りの必須の履修科目を終え、修士論文を仕上げるというものである。
学生には、派遣前に、助産学等に関する学習の他、どのように人々の中に入っていき、どのように現地の人々と知り合い、どのように現地のニーズを把握するか、文化人類学的手法を受講してもらい、タンザニアの概要、文化・経済・宗教もある程度マスターしてもらっている。また、派遣中の学生には、Webを通じて定期的に面談し、2週間に1回、レポートをクラウド型学習システムに保存・蓄積し、教員が内容をチェックして返している。このレポートシステムは単位化されているので、協力活動を含む事前事後学習のすべてが大学院の単位認定と結びつく無駄のない形となっている。派遣された大学院生が協力活動中に見つけた課題研究の研究計画書の作成についても、適宜、指導・支援している。
加えて、国際協働論演習という科目がある。これは日本にいる大学院生が10日間程度タンザニアへ行って、長期で派遣されている連携隊員の活動を視察するというものである。長期派遣されている大学院生にとっては元クラスメイト・後輩に自身の活動や研究を取り纏めて発表する機会となり、短期訪問した学生にとっても現場を学べるプログラムとなっている。
また、修士課程で研究を続けていく際には、一般的に人間関係で悩んだり研究意欲を喪失する場合もありますが、JICA連携の場合は、派遣中に現地のJICA事務所・関係者に大変支えられていますし、また、ムヒンビリ健康科学大学の教員2名も本学の博士課程に留学した経験があって、彼らも現場で隊員を支援してくれている。極めて安心できる現地支援体制であると感じている。

「国際的に活躍したい者」に成長の機会を

JICA海外協力隊に参加してから大学院に入学する、という従来のキャリア形成パターンは、その後博士課程やJPO(Junior Professional Officer:国連や国際機関に2年間派遣される制度)を希望する人にとって時間がかかる。大学とJICA連携制度で修士資格を取得しながら協力隊にも参加できるという点が、志願者にとっても大変魅力的で、その後の進路を選択し易くなると思う。
JICA連携を本学HPでも掲載し広報していますが、聖路加国際大学の学部の入試で、「将来、国際協力に関わりたいので、JICA連携制度があるこの大学を受験した。」と言う高校生が現れ始めた。JICA連携が、本学の特徴の一つになりつつあるということと感じた。看護系の大学は現在280校以上あるが、その中で、国際的に活躍できるとか、国際的課題解決に強い大学である、という印象も持たれることは、本学として非常にありがたいことである。
これまでタンザニアへ送り出した大学院生たちは、皆、協力隊員経験を経て、一皮も二皮も向けて更に上のステージへと進んでいるという印象である。日本ではいろいろと問題に思えていたことが、タンザニアでは非常に寛大で人々がのびのび生きているという文化に、随分と感動した者もいた。文化の違いをタンザニアの方々から教わることが多い。学生にとっても教員にとっても、異文化の社会に実際に入って勉強することは滅多にないので、人生観が変わる機会になると感じている。日本人は誠実・生真面目・ルール重視とも言われていますが、タンザニアの人々と接していると日本人では考えられないようなチャレンジ精神があって、逞しさを感じる。そういうところを学べるのが、長期派遣ならの価値だと感じている。

※このインタビューは2020年12月に行われたものです。

櫻井 佐知子 氏

櫻井 佐知子

派遣国
タンザニア
派遣職種
助産師

シニア海外ボランティアとしての参加

JICA海外協力隊については、母が若い頃応募しようとした話を子どものころから聞いていて、自分も関心を持っていました。就職してから、やり甲斐や楽しさがあって、なかなか応募するには至らなかったのですが、堀内先生と一緒に臨床で仕事をする中で、大学院のJICA連携コースの存在を知りました。「海外での活動」と「大学院への進学」が結びついて、タンザニア派遣に応募しました。
JICAの派遣前訓練で語学(スワヒリ語)の勉強をしたことで、現地スタッフとのコミュニケーションが深まりました。同じ言語を話すことによって現地のスタッフに「仲間」として認知されたと思うので、語学訓練は非常に重要でした。

現場では、「改善したい課題」と「研究したいテーマ」が重なる

エビデンスに基づいたケアの提供という目標に向け、JICAが推進する5S-KAIZENの病棟目標でもある、帝王切開後の感染症の減少に取り組みました。最新のエビデンスを調べてから、術後の感染症に関する勉強会を複数回開催しました。従来のケアにはエビデンスに乏しい手法もあるため、改善できないかと考えエビデンスを提供しました。スタッフも勉強会には興味を持ってくれて、言うだけより根拠を示すことが重要だと感じました。また、最新の消毒方法のクラスを院内で展開した結果、スタッフとの協働により、帝王切開後の術後感染が減少したことは嬉しい成果でした。Covid-19影響下により途中帰国しましたが、現地スタッフと連絡を取り「退院指導パンフレット」を修正し、提出しました。
協力隊活動と研究活動の両立は、簡単ではなかったけれど充実したものとなりました。研究のテーマは、協力隊活動の中で見つけることになっていますが、改善したい課題と研究テーマは自然と重なりました。実際の研究計画書等作成の時間は、協力隊活動先以外の時間にしかできないので、先輩たちも越えた道だと思いながら、病院での活動が終わってから、自宅に戻って夜遅くまでパソコンに向かう日々が2カ月間続くなど、忙しくも濃密な日々でした。
現在、修士3年目です。修士論文は、タンザニアで妊娠中の高血圧患者がとても多く搬送されてきて痙攣を起こして麻痺するなど重症化する事例が多かったので、彼女たちの実体験を丁寧にヒアリングした経験をもとに、妊娠中の過ごし方やケアの参考にするような研究とする予定です。

異文化の中に様々な発見がある

文献からではわからない、生の体験ができました。衝撃的なこともありました。例えば、勤務時間は7時開始なのに7時半にならないとスタッフが来ず、一方、自身の終業時刻を過ぎても、次の引継ぎスタッフが来るまでは仕事を続けます。その不思議な業務サイクル。時間にルーズなようで、現地スタッフは全体としてそのように動いているので、ルーズという意識・認識も無いのかもしれないと感じるようになりました。彼女らも出勤が遅れた者へは「遅いぞ。」と言うものの、日本みたいに「ネガティブ評価」や「怒り・不満」に繋がっているようには見えません。「彼女は遠い所に住んでいるから仕方ない。」みたいな寛容さがあり、皆が優しくて納得しているので、そういうものなのかと納得し慣れていく自分がいました。
また、日本での「予測して考えることが大事」という価値観と、彼らの「今を大切に考える」という価値観との違いに対する葛藤もありました。今までの仕事にあった「効率第一」の考えに疑問符を投げ掛けられたような気がします。

現場に寄与する研究を

どうやったら相手から理解が得られるか、行動に結びつくかと悩んで得た協力隊でのコミュニケーション能力は、大きな糧になっていくと思います。目の前の相手だけに捕らわれたコミュニケーションではなく、もっと物事を俯瞰し、様々な人々のことも考えてアプローチしていくようなコミュニケーション法やバックグラウンドが異なる人と話すことで得た経験からも多くを学びました。JICAと大学との連携の大きなメリットは、JICAと大学の両方からバックアップを得て活動ができることです。自分の悩みを相談できる場所がひとつではないので、悩みの種類に合わせて相談先を贅沢に選ぶことができます。また、ボランティア活動が終わった後も、活動から得た研究テーマでの研究成果をタンザニアの配属先に還元して課題解決に少しでも貢献できるところも、JICA連携派遣の大きな強みであることを後に続く方々へのメッセージと致します。

※このインタビューは2020年12月に行われたものです。