Interview

物事が変わるのは一瞬。
今、ここでできることを精一杯やる。

派遣国:モザンビーク
現在の活動:
長崎県にて農家の手伝いなど
谷口 智亮さん職種:養蜂
福岡県福岡市生まれ。國學院大學文学部史学科卒業後、長崎で会社員や公務員(文化財調査員)などを経験。25歳のときに養蜂と出会い、ニホンミツバチの飼育に独学で取り組む。2018年10月からJICA海外協力隊 養蜂隊員として、モザンビークの南東部にあるイニャンバネ州イニャリメ郡の経済活動事務所(SDAE)に配属。2020年3月に一時帰国し、長崎に在住。
01
食料生産を支えるミツバチを
守るため、世界の養蜂事情を自分の目で見る

(上)養蜂家・フェリシアーノ氏とその家族
(下)フェリシアーノ氏と一緒に作った重箱式巣箱

養蜂家を志したのは、長崎県の実家にある床下の通気口に出入りするニホンミツバチを見つけたのがきっかけです。幼少時は「怖いもの」という存在だったのですが、大人になって改めて観察すると、健気に蜜を運ぶ姿に愛情が芽生えてきました。調べてみると、ミツバチは私たちが日頃食べている野菜や果物の花粉媒介者としてとても大切な存在であるものの、近年は世界中で個体数が減り続ける深刻な状況だということを知りました。

最初は、人づてで紹介してもらった養蜂家の方にニホンミツバチの巣箱の仕組みや作り方を習いにいきましたが、その後は図書館で参考文献を読み漁ったり、インターネットで情報収集したりして、自分なりの視点で養蜂を学びました。そして、もっと養蜂を深く学びたい・世界のミツバチを見てみたいと考えていた矢先に、ミツバチの研究で有名な大学教授のFacebookの投稿で「JICA海外協力隊で養蜂分野の募集が久々に出ている」という情報を見つけ、すぐに応募を決意しました。

派遣先となったモザンビークでは当初、世界で主流になっているラングストロス式巣箱※の技術支援が目的だったものの、実際現地に行ってみると、既存のラングストロス式巣箱が野ざらしで放置されていたり、壊れたまま使っていたりと、管理が行き届かず現地の人が使いこなせていない現状を目の当たりにしました。そこで、より簡単な構造で、効率的にハチミツを採取できる重箱式巣箱※の普及に力を入れることに方針を切り替え、重箱式巣箱を一緒に作ってくれる協力者探しを始めることにしました。最初は巣箱の作り方や必要な材料などを図式化した資料を作って、現地の養蜂家のお宅を10軒以上訪問して提案し続けました。なかなか相手にしてもらえない日々が続きましたが、新しいことをやってみようという意欲を持つ現地の養蜂家・フェリシアーノとの出会いがあり、その後、彼とは相棒とも言える良い関係を築くことができました。

※ラングストロス式巣箱:世界でも主流な巣箱の形。セイヨウミツバチの飼育に使われることが多い。
※重箱式巣箱:主にニホンミツバチの飼育に使われる日本の伝統的な巣箱のひとつで、比較的構造が簡単で、採蜜の方法も容易とされる。

02
現地でやり残した悔しさを
バネに、今、目の前でできることをひとつずつやってみる

手伝いをしているお茶農家の方と

モザンビークでの活動で一番大切にしていたことは「他国の支援に頼らず自力で持続できる養蜂技術の伝承」です。フェリシアーノは自分で巣箱の材料を調達したりなど、親身に私に協力してくれたので、本当に心強かったです。

新型コロナウイルスの影響により一時帰国が決まった時には、フェリシアーノには真っ先に伝えましたが、その他のお世話になった人たちにきちんとお別れの挨拶ができなかったことが悔やまれます。そして、一緒に作った重箱式巣箱で採蜜するところまで見届けられなかったことが、本当に心残りでした。

一時帰国した直後は、人生の目標を見失ってしまったように、何に対しても全くやる気が起きませんでした。

そんな時に、たまたまFacebookで「もうすぐお茶の収穫がはじまります」という長崎の実家の近所に住む知人農家の投稿を見つけ、「何か小さなことでも一歩ずつ前に進まなくてはいけないな」と思い直し、現在はそのご縁で農作業の手伝いをしています。今振り返ると、その投稿に出会ったことで私は社会復帰できたと思っています。新型コロナウイルスの感染拡大で、今まで当たり前だった日常生活が大きく変化しました。物事が変わるのは本当に一瞬だなと実感しましたし、その変化に向き合いながら、今この場所でできることを集中してひとつずつ前向きに精一杯やってみようという気持ちに切替えができたと感謝しています。

03
その場、その時に、
自分がとるべき行動を考え、動く

自宅の養蜂巣箱に触れる谷口隊員

「目の前にあることをやる」と決めてから、いろいろなことが前に進み始めました。農作業の手伝いの合間に採蜜ができたので、長崎に協力隊の仲間を呼び、採蜜研修をしました。その様子をモザンビークの同僚たちに見てもらえるよう、ポルトガル語のテロップをつけて編集し、YouTubeで公開しています。現地で活動できない今、大切なのは現地とのつながりを絶やさないことだと思います。

また、地元小学校やJリーグのユースチームに向けて講演をする機会もありました。モザンビークの生活を中心に、国際協力支援のあり方や意義を自分なりに話したのですが、これからの時代を担う若い人たちに、少しでも国際協力の必要性を伝えられたと感じています。

そんな最中、7月の豪雨災害で長崎でも川が氾濫し、ビニールハウスが倒壊するなどの被害が発生しました。ちょうど農作業もひと区切りしていたので、何か力になりたいと考え、被災した農家さんの復旧作業にボランティアとして参加しました。モザンビークの生活を経験したことで、その場、その時に自分がとるべき行動を自ら考えて動けるよう成長できたと実感しています。

04
自分のペースで、地域のために。
いつの日か、モザンビークの仲間との再会を願って

トマトハウス内で収穫をする谷口隊員

一時帰国してからは、現地で学んだ「時間に縛られないゆとりのある生活スタイル」を取るようにしています。自分のやり続けたい養蜂を軸に、人のために、地域のために役立つ面白いことをやっていこうと心に決めました。

その一環で、長崎とモザンビークの懸け橋となる、どこかアフリカの空気が感じられるカフェをオープンすることを構想しています。自分が養蜂で集めたハチミツをベースにしたレモネードなどのメニューに加え、今手伝っている知人農家が栽培するミニトマトとハチミツを使ったジャムなど、積極的にコラボレーションして、さらにはモザンビークのカラフルな伝統布のカプラナを使った小物を販売するなど、長崎とモザンビークを盛り上げていくような店舗を企画しています。

そして、海外渡航が可能になったら、モザンビークのみんなに会いに行きたいです。やり残してきたこと、共に作った重箱式巣箱で採蜜する、その瞬間の喜びを現地の仲間と一緒に分かち合いたいです。その日が一日でも早く来ることを、心から願っています。

※インタビューは2020年8月に行われました。