野球で繋ぐ、日本とジンバブエの架け橋

2020年7月15日

2019年度2次隊
職種:野球
派遣国:ジンバブエ
氏名:青木 彰吾

ジンバブエについて

私は2代目の野球隊員として2019年12月からジンバブエに赴任している。
ジンバブエでは、数多くの協力隊員が野球の普及と強化に携わっていたが(1992年以来、私を含めて派遣された野球隊員は25名)、2000年代の政治的混乱やハイパーインフレーションによる極度の経済の混乱に伴い2008年には協力隊の派遣も見合わせとなり、2011年度になって派遣が再開された。

ジンバブエは現在でも、複数の深刻な問題に直面している。水不足、食糧不足、電気不足、感染症。それは近年に起きたサイクロンや干ばつなどの自然災害の影響もあるが、そもそも政策がうまく機能せず、国内でのお金の循環が良くないことが要因ではないかと考えている。

このような現状の中で私は野球を教えている。伝統的な文化や習慣以前の問題で、明日を生きることが当たり前ではない人々が多い環境の中、野球のみならずスポーツをすること自体がすでに難しいという日本とのギャップがあった。

私は日本で生まれ、一部アメリカで過ごし、今までの自分の暮らしにおいて、不便はなかったと感じている。その中で、深刻な環境に陥っている国に行き、生活を送ることで、違った異文化を感じながら海外協力隊としての生活を送っている。

生活の中では文化相対的段階である、受容、適応、統合を意識し日々過ごしてきた。まずは人々の考え方や価値観、大事にしているものがそれぞれの文化で違うことを認める。そして、違う文化を認めるだけではなくて、自分もそこの文化のやり方に合わせた行動ができるようになる。最後に、お互いの価値観を理解したうえで、自分自身を基準に、状況に応じて柔軟に対応ができるというステップをイメージしてお互いの文化を尊重し合う。この段階的なサイクルの繰り返しで、現地の輪、コミュニティに溶け込み、異国人でありながらも、「ジンバブエ国の一員」として迎え入れてもらえた。

ジンバブエ人の「野球」のイメージ、認知度

ジンバブエの野球の認知度は、「ほとんどない」と言える。
【ほとんど=100人に1人くらいのレベル】
ジンバブエのメジャースポーツとして挙げられるのは、サッカー、バスケットボール、ホッケーである。野球のイメージを聞くと、高確率で「クリケットだろう?」という答えが返ってくる。アフリカでは珍しく、ジンバブエには野球のナショナル・チームがあるが、アフリカ大陸でオリンピック予選3位になったナショナル・チームの存在すら国内では知られていない。一方、驚いたのはかなり地方の町でも、特定の地域では野球が浸透している街もあった。それは、前述したハイパーインフレーション前の隊員のおかげで野球を知り、それ以降野球が好きで、個人的に野球の普及活動をしていたのだ。

ジンバブエは野球をすることがとても難しい。なぜなら道具が全く売られていない。首都ハラレの最も大きいショッピング街、第二の首都ブラワヨの最も大きいスポーツショップなど何店舗もスポーツ店を回っても、野球道具は一度も目にしたことがない。現在、野球道具がジンバブエにある場所は、元々協力隊が配属された地域のみで、しかも数に限りがあり、どれも状態はよくない。硬球の皮は基本的に捲れており、バットのグリップはなく、すべてひび割れており、グローブは紐が切れていて、穴が開いているものが多い。しかし子供たちはそんな環境の中でも楽しそうに野球をしている姿があり、とても感銘を受けた。

ジンバブエ野球協会は存在するものの、道具だけでなく指導者不足も一つの問題である。そのため学校巡回で野球を指導している際は、たくさんの学校から引っ張りだこで、各小中学校も野球を授業の一環として取り入れたいという声も複数校からあがっていた。しかし一度の学校への指導で、多いときは生徒が100人程参加することもあり、野球道具と人数のバランスが全く均衡していなかった。

そこで「世界の笑顔のために*」プログラムを通して、寄付頂いた軟式ボール124個は自分の活動においても、ジンバブエのこれからの野球の普及にとっても、かけがえのないものとなった。

軟式ボールはとても有効的で、硬球と比べ耐久性が強く、安全性も高い。そのため、学校での指導には重宝される。ボールを各学校に寄付するのは、学校の道具管理能力がしっかりしているかどうか、生徒が道具一つ一つを大切にする意識があるかを基準に、クリアした学校のみボールを渡すようにした。124個と言えども、例えば各学校に4球渡したら31校にしか配れない。私の巡回指導している学校だけでも優に30校は越えてしまうため、ボールの扱いはとても慎重に行った。
実際にボールを渡した学校は、毎日生徒が使っているとのことで、1週間後にはグリップがなくなるほどだった。寄付頂いた方々にはとても感謝しております。

JICA海外協力隊として活動する上での意識

私は次の「3本の柱」を軸にJICA海外協力隊としての活動を行っている。
まず1つ目の柱として、常にアンテナを張り巡らし、様々な面で柔軟に対応していくということである。自分の職種は野球だが、野球以外の任国のニーズも的確に把握し、自分のスキルを活用できるところは積極的に適応させていきたい。例えば現在、ジンバブエは深刻な飢餓問題や、経済問題に直面している。私は観光マーケティングの経験があるので、経済の発展に際しての波及効果を促すための指導や、機会の創造をしていくことも自分の一つの使命であると考えて行動している。

2つ目の柱は、異国人としての自覚をもつことである。すなわち、日本人としての誇りをもち、他国に対しての敬意も忘れないことである。
自分1人の行動で、周囲の人の日本のイメージ、いや、異国全体のイメージを変えかねない。それは良い方向にも、悪い方向にも。それは自分だけの問題だけではなく、今後に影響する問題だ。そういった責任感をもち、現地の文化や習慣を尊敬することがJICA海外協力隊として必要不可欠な要素であり、常に意識し、行動している。

3本目の柱は、現地の人々との信頼関係を構築することである。
言わずもがな、信頼し合うことは友達や家族同士、もしくは仕事やスポーツを行なっている中など、生活をする上で最も重要な要素である。ただし信頼関係を築くことはそう簡単ではない。築きあげるのは長い時間を要する上に、崩れるのも一瞬だ。例えばジンバブエの人たちは、日本人と比較すると、「約束を守らない」、「嘘をつく」ということにあまり抵抗がないように感じられる。しかし、協力隊員として活動していく中では、それさえも受け入れることが求められる。信頼関係を深めるには、1)相手に対して常に正直でいること、2)相手に強制しないこと、3)相手が大切にしているものを自分も大切にする、そして4)相手に関心もつこと、が最大の攻略法であると考える。
以上、3本の柱を軸に日本人という看板を背負って活動を行っている。

これからの目標

私の中でJICA海外協力隊としての活動は、これからの世界を長期的にどう変えていくかを考察する、一つのきっかけであると考える。この後の展望としては、さらに勉強に励み、自分の会社を建て、一雇用者としてではなく、直接的に自分の手で世界問題や社会的に手を施せる人間になりたいと願う。

「世界の笑顔のために」は、開発途上国で必要とされている、スポーツ、日本文化、教育、福祉などの関連物品を市民のみなさまからご提供いただき、世界各地で活動中のJICA海外協力隊を通じて、現地の人々へ届けるプログラムです。

活動写真集

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日々の練習の様子1

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日々の練習の様子2

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現地の野球用具1

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現地の野球道具2

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日本から届いたボール

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ジンバブエの選手たちと