サイクロンで荒れた景観の回復とゴミのポイ捨て防止を
狙って、道端に「花壇」を設置 〜地域での啓発活動〜

川島琢史さん(フィジー・環境教育・2016年度2次隊)の事例

町役場に配属され、住民を対象にゴミに関する啓発に取り組んだ川島さん。それまで町になかった「花壇」を道端につくる活動を始めたところ、配属先の事業と位置付けられるまでになった。

川島さん基礎情報





【PROFILE】
1982年生まれ、静岡県出身。静岡県内の医薬品メーカーを退職し、2016年9月、協力隊員としてフィジーに赴任。18年9月に帰国。現在は京都市内の企業に勤務。

【活動概要】
ラキラキ町(ビチレブ島)の町役場に配属され、主に以下の活動に従事。
●ゴミのポイ捨て防止を目的としたステッカーや看板の作成
●道端への花壇の設置


 川島さんが配属されたのは、人口約5000人という小さな町の役場。町で出るゴミは役場が収集と埋立処分を行っていたが、そのコストの削減が課題となっていた。川島さんに求められていたのは、ゴミの減量化を目的に、住民に対してゴミに関する啓発を行うことだった。

「環境問題は二の次」という状況

図書館に児童を集めて環境教育を行った川島さん。トイレットペーパーの芯をリユースしてサンタクロースの人形を作成した

川島さんが作成したポイ捨て防止の看板

 着任当時、町内の道端には住民がポイ捨てしたゴミが溢れていた。フィジーには、市街地でゴミのポイ捨てをすると約2000円の罰金が課せられる法律があり、配属先には取り締まりを担当する職員も配置されていた。しかし、その効果は「焼け石に水」だったのだ。そうしたなかで川島さんが最初に着手したのは、ポイ捨ての撲滅に向けた啓発活動だった。
「ステッカー」による啓発を配属先に提案したのは、着任してから2カ月ほど経った時期。「ポイ捨てをやめて、町をきれいに保とう」というスローガンを記載したステッカーを作成し、路線バスの車内や商店街に貼らせてもらった。しかし、ポイ捨ての減少にはつながらない。
 そこで次にとった手は、「看板」を町の中心部に掲げることだ。作成した看板のサイズは3メートル四方。ペットボトルやビン、ビニール袋など、ポイ捨てされたゴミに含まれる各種素材について、それぞれが分解されるまでの年月を表で示した。しかし、当初は看板の前に立ち止まり、物珍しげに眺める人はいたものの、やはりポイ捨ての習慣は堅固であり、なくなる気配はなかった。
 配属先には20人ほどの職員がいたが、環境に関する業務に携わっていたのは、ポイ捨ての取り締まりを担当していた前述の職員のみ。彼を含め、同僚たちはそれぞれの業務で多忙な様子だったため、ステッカーや看板の活動は川島さんがほぼ単独で進めるしかなかった。そうしたなかでも、同僚たちと協働するチャンスを探り続けた川島さんだったが、任期も折り返しを迎える時期になって、町長からこう告げられてしまった。「実は今、『環境問題』は二の次にせざるを得ない状況なのです」。川島さんの着任の8カ月前、任地は超大型のサイクロンに襲われていた。その際に壊れた施設の修復などで、役場は手一杯の状態が続いていたのだ。
 もはや自分の存在自体が配属先の邪魔になってしまっているのではないか——。行き詰まりを感じた川島さんだったが、ほどなくしてひとつの打開策を見つけ出す。「道端に花壇をつくる」というものだ。サイクロンで家や木々が倒され、町の景観は寂しいものになっていた。また、町には「花壇」という文化がなかった。そうしたなかで道端に花壇を設ければ、景観が回復するとともに、「この美しさを保とう」という気持ちが住民たちのゴミのポイ捨ての抑止にもつながると考えたのだった。

予想外の反響だった花壇づくり

花壇づくりに取り組む同僚たち

同僚たちによってつくられたマリーゴールドとマツバボタンの花壇

 川島さんはまず、配属先の一角を使って、マリーゴールドやヒマワリなど国内で入手できた花の種から苗を育てた。ポットとしたのは、トイレットペーパーの芯だ。苗が育つと、道端に定植。しかし、種から育てる方法では時間がかかってしまうため、その後は、親株から切り取った茎や枝を土に挿して繁殖させる「挿し芽」を試行する。ジニアや日々草、プルメリアなどが挿し芽に適していることがわかったことから、それらを中心に道端の花壇を広げていった。
 毎日、黙々と作業に打ち込む川島さんの姿は、やがて同僚たちの心を動かした。川島さんは当初、一株一株の周りに大きい石を並べることで、「花壇」の体裁をつくり出していた。ところがある日、それらの石が、カラフルに塗られた古タイヤに置き換えられていた。「花壇」であることがよりわかりやすくなるだろうと考えた同僚たちの手によるものだった。
 配属先が花壇づくりを同僚たちの「業務」と位置付けてくれるまでになったのは、川島さんが道端への苗の定植を始めてから3カ月ほど経ったころだった。そうして、石とコンクリートを使った本格的な花壇づくりがスタートする。同僚たちは以前から挿し芽の方法は心得ており、川島さんの関与なしにみるみる花壇は拡大。帰国時には、町の景観が着任時とはすっかり変わったものになっていた。
 また、花壇づくりは川島さんと住民たちとの関係にも変化をもたらした。人目に付く場所での作業だったことから、「花壇をつくっている人」と認知されるようになり、住民から「いつも花を植えてくれてありがとう」と声を掛けられるようになる。なかには、「自分の家の庭にも植えたいから、挿し芽をするための枝を持っていっていい?」と尋ねてくる人もいた。
 しかし、「ゴミのポイ捨てをなくす」という狙いは、簡単には達成できなかった。花壇にゴミが投げ入れられてしまうこともあったのだ。それどころか、株が抜き取られたり、花の部分だけがもぎ取られたりすることもあった。そうしたことが発生するたびに、同僚たちが川島さんを励ましてくれた。
 帰国時に彼らがくれた餞別の言葉は、「花壇のことは私たちに任せて」。サイクロンの被害からの復興はまだ途上にあったが、それがひと段落した暁には、花壇をステップに彼らが環境啓発の歩を進めてくれることが、川島さんの期待だ。

事例のポイント

プラスαのメリットを考える!
環境問題は、「目先の利益に結びつかない」などの理由で解決が後回しにされてしまいがち。そんななか、本事例の「花壇づくり」のように、「プラスαのメリット」がある取り組みならば、現地の人の賛同を引き出しやすいかもしれない。

知られざるストーリー