「やり散らかし」を避け、
その後につながる活動で締め括る

山本拓功さん(モザンビーク・コミュニティ開発・2017年度2次隊)の事例

農家の収入向上支援に取り組んだ山本さん。作物によって栽培に適した時期が限定されるなか、任期の残りが半年となった時点で、自身の帰国後の任地にとって利のある活動を精査して注力することにした。

山本さん基礎情報





【PROFILE】
1989年生まれ、奈良県出身。大学の経営学部でスポーツビジネスにおける経営戦略・顧客満足度について学んだ後、印刷関連メーカーに勤務。2017年10月、青年海外協力隊員としてモザンビークに赴任。19年10月に帰国。

【活動概要】
イニャンバネ州農業・食糧安全保障局の地方出先機関であるイニャンバネ郡経済活動事務所に配属され、農家を対象に主に以下の活動に従事。
●養鶏の導入支援
●稲作(ネリカ)の導入支援
●保育所の立ち上げ


 山本さんの配属先は農業支援や地域開発を行う機関。求められていた役目は、新規作物の導入などにより小規模農家の収入向上を支援することだった。

【任期の序盤〜中盤】

育て始めの雛を手にする農家(右)と山本さん

出荷サイズまで育った成鶏を手にする農家

 山本さんは当初から、「市場調査を踏まえた農業」の導入支援により、農家の確実な収入向上につながる活動に取り組みたいとの青写真を抱いていた。それを実現するためには、新たな取り組みに一緒にチャレンジしてくれる農家を探さなければならない。「農家から信頼を得ること」を最初の目標に据えた山本さんは、農家が直面している問題をリサーチ。見つかった問題の解決方法につき、農業の専門性を持つ協力隊員に教えを乞うた。そうして任期の序盤に取り組んだのは、農家が野菜栽培について抱えていた問題を解決することだ。例えば、農家はトマトの「根腐病(ねぐされびょう、*1)」に悩まされていた。「土地に呪いが付いた」と捉えていた彼らに、山本さんは発生のメカニズムを説明。その後、土壌の水はけを良くすることで、実際に発生を減らすことにも成功した。
 そうして信頼を寄せてくれるようになった農家のなかに、「養鶏にチャレンジしたいので、力を貸してほしい」と依頼してくれる人が現れたのは、着任して10カ月ほど経ったころだ。市場調査をしたところ、食肉用の成鶏は通常、1匹430円程度で売れるのに対して、雛は1匹70円程度で買え、粗利率を大きくすることが可能な商材であることがわかった。しかも、雛から出荷できる大きさの成鶏まで1カ月ほどで育つ。「市場調査を踏まえた農業」のモデルケースをつくれるかもしれないと考えた山本さんは、依頼してくれた農家を相手に、同僚の農業普及員と共に養鶏のサポートに着手した。市場調査では、クリスマスや祭りがある月に成鶏の値段が急騰することもわかっていたことから、対象農家が技術をひととおりマスターすると、時期による出荷量の調節についても考えてもらった。

*1 根腐病…根や地下茎が菌類の寄生により腐り、立ち枯れてしまう病気。

農家と開墾をする山本さん(右)

初めて挑戦したネリカ栽培で収穫まで漕ぎ着けた農家グループ

任期終盤に開設した保育所


【任期の終盤】

 任期が後半に入ってまもない2018年11月、山本さんは同僚の農業普及員と共に新たな活動を開始。ネリカ(*2)の栽培導入支援だ。栽培が容易なのは雨期。現地では11月から5月までがそれに当たり、11月に土づくりを始め、5月に収穫するというのが、理想のスケジュールだった。山本さんは着任の約半年後にJICA専門家に栽培方法を学んでおり、かつネリカの栽培に挑戦したいという農家グループが見つかったことから、18年11月からの雨期を利用して栽培の支援をすることにしたのだった。
 その期の栽培は成功。すると、山本さんの任期中にもう1サイクル栽培を試しておきたいという要望が対象農家から出た。任期の残り半年は乾期。ネリカの栽培は難しく、うまく収穫できない可能性が高い。尻すぼみの活動に手を出すよりは、自分の帰国後の任地に確実に利がある活動に力を入れるべきだろう——。そう考えた山本さんは、対象農家のリクエストを断り、替わりに「バケツ栽培」による試験的な栽培を同僚の農業普及員と共に行うことにした。直径30センチほどのバケツを複数用意し、それぞれでネリカを含む異なる品種のコメを育て、違いを確認するという取り組みだ。結果、同僚の知識の充実化を図り、彼の手でネリカの栽培普及が継続される可能性をつくるという山本さんが描いた着地点を実現することができた。
 ネリカの栽培導入支援については、「きれいに活動を締め括ること」を重視した山本さんだったが、「最後にもうひと花咲かせたい」という思いも強かった。そうして山本さんは、ネリカのバケツ栽培と並行して、任期終盤に1つだけ、それまでとは毛色の違う活動にチャレンジする。任地に「保育所」を立ち上げる活動だ。
 山本さんは以前、自宅の大家に「友人が外で働いている間、その子どもを預かっている」という話を聞いていた。任地では母子家庭を含む核家族が多く、公立の幼稚園はあるものの、保育時間は12時までであるため、働く女性たちは午後に子どもの面倒を見てくれる人を確保しなければならないとのことだった。
 場所は、大家が自宅の離れを提供。保育士に就いたのは、大家が一員となっている女性グループのメンバー3人と、保育に関心があった任地の青年1人だ。預かる時間は、幼稚園に上がる前の年齢の子は朝から夕方まで、幼稚園に通っている子は降園後から夕方までとした。
 山本さん自身が保育所開設の告知をしたことは一度もなかったが、口コミでその情報は広がり、帰国時までに登録児童は約100人にまで増加。山本さんの帰国後も、「引き続き運営している」との連絡が大家から入っているという。
 山本さんは、この保育所で「情操教育」の導入も試みた。任地の幼稚園ではそれが欠けているのを知っていたからだ。保育士を務めてくれる人たちに情操教育の重要性を伝え、日本から持参していた折り紙や積み木などのおもちゃを寄贈。「このおもちゃをこう使えば、子どものこういう能力を育てることができる」といったひととおりの説明もした。しかし不十分だったようで、「投げて遊び、壊して終わり」という状態になってしまった。「どう活用されるか」に配慮せずに行う「物」や「金」の援助には意味がない。そんな自戒は着任当初からあったが、「最後に一花を」という焦りからそれを犯してしまったというのが、山本さんの反省である。

*2 ネリカ…アジアイネの高収量性と、アフリカイネの耐乾燥性・耐病虫性などを併せ持つコメの品種。

Lesson〜山本さんの事例から〜

闇雲に手を広げない

任期の終盤になって新たな活動への着手を検討する場合、帰国までにその活動をどこまで進めることができるか、「着地点」を計算し、実行の是非を冷静に判断することが重要だ。

知られざるストーリー