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カザフスタンの柔道選手とメダル獲得を目指す

千原慎太朗さん
バングラデシュ・柔道・2010年度3次隊
カザフスタン柔道代表チーム コーチ

青年海外協力隊員としてバングラデシュで柔道指導者として活動した後、ミャンマー、中華人民共和国で柔道の指導に携わり、現在は、カザフスタン柔道体表チームのコーチを務めている千原慎太朗さん。東京2020オリンピック競技大会でのメダル獲得を目指し、選手とともに奮闘している。

2019年世界柔道の東京大会で担当するカザフスタンの選手たちと千原さん(右から2人目)

カザフスタン柔道代表監督(中央)と選手、コーチ

合宿中の選手たち。合宿中は、コーチと選手は相部屋。練習時間以外も一緒に過ごす

 柔道指導者としての一歩目は協力隊。現在カザフスタン代表チームのコーチを務める千原さんはそう話す。

 海外での柔道指導者を目指すきっかけは、大学の授業の1つである海外武道実習でフランスに行ったことだ。現地の人と言葉を介さずとも柔道でわかり合えることに魅力を感じた。指導経験を積むため、卒業後に協力隊に参加し、バングラデシュ柔道代表選手の強化と柔道の普及に携わった。任期満了後、日本の柔道団体から仕事を紹介され、ミャンマーへ。ミャンマー柔道代表チームの監督として参加した東南アジア競技大会で、同国過去最多の4個の金メダルをもたらした。その実績を買われ、翌年から3年半、中国で柔道を指導。2018年よりカザフスタン代表選手のコーチを務め、海外指導歴は合計10年になる。

 現在のコーチとしての仕事は主に2つ。合宿での指導と、試合への帯同だ。指導初日、選手たちは千原さんを友人のように迎えてくれたものの指導者とは見ていないようだった。千原さんは選手の練習を見て弱点を分析した後、選手と2人で練習を始めた。選手は千原さんを投げようとするが投げられない。そこで選手に投げられない理由を伝えると、選手は千原さんをコーチと認める。「指導者としての実力を最初に見せることが大事」というが、指導者としての一歩目は困難の連続だった。

 バングラデシュへの派遣当初は指導の初心者だった千原さん。現場に立って指導者としての知識不足に悩んだという。

「そこから独学で勉強を始めました。柔道以外に、マッサージや栄養学、運動生理学なども学びました。日本なら接骨院に行くなど、各分野の専門家を訪ねられますが、環境が整わない開発途上国ではそうはいかない。本を読み、自分の体で実践し、知識を蓄積しました」

 活動中は、代表選手が練習に来ず、配属先には柔道技術の向上より金銭的支援を求められるなど、想像もしなかった状況に怒りを覚えた。一方、柔道が好きで懸命に練習する選手もいて、彼らを見ているうちに怒るより今できることは何かを考えるようになった。そんな積み重ねが現在の指導に生かされている。

 カザフスタンの柔道合宿は山奥にある施設で数週間行われる。選手のポテンシャルは高いが、競技選手というには精神的に幼く、生活態度もルーズ。そこで代表監督は千原さんに合宿中の指導に加え、「選手の親になること」「精神的に自立し、自発的に練習するという日本人選手の規律やアスリートの心を伝えること」を期待していた。とはいえ、千原さんはそれらを日本の方法で伝えることはしなかった。

「多くの国で人と出会ったことで、それぞれの国民性を知ることができ、それが指導方法にも反映できるとわかりました。例えばカザフスタンの人は、プライドが高いけれど実は打たれ弱いので、褒めて伸ばすように指導します」

 また、選手とは、選手としてだけではなく人としての成長も願い、できる限り話し合う。どんなチャンピオンに、どんな人間になりたいのか、と。

「私は幼い頃に柔道を始め、憧れの選手のようになるのが夢でした。指導する選手には誰かの夢となるようなチャンピオンになってほしい」

 2019年世界柔道選手権東京大会では、自身が担当する中量級(81キロ級、90キロ級)の選手と来日。試合での課題を見つけ、オリンピックへ向けて指導に熱が入ってきた今年3月、新型コロナウイルス感染症の影響で練習はストップ。柔道国際大会も8月一杯まで行われない。一瞬日本への帰国も頭をよぎった。

「選手たちは柔道が好きで私もそんな彼らが好き。だから彼らを裏切れない。選手の望みを叶えるのがコーチの仕事であり、それを叶えて喜ぶ選手を見ることがやりがいなのです」

 6月に練習が1度再開されたが、今後の見通しは不明。今は自宅で体づくりや柔道の知識の更新をし、本格的な練習開始を待っている。

[プロフィール]

1987年生まれ、熊本県出身。2010年、国士舘大学体育学部武道学科卒業。11年1月、青年海外協力隊員としてバングラデシュに赴任。バングラデシュ柔道代表選手の強化と、柔道の普及に携わる。13年1月、帰国。ミャンマー、中華人民共和国で柔道の指導をした後、18年4月よりカザフスタン柔道選手の指導にあたる。

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