中南米で初めて協力隊が派遣された、中央アメリカの小国
※2021年11月25日現在
出典:外務省ホームページ
※2022年5月31日現在
出典:国際協力機構(JICA)
日本とも共通点の多いエルサルバドル。国づくりへ向け、協力隊への期待にも大きなものがありました。派遣開始当初の状況に詳しい望月 久さん、最近の現地の様子を知る山本美香さんにお話をお聞きしました。
PROFILE
1967年、海外技術協力事業団(現JICA)に入団、青年海外協力隊事務局に配属。70年、エルサルバドルに協力隊調整員として派遣された。その後、エルサルバドル駐在員、パラグアイ駐在員、メキシコ事務所長、青年海外協力隊事務局長、理事などを歴任。
PROFILE
1992年、国際協力事業団(現JICA)に入る。ボリビア事務所長、青年海外協力隊事務局総務・企画担当次長を経て、2017年、女性として初めて同事務局長に就任。19~21年、エルサルバドル事務所長。現在、ウルグアイ支所長。
エルサルバドルは16世紀にスペイン領となったが、1821年に独立。その後は植民地になることはなかった。しかし、スペイン語で「救世主」を意味する国名とは裏腹に、困難と向き合ってきた国でもある。20世紀も長期間、軍事政権下にあり、1979年から92年まで続いた政府と反政府勢力との内戦の犠牲者は推計で約7万5千人。多くの国民が移民としてアメリカへ渡った。
協力隊の派遣は、中米で最も早く68年に始まった。70年から初代のJICAエルサルバドル協力隊調整員を務めた望月 久さんは協力隊派遣のきっかけを「元駐日大使で親日家だったワルテル・ベネケ文部相から、68年開催のメキシコシティオリンピックに向け、選手を指導してほしいと伝えられたこと」と振り返る。
第1陣の派遣は、陸上や水泳など体育職種の8人。オリンピックに向けた代表選手の指導には間に合わなかったが、「体育教員養成学校」設立への協力を求められ、カリキュラムの作成や生徒の募集、開校後の実技指導まで深く関わった。しかし、79年に内戦が勃発。隊員の退避を取り仕切ったのは、2度目の駐在となった望月さんだった。前出のベネケ文部相も内戦中に暗殺された。隊員の派遣再開は、和平合意翌年の93年だった。
「中米共通の課題ですが、格差、雇用、教育など取り組むべき課題が多く残されています」と話すのは、前JICAエルサルバドル事務所長の山本美香さんだ。「特に地方では就労の機会が限られ、仕事を得るために必要な教育の機会も十分ではありません。一方で銃器が出回り、ギャングなどが若者を取り込もうとする。誘いを断れば危害を加えられる恐れもあります」。推定250万人の在米エルサルバドル人からの送金は、本国のGDPの約2割ともいわれる。生活の支えであるが、それがアメリカ型消費生活を促しているとの見方もあるという。
現在は、2019年に就任したナジブ・ブケレ大統領が高い支持率の下、投資促進、大型インフラ事業、治安回復などを進めるが、ビットコインの法定通貨化など物議を呼ぶことも少なくない。
国土が狭く、地震や火山噴火、洪水などの災害も多い国。「人々は忍耐強く、勤勉で、まじめ。『中米の日本』といわれるほど」(望月さん)。安全確保のため、協力隊が活動できる地域も行動も制約があるが、信頼や期待は大きく、派遣50周年の18年には記念切手も発行された。
Text=三澤一孔 プロフィール写真提供=ご本人