[特集]協力隊の「活動成果」を考える

後藤大祐さん
後藤大祐さん
モルディブ/陸上競技/2008年度2次隊・広島県出身

JICA青年海外協力隊事務局 海外業務第二課主事。協力隊から帰国後は、NPO職員としてパレスチナに約1カ月間滞在し、協力隊事業の本質に気づき、駒ヶ根訓練所(訓練スタッフ)やインド(企画調査員[ボランティア事業])で勤務後、現職。



コーチとしての成果と
協力隊員の成果は別もの

「人を育てることは、すぐには成果が出ない」、磯野さんの実感だが、中にはたった2年で成果を出した人もいる。冒頭で登場した後藤さんは、それに当たる。中学校、高校、大学と陸上選手だった後藤さんは、モルディブの陸上競技の普及と強化のためにコーチとして派遣された。

   地方巡回が始まり、現地コーチや選手に指導していく中、とある島では指導した生徒たちから大会で記録を出したり、国の記録を塗り替えたりする者が出てきた。

「当時のモルディブの陸上競技のレベルは日本でいう中学生の全国大会出場レベルにあって、それだけ伸びしろがある状態。まして日本のように日常的にトレーニングする習慣がなかったため、当然伸びるわけです。どんどん記録が出るから、あのコーチはすごいなんて評価を頂いていたんです」

島々を巡回指導した後藤さん

島々を巡回指導した後藤さん

   わずか2年で、しっかり成果を出して評価を受けた後藤さん。さぞや充実した隊員生活かと思いきや「納得できなくて」と声を落とす。

「陸上競技のコーチとしての成果は出せたけれど、協力隊員としての成果は出せたのかと悩んでしまって。モルディブの人たちの陸上競技の能力を上げたからといって、国の記録を超えたところで、彼らのお金になるわけでもないし、就職できるわけでもない、何になるんだろうって。小学校教育の隊員は子どもの将来の幅を広げるし、野菜栽培の隊員は仕事につなげられるし、周りの隊員たちはすごくモルディブのためになっている気がして、自分の成果はこれでいいのかなと」

   悩んだ後藤さんは、苦しい胸のうちを企画調査員(ボランティア事業)(以下、VC)に打ち明けると一言「友達になれば十分だよ」。

「そう言われて、私はすごく腹が立ったんです。友達をつくるためにわざわざモルディブまで来たのか。そんな私のために税金を使ってもらっているのかと、申し訳なくもなりました。確かに協力隊の目的は、①開発途上国の経済・社会の発展、復興への寄与、②異文化社会における相互理解の深化と共生、③ボランティア経験の社会還元、とあります。でも当時の私にとっては①が重要で、②はなぜ重要なのか疑問を持っていたんです。だから協力隊の目的は、私の職種に当てはまらないのではないかと疑問に思っていたのです」

   記録という成果を上げ、お礼を言われる一方、後藤さんがやっていた指導法が引き継がれることもなく、何も変わらなかった。協力隊の在り方、案件の意義がわからず、モヤモヤしたまま任期終了。「協力隊が大嫌いになって帰ってきた」そうだ。

パレスチナで男の子に
突進されて目が覚める

   そんな協力隊事業に不信感を抱いていた後藤さんが、今は協力隊事業に心底ほれ込み、仕事として携わっている。転換点はパレスチナでの出来事だ。

「協力隊から帰国後、広島のNPOに就職し、そこの職員としてパレスチナに一時的に赴任しました。パレスチナに行くと、そこらじゅうに銃を持つイスラエル兵士がいました。ある日、外を歩いていたら小さい子が自転車でこっちに向かってきたんです。アジア圏以外の国では東洋人はよくからかわれますが、ここでもそうかなと思ったら、なんと自転車で直接ぶつかってきたんです。小さな子ですら、よそ者を攻撃してもいいという感覚でいることにショックを受けました」

   その時に後藤さんの頭にふと浮かんだのが「友達になれば十分だよ」と、モルディブ時代にVCから言われた言葉だった。

「私の中では怒りにしかならなかったあの言葉が、すっと腹に落ちたんです。なるほど、私はモルディブに陸上競技を教えに行ったわけではない。陸上競技はツールであり、これを通じて、私という日本人とモルディブ人が仲良くなった。それが日本国とモルディブ国の住民レベルの関係につながるんだと。そしてそれに対してお金をつけている日本政府はすごいじゃないかって。百八十度、見方が変わったんです」

   その後すぐにNPOを退職し、JICAで働くことを目指して今に至る。隊員としての成果について悩み続けて、ようやく異国の地で自分なりの答えがわかった。「友達になること」、このシンプルな答えにたどり着くまでに、かなりの時間を要したが、もし隊員時代に戻れるなら、どうするか。

「あれだけ陸上競技に振り切ってやって、あれだけ悩んだから今がある。だから今戻っても変わらないと思います。でも、一つできるなら、厳しい指導者としてだけではなく、現地の人ともっと生活を共にして人間としてつき合うかな」

   とはいえ、その思い残しが今の事業への愛とモチベーションにつながっているから結果オーライ、と笑う。

「何が成果なのか、それは自分が決めることではなく、派遣国の人が決めることです。渦中にいる時は、それを達観することは難しいので、とにかく一生懸命活動に取り組んで、悩み続けるしかない。答えを出そうと必死にもがくこと自体が、重要なのだと思います」

つづく(太田美帆さんのページへ)

Text=池田純子   Photo=ホシカワミナコ(本誌/後藤さんプロフィール)写真提供=後藤大祐さん

知られざるストーリー