[特集]協力隊の「活動成果」を考える

小國和子さん
小國和子さん
インドネシア/村落開発普及員/1994年度2次隊、シニア隊員/インドネシア/村落開発普及員/1998年度0次隊・大阪府出身

日本福祉大学国際福祉開発学部・同大学院国際社会開発研究科教授。開発人類学を基に農村開発援助実務、研究に携わる。研究テーマは農村開発・生活改善・フィールドワーク論・文化と開発・月経衛生対処など。



予算はありがたいけれど、
成果に縛られる

1996年、小國さんが村の女性たちを集めて行ったミシン教室

1996年、小國さんが村の女性たちを集めて行ったミシン教室

   太田さんが住民参加型にこだわったように、94年に村落開発普及員としてインドネシアに赴任した小國和子さんも、住民と一緒に活動していく「協働のプロセス」が大切、と話す。

   小國さんの場合、95年から5カ年計画で開始された「協力隊員のチーム派遣」プロジェクトの最初の2年間の初代隊員として派遣された。年間200万円の事業予算を確保したプロジェクトであったことから、隊員は常時5、6名いて、引き継ぎ期間もしっかりある、村に通う公用車の予算もある、そういった手厚い状況だった。だからこそ、常に「目に見える事業成果」に縛られていたと語る。

「赴任直後の私の仕事は、5カ年プロジェクトの成果を測れるよう、ローカルな観点から指標を作ること。でも、そもそも何を指標とするのか、成果とは何かということを、全くつかめないままスタートを切りました」

1999年、育苗所の水道取水槽建設現場で作業する小國さん

1999年、育苗所の水道取水槽建設現場で作業する小國さん

   とにかく1年目は「誘われたら断らない」をモットーに、村の「ローカルな」実態把握に努めた。

「村の人たちの生計向上を目的とする事業だったので、より深く人々の経済生活を理解し、かつ、調べるだけでなく実際に何か役に立つことができないかという志向になっていきました。そこで二つの村の女性たちに家計簿をつけてもらったり、みんなで集まって料理をしたりといった〝女性月例会〟のような取り組みを始めました。一つの村では、技術をつけるためにミシン講習会を受けたいという声が上がり、その実習も行いました」

   しかし、女性月例会という目に見えにくい活動では「プロジェクトの成果」とはいえないのではないか。小國さんはこの大きな課題に対して満足いく結果を出すために、無意識に「目に見える活動」に魅力を感じるようになった。

   他の隊員たちが「バリ牛の肥育のための環境整備」や「乾期裏作のための優良品種の落花生の生産」など、説明しやすい活動に着手していたことも刺激になった。そこで小國さんは、住民からも要望があり、身近に成功事例があった「住民の手による水道敷設」に取り掛かる。

「水道敷設は全くの素人でしたから、一つ一つのステップを住民と一緒にやろうと測定調査からスコップや部品の購入、穴掘り工事まで、測量や設計の技術のある隊員の力を借りながら、すべて共に取り組みました」

   結果的に、女性月例会を細々と帰国直前まで続けつつも、後半は水道敷設が活動の中心になった。その後プロジェクトでは、同じ分野で複数人の隊員が派遣されて、実施方法を見直しながら、水道敷設を手がけることとなった。

水道敷設も関係づくりも
どちらも大事な「経験」

   赴任当時は「目に見える成果」を求めて水道敷設を行った。水道事業は「一番ではないかもしれないけれど確実に必要」というベーシックニーズであり、小國さん自身、着手することに抵抗も少なく、完成時の達成感も大きいものだった。一方、村の実態把握と女性たちとの関係づくりを中心とする個々の活動は、目に見えにくく成果としてはまとめにくい。しかし水道と同じぐらい小國さんにとっては大事な活動だったと言う。

「帰国後、毎年のようにインドネシアを再訪しました。集落内の貯水タンクに水が入っている音が聞こえると、泣くほど嬉しかったことを覚えています。しかし、その後、水道は老朽化し、タンクはモニュメント化していきました。そんな中、教えている大学の学生を連れて村を訪れたところ、かつて月例会の活動に参加していた女性の一人が『カズ(私の愛称)とミシンを学んだり、料理を作ったりしたのよ』と学生たちに話してくれました。正直、その時の私は水道敷設以外のこまごまとした活動をほとんど忘れていたので、彼女の口からそういった話が出てくるとは思いもよらず、感激しました」

   水道のように「目に見えるもの」は、それが機能しなくなったり、不要になったりすると過去のものになるが、「自分が力をつけるために一緒に何かをやったこと」の記憶は何十年たっても残り続ける。「隊員としての活動が、いかに柔軟で等身大であることが重要か思い知らされました」。

プロジェクト成果をまとめたパンフレットの水道ページ(1999年)

プロジェクト成果をまとめたパンフレットの水道ページ(1999年)

   だからこそ、一番大事なのは、その場にいる間の「協働のプロセス」と小國さんは言い切る。

「いわゆる事業の成果を測るという意味では、女性たちとの活動は場当たり的で測りにくいものでしたが、20年以上たって彼女たちが、そうやって語ってくれたことで、それが彼女たちの人生を豊かにする経験だったと知ったんです」

   ここまでくると、逆転現象が起こる。最終的に水道敷設も女性たちとの活動も、どちらも協働のプロセスが大事だとわかったと言う。

「どちらにしても目の前にいる相手と良い関係を構築し、一つ一つのステップを大事にして、共に意思決定をしていく、そこをしっかりやっておけば、たとえ目に見える結果が〝失敗〟の状況だったとしても、自分にとっても住民にとっても、その後の人生の糧になっていくと思います」

   もしも目に見える成果を出さなければ、とプレッシャーを感じているなら、目の前にいる相手と5年、10年、20年と続く関係性を想像してみてほしいと小國さんはエールを送る。

「地域に関わる活動の場合、2年で成果を出さなければと思っているのは隊員のエゴでしかありません。2年で帰るのは隊員だけで、現地の人たちは次の日もその地での生活が続くわけですから。隊員は、自分との出会いを後からどんなふうに語ってもらえるかを考えながら、その時その時を大切に活動してほしいですね」

   目の前の相手に自分という資源を生かしてもらうつもりで、できることをやることが結局は、自分も相手も大切にすることになる。

「自分との関わりが、相手にとっての支えや励みになって、その後の人生の選択につながるなら、それ以上の成果はないのではないでしょうか」

つづく(失敗から学んだことは?[現役隊員へのアドバイス])

Text=池田純子   Photo=ホシカワミナコ(本誌/小國さんプロフィール)写真提供=太田美帆さん

知られざるストーリー