JICA海外協力隊員ってどんな人?

CASE3   社内の休職制度を利用して
入社4年目で現職参加
派遣国での経験が公私両面の糧に

現職参加した日比野ともみさんの場合
▶ 楽器メーカー勤務
▶ JICA海外協力隊に参加
▶ 帰国後:復職から約10年を経て、隊員経験を生かして活躍中

配属先の先生や生徒たち。音楽教育に反対する親もいた一方、子どもたちからは授業に出たいと泣かれることもあった

配属先の先生や生徒たち。音楽教育に反対する親もいた一方、子どもたちからは授業に出たいと泣かれることもあった

日比野ともみさん
日比野ともみさん
ヨルダン/音楽/2012年度1次隊・東京都出身

幼い頃から音楽を学び、2008年に新卒でヤマハ株式会社に入社。入社4年目の12年6月、社内の休職制度で協力隊員としてヨルダンに赴任。約2年間の活動を経て復職し、プロオーディオ部門などを経て22年からは新興国で楽器演奏人口の拡大を推進するプロジェクトに就き、エジプトなどを担当している。23年の「第1回JICA海外協力隊 帰国隊員社会還元表彰」で現職参加発展賞に選ばれた。

   大学時代のドイツへの留学経験などを経て「日本の良い製品を海外に広めたい!」と2008年にヤマハ株式会社に就職した日比野さん。グローバル企業とはいえ、経験の浅い若手では海外に出る機会がなかった中、協力隊応募を考えたのが入社3年目の頃だった。

「当時、20代のうちに海外の人々と一緒に働く経験をし、社会人として成長したいとの思いが強くありました。そこで社内制度の隅々まで目を通したところ、海外協力休職制度を利用すれば籍を残したまま協力隊に参加できることがわかりました。親戚にJICA関係者がいたりして、海外ボランティアという選択肢が意識の中で身近だったことも決め手だったと思います」

   部署の先輩に相談しつつ、同制度で協力隊に参加した社員の情報を集めたところ、復職後は海外に強い人材として活躍しているとわかった。「帰国後に社内での居場所がなくなることはなさそう」と感じて応募を決めた日比野さん。休職申請では上司も念入りにJICAへの推薦状を書いてくれ、11年にめでたく協力隊に合格した。

難民キャンプ内の学校で活動していた時期には、CPの家族の自宅にホームステイしていた

難民キャンプ内の学校で活動していた時期には、CPの家族の自宅にホームステイしていた

「合格が決まった時、社内で新規プロジェクトを立ち上げる業務に携わっていたので、それを完了させてからと必死で働いたことを覚えています。所属部署は年配の方が多くて、『若者が海外で頑張るらしい、行ってこい』といった雰囲気で送り出されました」

   日比野さんの派遣前訓練は二本松青年海外協力隊訓練所で12年4月から始まった。直前まで仕事に励んでいただけに、アラビア語学習の本格開始は入所してからとなったが、「大学で留学を経験した際の肌感覚として1年間住めばしゃべれるようになると思っており、不安はありませんでした」。

   訓練を経て同年6月から赴任したヨルダンでは、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が運営する難民キャンプの女子小・中学校に配属された日比野さん。カウンターパート(以下、CP)である音楽の先生の授業は音符の書き写しや音楽史の勉強などの板書型が中心だった。日比野さんは手作り楽器などで、音楽を体感して学ぶアイデアを提案したり、リコーダー部を立ち上げて奏法を教えたりもした。

   イスラム圏では音楽がハラーム(禁忌)とされることから、時には子どもたちの親からの反対にも直面したが、現地の宗教専門家から音楽禁止の背景を学んだりもして、現地の文化で受け入れられる範囲を探りつつ取り組んだ。

「成績重視のヨルダンの学校では学力の低い子は冷遇されがちですが、音楽の授業では成績に関係なく全員に目をかけていたので、みんな生き生きとして参加してくれたのが印象に残っています」

   音楽教育の経験はなかった日比野さんだが、教員資格のある音楽隊員に相談して知見を得るよう努めた。逆に、企業で培った資料作成やプレゼンの能力は他の音楽隊員にはないスキルで、国連職員への報告などで役立つ場面があったという。

ベトナムでのスクールプロジェクトの研修の様子。人材育成の一環として、現地講師への指導などを行っている

ベトナムでのスクールプロジェクトの研修の様子。人材育成の一環として、現地講師への指導などを行っている

   さらに活動外には、復職後の業務に役立つのではと現地の大学院に通ってMBAを取得するなど、約2年間をフル稼働して過ごした。「同世代が日本でバリバリ働いている中、漫然と任地での日々を送っていては取り残されるとの意識もあって、とにかく時間を無駄にしないようにと考えていました」。

   14年7月、日比野さんは活動を終えて復職。海外に強い人材として、海外売り上げが大半を占めるプロ向け機器の部門に配属された。「派遣前とは異なる部署ということもあって一からスタートする感覚で、転職したような気分でした。製品の顧客調査を担当したので、MBAの知見も早速役立ちました」。

   その後、マーケティング部門を経て、現在は新興国の公教育において楽器を使った音楽教育を普及・推進する「スクールプロジェクト」という事業に携わっている。担当するエジプトなどにもしばしば出張して業務に当たっており、「音楽がタブーとされる社会で音楽教育に従事した経験が直接生きている」という。現地の一般教員は英語がわからないのが普通で、アラビア語能力も役立つ場面が多い。

「留学したドイツでキリスト教圏につかり、イスラム教圏や途上国での暮らしも経験したことで、宗教感覚や現地事情を想像しながら仕事ができています。さらにMBAでマーケティング感覚も身につけたことで、独特のキャリアを形成できたと感じています」

   協力隊経験を経て、人生観も変わったという日比野さん。家族を最優先に考える現地の人々や、仕事第一で働く企業の駐在員たちそれぞれの姿を、客観的に見比べられたのがよかったと振り返る。

「派遣前に結婚していたのですが、当時はすごくキャリア中心志向でした。それが、ヨルダンでホームステイ先の家族の姿に触れる中で、帰国したら『まずは子どもをもうけてから海外キャリアなどを目指そう』『家族をもっと大事にしよう』と思うようになりましたね。そうした意味でも学びが多い2年間で、今の人生にとっての影響は本当に大きかったと思います」

応募者へのMessage

派遣を通じて異文化理解が深まったのはもちろん、キャリアや人生観を見直す時間を得られました。特に現職の方は、復職後に社内で自分のキャリアをどう積んでいきたいか活動期間中に考え続けるといいと思います。私の場合、一度外に出ていろいろな人の働き方を目にすることで、自社の良さを再認識できたのもよかったと感じます。


持って行ってよかったモノ

職種ガイド:音楽

人的資源分野の職種の一つで、教育機関での直接指導や授業改善への助言、教育系省庁でのシラバス・教材提案、地域コミュニティでの文化活動の支援など要請によりさまざまな活動形態がある。日比野さんの場合、難民キャンプ内の学校で教員の技術向上や子どもたちの音楽会の実施に取り組んだほか、任期後半には首都の国立音楽学校でトロンボーン講師などとしても活動した。


Text=飯渕一樹(本誌) illustration=サイトウトモミ 写真提供=日比野ともみさん

知られざるストーリー