失敗に学ぶ
~専門家に聞きました!   現地で役立つ人間関係のコツ

今月のテーマ:自分の活動は本当に求められているのか?

今月のお悩み

▶同僚たちが乗り気ではなく、自分の活動が必要なのか悩んでいます(アフリカ/女性)

   体育隊員として、現地の小学校で体育の授業を普及するという要請で派遣されました。

   ただ、活動先では体育を行うための備品や設備が欠けているのはもちろん、先生や教育行政の関係者からの協力も得にくい状況があります。受験や進学に必要な科目ではない上、体育という授業自体が現地では新しい概念なので仕方ない面もありますが、私の授業実践などには賛成してくれても、積極的に参加して取り入れることは皆無。

   ここで活動する意味があるのか、自信を失いかけています。

今月の教える人

堤 尚彦さん
堤 尚彦さん
ジンバブエ/野球/1995年度2次隊、ガーナ/プログラムオフィサー/1998年度9次隊・兵庫県出身

新卒で協力隊に参加。ジンバブエで、野球隊員として学校での巡回指導や指導者の育成に取り組んだ。帰国後、大学院在学中に再び協力隊員としてガーナへ赴任し、代表チームの強化にあたる。日本国内のスポーツマネジメント会社を経て、2006年におかやま山陽高等学校の野球部監督に就任。17年、チームを甲子園初出場に導き、23年に8強入りを果たした。会社員や教員の傍ら、03年にインドネシア代表コーチを、18~19年にジンバブエ代表監督を務めるなど、「世界に野球を広める」という目標に向けた取り組みも続けている。23年7月に著書「アフリカから世界へ、そして甲子園へ」を出版。

堤先生からのアドバイス

▶意外なところにニーズはあるものです
自分にできることを追求すると、見えてくるものがあるはず

   私がジンバブエで活動した時の要請は、学校などでの野球の普及活動だったのですが、赴任してみると管轄省庁の理解や支援さえ乏しい状況。また、多くのアフリカ諸国と同じくサッカーが大人気で、野球はマイナースポーツとの印象がありました。

   そうした中で始めたのが、地域の小学校を直接訪ねて、野球を教えたいと直談判すること。自分の要請内容や配属先の事情はどうあれ、とにかく現地の子どもたちが実際に野球に触れた時の反応が知りたかったのです。もしも本当に誰も興味を示さず、野球が必要とされないならば、いっそ任期を短縮して帰国しようかとさえ思っていました。

   ですが、いざ簡単な体験練習を始めてみると、ものすごく楽しんでくれる子が多いことに驚かされました。ある少年に野球のどこが面白いのか尋ねてみたところ、「僕はサッカーが下手で、ボールに全然触れない日もあってつまらない。野球は守備でボールをつないだり、打順が必ず回ってきたりするから楽しい」という答えが返ってきました。その後、つぶしたサッカーボールでグローブを作ってキャッチボールをする子を見かけたこともあり、野球を普及させる余地があると確信できました。

   サッカー一強のイメージだったジンバブエですが、実は野球のニーズもあったわけです。別に私が特殊な働きかけをしたのではなく、粘り強く子どもたちの元を訪ね続けたことが気づきにつながったのですから、一見して活動が求められていないように思えても簡単に予断を下さずに働きかけたいところです。

   そのほか、配属先の受け入れ態勢の不備や、現地で手に入る物品の不足などによって活動の意義やニーズに疑問を抱える人もいるでしょうが、そんな時こそ工夫のしどころです。自分なりの取り組みの中で、チャンスや発見もあるかもしれません。

   私は活動初期の配属先担当者との衝突のせいで、3カ月ほどオフィスに行けない〝謹慎〟の期間がありました。その時に思い立ったのが、現地で野球道具を作ることです。海外から取り寄せた道具は数が少なく、古くて傷んでいたりもするので、ジンバブエ人が作った道具でジンバブエ人がプレーできるようになればいいなと思ったのです。

   さっそく地元の靴店でグローブを作れないかと交渉すると、多忙な店主には断られたのですが、その親類で失業中の革職人が話に乗ってくれて、試行錯誤の末、日本で売られているような23もの型紙から成る精巧なグローブを作れるようになりました。商売ベースで従業員を雇うまでになり、私もJICA事務所に購入資金の援助を依頼しつつ、活動先の学校にグローブを導入することができました。

   その時に印象的だったのが、職人から「もっと野球を広めてくれ。そうしたらもっともうかるから!」と言われたことです。野球隊員といえば野球を教えることだけに目線が向きがちですが、野球の普及を通じて失業や貧困問題など、別の角度から派遣国の役に立てることもあるのだと気づかされた経験でした。

   その後、1999年からの経済危機で野球どころではない時代を経験したジンバブエですが、2019年に代表チーム監督として再訪すると、誰の指導を受けるでもなく大会の準備から片づけまで自ら行う現地の野球関係者たちの姿がありました。さらに、一介の若者として私の活動を手伝ってくれたモーリスはその後も野球振興に携わり続け、今やWBSCアフリカ(※)のコンプライアンス委員長となっています。歴代野球隊員の取り組みが現地で必要とされた結果が残ったのだといえるでしょう。

   もちろん、活動が現地で受け入れられ、結果として〝求められる〟ためは自分一人だけでやろうとせず、現地の人にもやる気になってもらうことが肝心です。私も人を引きつけることには努力を惜しまず、初対面ではできるだけ笑いを交えて話すようにしたり、伝え方を工夫したりしていました。例えば、ちょっとした説明の端々で現地の物事を引き合いに出すだけでも理解されやすいですし、喜んでもらえます。そして何より、心を開いて接することは絶対です。そうすれば、自然に人が集まってくるものです。

※WBSCは世界野球ソフトボール連盟の略で、傘下にWBSCアフリカやWBSCアジアなど、5つの大陸連盟がある。


Text&Photo=飯渕一樹(本誌) ※質問は現役隊員やOVから聞いた活動中の悩み

知られざるストーリー