この職種の先輩隊員に注目!   ~現場で見つけた仕事図鑑

野球

  • 分類:人的資源
  • 派遣中:59人(累計:706人)
  • 類似職種:ソフトボール

※人数は2024年1月末現在

CASE1

高江直哉さん

日系社会で野球指導
非日系の子どもも育成

高江直哉さん
日系JV/ブラジル/2017年度3次隊・兵庫県出身

PROFILE
高校の教諭を務めた後、オーストラリアで日本語教育に携わりながら野球を教える機会があり、海外で本格的に野球指導をやりたいと協力隊に応募した。日系社会に残る日本文化を目にし、現在は日本で、文化を次世代に伝えたいと大阪府の能勢町で地域おこし協力隊として活動中。

配属先:サルバドール日伯文化協会

要請内容:選手への直接的な助言を行いながら、選手の保護者などが将来コーチになれるよう養成支援する。競技技術に加え、日本的な礼節、規範意識、チームプレーの考え方も伝える。

CASE2

上戸翔太さん

大学の野球部を指導
競技の注目度をアップ

上戸翔太さん
マレーシア/2018年度2次隊・岡山県出身

PROFILE
高校時代、野球部の監督が協力隊経験者で、海外に野球用具を贈る取り組みに参加した。高校の教諭となり、母校で野球を教えるうち、指導の仕方を見つめ直したい気持ちから、協力隊に応募。帰国後はマレーシアにグループ会社を持つ主に人材派遣を行う会社に勤務している。

配属先:マレーシアプトラ大学スポーツセンター

要請内容:ソフトボールの認知度は高いものの野球は普及していない派遣国で、大学野球部のコーチとナショナルチームのコーチも兼任しながら、国際大会で活躍できる選手の育成を行い、野球の定着を目指す。

JICA海外協力隊には、27のスポーツ競技が職種として存在し、スポーツを通じた国際協力を担っている。「野球」もそうした職種の一つ。海外では野球がまだマイナーな国も多いが、野球の技術と共に礼儀やスポーツマンシップなども伝え、青少年の健全な育成に貢献している。

CASE1

非日系の貧困層の子どもたちへの
指導を行い全国大会優勝に導く

   高江直哉さんは日系社会青年海外協力隊としてブラジル北東部のサルバドール日伯文化協会に赴任し、日系の大人と子どもの各チームのほか、地域の非日系の子どもたちのチームを指導した。

   同市内には貧困層に属する家庭も多く、非行や犯罪に走る子どももいた。日系人の中には、日系人は日系人同士の絆を大事にすべき、と考える人もいて、日系と非日系の交流は盛んではなかった。高江さんのカウンターパートは、日系人も非日系の子どもも野球を通じて健全に育ってほしいとの思いから、私費で野球場を建設し、非日系を含めた子どもたちを指導してきた。

   平日の練習には子どもたちが集まるが、日系人が少ないサルバドールでは、9割以上が非日系の子どもたちだった。高江さんは「捕る・投げる・打つ」の基本から練習を始めた。皆、やんちゃだったが、運動能力は高かった。野球を見たことがない子も多かったので、野球の動画を見せたりもした。土・日曜日は、日系の大人のチームを中心に教えた。

   子どもたちはどんどん上達し、指導1年目の終盤に出場した全国大会では、初心者部門で優勝。翌年は一つ上の部門で再び優勝を果たした。

   素人同然の状態から始めたが、2人の部員は、「日本で野球をやらせてみようか」と思うレベルにまで上達し、実現までは至らなかったが、具体的に独立リーグのチームに入団する話も進んでいた。

   子どもの日などのイベントや優勝報告の機会を通じ、日系・非日系の垣根もなくなっていった。高江さんは「大事だったのは、コミュニケーションを深めること。野球はそのためのツールでした」と振り返る。

高江直哉さん

最高のやりがい(任期中盤)

着任からほぼ1年後、サンパウロで開かれた野球の全国大会。子どもの部に参加するには選手の数が足りないため、子ども中心のチームに大人を混ぜて大人の部に出場しました。打撃ではかなわなくても、走力などで巻き返そうとの判断でした。決勝戦は9回表を終わって同点。9回裏の攻撃で勝ち越し、サヨナラ勝ちで優勝できました。「野球の勝ち負けで泣くことはないだろう」と思っていた選手たちが涙を流して喜んでいました。私も胸が熱くなりました。


最大のピンチ(任期終盤)

高江さんは、民族を超えて楽しもうという意味を込めて、チーム名を「ユニオンズ」と命名した

高江さんは、民族を超えて楽しもうという意味を込めて、チーム名を「ユニオンズ」と命名した

全国連覇を目指して練習を続けていた2年目の夏、エースがバイク事故を起こしました。ヘルメットをかぶらず、2人乗りをしていたようです。大会の旅費も大半の用具も、野球場のオーナーの善意でした。「感謝の気持ちがあったら、そんな無謀なことはできないはず」と叱ると、練習に来なくなりました。「このまま野球をやめていいのか」と連絡し続けると、反省してくれて数週間後に戻ってきました。彼の活躍もあって、2年目も優勝。現在も時々連絡が来ます。


CASE2

同僚・上司を自分のファンにし
予算、新企画を次々と実現した

   上戸翔太さんが野球部の技術向上のために赴任したのは、マレーシアのプトラ大学のスポーツセンター。ところが着任してみると、「野球部は解散した。国際大会が近くなったら、また人を集める」と言われてしまった。

   マレーシアで人気・実力のあるスポーツは水泳やラグビー、バドミントンなどで、大学も競技の強化に力を入れる一方、野球など、それ以外の競技はあまり注目されていなかった。

   上戸さんは、チームづくりから活動を開始。現地でも知られていた日本の野球アニメを使い、野球に関心をもってもらうきっかけにし、野球部再建へメンバーを探した。3カ月もたつと、メンバーも集まり、練習も本格化してきた。「練習を続けさせるには試合だ」と考えた上戸さんは、大学対抗のトーナメント戦や、マレーシア在留外国人との国別対抗戦などを次々と企画した。

   野球部強化には、練習環境の整備や遠征の予算も必要だ。大学のスポーツセンター長がカギだと判断した上戸さんは、センター長のもとに日参して関係を深め、野球部が活躍すると大学への注目も高まることを証明しようと考えた。

   西武ライオンズのプロジェクトで道具の寄贈を受け、読売ジャイアンツとJICAの共同事業による野球教室も開催した。新聞やテレビで報道されると、センター長の考えは変わり、野球部の日本遠征や野球場の建設も承認してくれた。練習環境が整い、ナショナルチームに選ばれる選手も出た。

   野球技術と共に上戸さんが伝えたかったのは、人や社会のために行動すること。象徴的なのは、自分がアウトになっても走者を進める犠牲バントだ。「犠牲バントの結果、点が入れば、バントを決めた人がヒーローだ」と言い続けるうち、選手たちはバントのサインに従うようになったという。

上戸翔太さん

最大のピンチ(任期序盤)

着任早々、「野球部は解散した」と知らされ、「自分は何しに来たんや」と思いました。やることがなく、席に座ってパソコンをいじるだけなのが一番つらかったです。野球部をつくると決め、部員集めを始めました。自転車で大学内を回り、キャッチボールをしている人に声をかけました。「『ダイヤのA(エース)』(※)になってみないか」と日本の野球アニメを持ち出したり、ホームラン競争も企画したり。ソフトボールやクリケットの経験者も含め、必死で選手を集めました。

※ 『ダイヤのA(エース)』…2006年から少年漫画週刊誌に掲載された寺嶋裕二原作の野球漫画。13年にテレビアニメ化され海外でも人気を博している。


最高のやりがい(任期中盤)

上戸さん(中央)が指導したプトラ大学野球部のメンバー

上戸さん(中央)が指導したプトラ大学野球部のメンバー

派遣から1年後、マレーシア在留外国人との国別対抗戦を企画・開催しました。注目を集め、野球を続けてもらうための「お遊び」の国際大会ですが、日本、韓国、インド、シンガポールなど、5カ国が参加しました。現地では野球はあまり盛んではありませんが、クリケットをやっている人はいて、投げる、捕る、は上手です。最後、インドチームに負けましたが、2位になりました。「上位に入ったらご飯をおごる」と約束したせいかもしれませんが、皆が大喜びしました。

Text=三澤一孔 写真提供=高江直哉さん、上戸翔太さん

知られざるストーリー