派遣から始まる未来
進学、非営利団体入職や起業の道を選んだ先輩隊員

株式会社サンオリエント取締役社長

磯﨑慎一さん
磯﨑慎一さん
ミクロネシア/建築/1998年度3次隊、ブータン/建築/2001年度9次隊・岡山県出身



独立開業から20年、M&Aを決断
役立ったのは協力隊経験で得た柔軟性

「JICA海外協力隊の経験が会社の運営に直接役立っているとはいえませんが、日本を離れて生活する中で、人をだまさず、自分のもうけだけを優先しないという日本人のアイデンティティを見直せたのは、経営理念や人生観に影響を与えています」。淡々としながらも確信に満ちた口調で語るのは岡山市で建築会社「サンオリエント」を経営する磯﨑慎一さん。ミクロネシアとブータンでの協力隊活動を経て2003年に設立した会社はリーマンショックなどを乗り越えて現在に至る。

ミクロネシア派遣時代、現地の人たちと行ったサッカーの試合で。公私を問わず人々との交流を楽しんだ

ミクロネシア派遣時代、現地の人たちと行ったサッカーの試合で。公私を問わず人々との交流を楽しんだ

   地元・倉敷市の工業高校で建築を学んだ磯﨑さん。卒業後は大手ゼネコンの四国支店に配属された。現場監督として地図に残るような建物をゼロから造る仕事に面白さを感じる一方、努力して結果を出しても同期の大卒社員との間に給与格差があることに理不尽さを感じ、やがて独立を決意。勤務の傍らで一級建築士の資格も取得したが、営業などの知識はなく、独立開業しても何をすればいいのか想像もつかず、迷いがあった。その時に社内報の取材で知り合ったフリーライターから「アイデアがないなら、海外に行って視野を広げてみたら?」と協力隊という選択肢を教えられた。

「協力隊といえばアフリカで井戸を掘るイメージしかなかったのですが、実はたくさんの職種があって、その中に建築もあることを知りました」

   さらに、バブル経済が崩壊し、建築会社の買いたたきが常態化した時代的背景も、磯﨑さんの背中を押した。

「何十年も使われる建築物を造る私たちの技術は安売りすべきものではありません。日本にいるより海外を知ってみようとの思いもありました」

   1999年に協力隊員としてミクロネシアへ赴任した磯﨑さんは、ヤップ州公共事業局の契約設計管理課に配属され、全国規模のスポーツ大会に向けた運動施設などの設計に従事。約束や工期を守る感覚が希薄な社会にカルチャーショックを受ける一方、人々との交流で人生観が変わる経験もあった。

サンオリエントは公共事業から個人の注文住宅までさまざまな建築業務に対応しており、コンサルティングから施工管理まで総合的に担えることを強みとしている

サンオリエントは公共事業から個人の注文住宅までさまざまな建築業務に対応しており、コンサルティングから施工管理まで総合的に担えることを強みとしている

   国防を米国に委ねているミクロネシアでは、国民が米軍兵士に採用されている。磯﨑さんが親しくなった若者も海兵隊を志望していた。「命の危険があるからやめておけと軽く言ったら、離島出身の自分が今の境遇から抜け出すには、軍隊に入ることぐらいしかチャンスはない、と言い返されたのです。安易なことを口にしてしまったと謝ると同時に、努力次第で職業を選べる日本の良さを改めて知りました」

   日本で暮らして働いているだけでも幸運なのだから、仕事で多少失敗してもいいじゃないか――。このような確信を得た磯﨑さん。ミクロネシアからの帰国後、ブータンへの8カ月間の短期派遣や日本国内の建築会社での1年間の勤務を経て、自ら建築業で起業。経営者としての歩みをスタートした。

「協力隊経験を通じて視野が広がったことも会社経営に生きている」と話す磯﨑さんは、2022年に自ら設立したサンオリエントの株式を売却し、他社のグループ会社にするという大きな決断をした。いわゆるM&Aで、自らは代表を退き、サンオリエントを率いる取締役社長のポストに就いている。その狙いは、自分に不測の事態があっても会社の事業を継続させることだ。

「建築物にはメンテナンスなどで関わり続ける必要があり、建築業界では事業継続が経営者としての大切なテーマです。ただ、中小企業では社長に責任が集中しがちなので、社長の僕が倒れたらおしまいです。50歳を過ぎてからは対策を本気で検討し、優秀な部下の育成などいろいろな手法を検討してみましたが、どれも問題の解決につながりそうもありませんでした」

   そして逆に、「トップである自分の立場を一つ落とし、誰かに上に立ってもらうのはどうか」という視点の転換に至り、M&Aを決めた。

「一緒になった株式会社高翔のトップは僕より若く、不動産事業が強みです。受注したり販売したりするプロなので、家を建てるのが得意な僕たちと補完し合えています」

   苦労して育て上げた会社の代表権を他人に譲るという決断は簡単なものではない。それでも、従業員や顧客を安心させるべくM&Aを決めて実行した磯﨑さん。協力隊で培った広い視野と柔軟な人生観が彼を支え続けている。

磯﨑さんの歩み

1969年、岡山県倉敷市に生まれる。小学生の時にカンボジア内戦の悲劇をテレビや写真で知り、国際協力に目覚めた。

「小学生の時、カンボジア内戦の悲劇を知って、乾パンなどをたくさん運べる船を買えるような大人になろう、と決意したことを覚えています。その後、工業高校の建築科に進むことも、一発もうけられる可能性がある!と思って決めました」

1987年、大手建設会社に就職し、現場監督や施工管理などを担当。

「現場では、年上の職人さんに対して礼儀をわきまえつつも、指示を出したりする必要があります。ただ、私は上下関係の厳しい体育会系の経験を積んでいたので、幸いにコミュニケーションには困りませんでした」

1999年、協力隊員としてミクロネシアへ。

「要請は施工管理だったのですが、行ってみると設計業務を求められました。一緒に作業するのはアメリカ人やフィリピン人。現地の人は設計に携わらないので、技術移転に貢献できたかは疑問が残りますが、とにかくマンパワーとして活動を全うしました」

2001年、短期隊員としてブータンに赴任。

「8カ月間だけでしたが、従来は現地で一般的だった石ではなくプレハブで学校を建てるため、設計などについてアドバイスをしました」

2003年、岡山県でサンオリエントを設立。

「開業に先立ち、独立を目指していることは伝えた上で、1年間は岡山市内の同業他社でお世話になって人脈を広げたりしていました」

2022年、兵庫県の不動産会社との間でM&Aを実行。

「隊員経験を通じて『幸せ』や『成功』の定義が変わったと感じています。東日本大震災やリーマンショックなど激動の時期を経て、今、日本で無事に事業を続けられているだけでラッキーとさえ思えます」

Text=大宮冬洋 写真提供=磯﨑慎一さん

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