都市開発計画の仕事に
打ち込んでいた20代。
偶然の出会いが、
私と国際協力を繋げてくれました。
国際協力に関心が薄かった私に、協力隊の存在を教えてくれたのは、大学卒業後に勤務していた建築事務所。スタッフがJICA海外協力隊訓練所の建築コンペに参加する機会があり、青年海外協力隊の資料を手にしたことがきっかけでした。就職して、4年目のことです。
当時は仕事の知識や技術が徐々に身についてきた頃で、都市再開発計画の業務にもやりがいを感じていました。将来も都市計画の専門家として働くつもりでいたのですが、当時は女性というだけでクライアントに頼りなく思われることもあり、少し壁にぶち当たっていたことも事実。そんな時に協力隊のことを知り「自分の持っている知識を生かして技術協力をしつつ、海外で経験を積んで戻ってくれば、今後のキャリアアップに繋がるかもしれない」と思ったのです。

決めたら迷わないタイプの私はすぐに応募し、都市計画隊員としてフィジーに赴任することに。都市開発省・都市計画局に配属され、都市部の開発調査や企画、環境問題に関する調査などをすることになりました。
現状調査を担当した場所のひとつに、首都であるスバ郊外のラミ(Lami)町がありました。観光地のイメージが強いフィジーですが、観光資源の少ない首都はあまり観光客が足を運ばないエリアです。首都にも関わらず廃棄物処理施設が整っておらず、広場にゴミが山積みに捨てられているような状態でした。そのほかにも、農村から都市部に出てきて住むところがないといったホームレス世帯の住居問題を通して、この国が抱える経済格差や地域間格差にも直面しました。
また私が赴任した1987年は、総選挙でインド系の勢力が強まり、危機感を覚えたフィジー軍が1970年の建国以来、初めてクーデターを起こした年でした。フィジーは複合民族社会で、先住民族のフィジー人とインド人の割合が半々の国。クーデター直後の12月に赴任したこともあり、「こういう世界もあるのか」と様々な現実を肌で感じ、さらに現地でいろいろな人の話を聞いているうちに、もともと持っていたフィジーのイメージとは違う実態が見えてきました。
