日本も元気にするJICA海外協力隊 三重県

菊山 順子さん

菊山 順子さん 青年海外協力隊
Junko Kikuyama

NPO法人伊賀の伝丸副代表理事

【職場】
三重県
【職業】
団体役員
赴任国
パラグアイ共和国
パラグアイ共和国
【赴任地】
パラグアリ県ウブクイ市
【職種】
家政
【派遣期間】
1987年12月~1989年12月

在住外国人の問題解決に尽力しながら
「共に住みやすい街」を目指す

言葉は生活の基本。パラグアイでの協力隊時代、住民たちの生活を改善しようと活動する中で
身につけたスペイン語を活かし、地元の伊賀市で外国人の相談に対応してきた。
今は、未来を担う子どもたちのために何ができるのかを模索しながら、活動を続けている。

家政隊員として
パラグアイで幅広く活動
 「青年海外協力隊の2年間、苦しくてもスペイン語で頑張り続けることができた。それだけでも大きな収穫でした」
 菊山さんが1987年から協力隊で活動したパラグアイは、南米の内陸国で農牧畜が盛んだ。肉中心の食事の偏りから生活習慣病が多く、子どもの肥満度も高かった。栄養士である菊山さんは、隊員仲間と協力し合いながら、周辺の村をまわって、野菜料理の講習会を開いたり栄養指導を行ったりした。初めは野菜料理を敬遠していた人たちも、「美味しい。家でも作ってみよう」と言ってくれるまでになった。また、編み物など手芸の指導をはじめ、小学校では歯磨きなどの衛生指導、農業高校では豆腐など食品加工の指導も行った。
 「家政という職種は幅が広く、あちこちに目配りが必要です。気がついた問題点は放っておかない。それが活動を続けるパワーになりました」
家政隊員としてパラグアイで幅広く活動
地元での共生のために
スペイン語を活かす
 帰国後もスペイン語を活かした仕事をしたいと思っていた。ちょうどその頃出入国管理法が改正され、名古屋と大阪の中間地点で工場の仕事がたくさんある伊賀市にも、日系の人たちが大勢移り住んできた。現在では人口の6%が在住外国人、小学校でも各クラスに2、3人外国人児童がいる。
 菊山さんは教育委員会が募集していたスペイン語の通訳に応募。小学校で外国人児童のための日本語指導クラスを担当することに。1993年には日本語教育を行うボランティア団体「伊賀市日本語の会」を発足。日本語教師ではない菊山さんは、コーディネーター役だ。
 伊賀市が1995年に立ち上げた国際交流協会の事務局を務めたほか、多国籍料理店「ぽれぽれ家」を経営し、ペルー人たちと南米の民族音楽を演奏するグループを作るなど、協力隊時代と同じように、多彩な活動を繰り広げている。
 「食と音楽は受け入れやすいですよね。私の活動はすべて、外国人との交流の中で生まれ、繋がっているんです」
 そんな菊山さんのもうひとつの大事な活動の場が、NPO法人「伊賀の伝丸」だ。代表を務める和田京子さんとは、国際交流のための会議で知り合った。
 「海外ではとても孤独で、誰にも相談できなかった経験が私にもあります。親兄弟もいない日本で暮らしている外国人が心配でした」と和田さん。二人で「心を伝える」NPO法人を立ち上げ、忍者の里なので「伊賀の伝丸」と名付けた。2019年 4月には 20年目を迎える。
 最初の数年は交流を活動の中心にしていたが、当初の問題意識に立ち返り、現実的な問題解決を優先しようと方向を転換した。
 当初の相談は、ビザや医療、会社でのトラブル、生活費など、重い問題が多かった。スペイン語、ポルトガル語、中国語など数か国語での多様な相談に、わずかなスタッフでは補いきれない。団体の運営・経営は本当に大変で、一時はやめようと考えたこともある。でも、現実を目の当たりにすると、続けなければという使命感が湧いてくる。
 「通訳や翻訳には神経を遣います。医療関連は命にかかわるし、法律はわかりやすく読み解いてから翻訳しています。学校関係なら先生にわかるよう日本語の対訳をつけるなど、工夫しています」
外国にルーツのある
子どもたちにも
学びやすい環境を
 「今後の課題は子どもたちの教育です。支援を続けてきた外国人の子どもが成人し、社会人になってきた。でも、母国語も日本語も中途半端で学力が伴わず、高校進学がうまくできない子も多い。いろいろなところで、外国人のためのセーフティネットが欠けています」
 ここで活躍して、生きてきてよかったと思えるようになってほしい。だから、外国人だけでは難しい部分を、一緒に考え行動する。行政のサポートが行き届かない子どもたちの教育環境をできるだけ整えよう、と活動を移行中だ。
 菊山さんはここに住む外国人にとって、お母さんのような存在だ。「改正入管・難民認定法が施行され、外国人はもっと増え続けるでしょう。在住外国人が暮らしやすい寛容な社会は、誰にとっても暮らしやすいと気がつきました。だから、外国人を助けるだけではなく、お互いのために活動しているのだと考えています」
 協力隊時代にスペイン語で頑張り抜いたことを思えば、これからも頑張れる。菊山さんはスペイン語を活かし「ますます面白くなる」と言いながら、地元のために前向きに奔走している。
  • 最近はメールでの相談や問い合わせも非常に多い。その1つ1つに、知識と経験をもとに工夫を凝らしながら応えていく。
    最近はメールでの相談や問い合わせも非常に多い。その1つ1つに、知識と経験をもとに工夫を凝らしながら応えていく。
  • 伊賀市内には、活動に賛同し協力してくれる人も多い。
    伊賀市内には、活動に賛同し協力してくれる人も多い。
  • 20年間手を携えて進んできた代表の和田さんは、かけがえのない同志。
    20年間手を携えて進んできた代表の和田さんは、かけがえのない同志。
菊山 順子さんProfile
 三重県出身。大学の家政学部を卒業後、学校栄養士として勤務。青年海外協力隊に現職参加しパラグアイへ。帰国後は、伊賀市でスペイン語通訳、「伊賀日本語の会」代表、多国籍料理店「ぽれぽれ家」経営、南米民族音楽グループ「ワウヘミカンキ」での演奏等。NPO法人「伊賀の伝丸」の立ち上げから参加、副代表理事を務める。
菊山さんへのエール! ポジティブな姿勢とグローバルな視点を持つ、大切な仲間
 この20年間、一緒に活動してきました。私はリスクを先に考えてしまいますが、菊山さんはやるべきだと思ったら勢いよく推進してくれるので、二人三脚で活動を続けることができました。いつもポジティブな姿勢に、とても助けられています。海外経験があり、グローバルな視点で考えられる人。その力を、地域のために還元し続けてほしい。共に活動していく、本当に大切な仲間です。
NPO 法人伊賀の伝丸代表理事 和田 京子さん
NPO 法人伊賀の伝丸
代表理事
和田 京子さん
記事一覧に戻る