日本も元気にするJICA海外協力隊 新潟県

渡部 悟さん

渡部 悟さん 青年海外協力隊
Satoru Watabe

株式会社キタック 水工・砂防部 調査役

【職場】
新潟県
【職業】
会社員
赴任国
ミクロネシア連邦
マレーシア
ミクロネシア連邦、マレーシア
【赴任地】
チューク州/ポルネオ島サラワク州
【職種】
土木設計/河川整備
【派遣期間】
1992年12月~1994年12月/
2005年11月~2008年1月

経験や力を試せる場はある
海外に出て培った
ボランティア精神

二度のJICA海外協力隊参加で学んだのは、社会のために役立つ行動をすること。
今は、地元の人気スポーツイベントを運営するなど、ボランティア活動にも挑戦。
新たな環境に身を置くことで、そこから見える新たな世界を楽しみ続けている。

新たな場で自分の可能性を
飛び込んだボランティアの世界
 工業高校卒業後、新潟市内の建設会社で10年間働いた渡部さん。設計の仕事は板についてきた半面、「外の世界を見てみたい」との思いがあった。そんな時、青年海外協力隊の募集を新聞広告で見つけ、「自分の可能性を試してみたい」と現職参加※を決意。
 派遣されたのは、太平洋に浮かぶ島国ミクロネシア。初めての外の世界に、衝撃を受ける毎日だったという。「子どもたちがココナッツの木に登って実を切り落とし、私に“飲みなよ”と勧めてくるんです」生きる力にあふれた彼らの姿に、学ぶことが多かった。
 土木設計隊員として派遣された渡部さんは、離島同士を結ぶ港や空港の設計を担当。点在する100カ所以上の島を、時には1日20時間かけて調査して回ることも。そんな中、住民のために尽くそうと働く現地同僚たちの姿が印象的だった。当時は、パソコンも普及していない時代。渡部さんは、日本で河川設計の経験はあっても港や空港の設計の経験はなく、同僚たちと猛勉強を重ね、活動に繋げていった。「大掛かりな港湾建設に携わるなど、貴重な経験もできました。でも、何よりの財産は、ホームステイを通じて現地の人たちと交流し、“現地の人と仲間になれた”ということですね」
※所属先の身分を保持したまま、休職してJICA海外協力隊に参加すること。
新たな場で自分の可能性を飛び込んだボランティアの世界
家族、仕事、社会への貢献
災害復旧を機に再び海外へ
 帰国後、復職した渡部さんに転機が訪れたのは、2004年7月に発生した『新潟・福島豪雨』の時だった。河川設計という災害復旧の仕事を任され、家族と向き合う時間が取れなかった。「すると、長男が幼稚園へ行くのを嫌がるようになってしまったんです」社会のためにとがむしゃらに働いたことが、身近な家族にはストレスになっていたのだ。
 後悔から転職も考えたが、そんな時に思い出したのは協力隊の経験。「今度は河川の専門家として活躍したい」40歳の時、シニア海外協力隊として2度目の参加で派遣されたのがマレーシア。当時は家族の随伴※が可能だったため、長い時間を親子一緒に過ごすことができたという。
 河川整備隊員として派遣された渡部さんは、現地で早速調査に取り組んだ。ある時、民族研究が専門の大学教授と出会い、河岸にロングハウスと呼ばれる高床式住居を建てる部族の存在を知る。「河岸侵食により住む場所がなくなってきている」と聞かされ、自分が問題解決の力になれるのではないか、と考えた。その時に思いついたのが、新潟の信濃川河川流域に明治期から伝わる『粗朶沈床』。組んだ木を護岸に敷き詰め、川底が侵食するのを防ぐ工法で、自身も設計に携わった経験があった。
 このアイデアは協力隊の2年という活動期間では実現できなかったものの、現在も現地の同僚たちと情報交換を続けるなど、ライフワークになっている。
※現行の制度では、家族の随伴は想定されていません。
帰国後も続けるボランティア
「利己」ではなく「利他」へ
 帰国後、総合建設コンサルタント会社へ転職した渡部さん。現在、仕事の傍ら2つのボランティア活動に関わっている。
 1つ目が、地元の新潟市内を自転車で巡る『新潟シティライド』での活動だ。若い頃から自転車が好きで、市のサイクリング協会に所属していたところ「サイクリングイベントで街を盛り上げて欲しい」と市から協会へ協力依頼があったのだ。渡部さんは、市内8区約120キロを自転車で走りながら新潟の魅力を楽しむシティライドを提案。2020年からは実行委員長に就任し、2021年で8回目の開催となる人気イベントを仕切っている。「ボランティアスタッフが集まって運営するのは、協力隊みたいでいいですね」
 2つ目が、協力隊のOB会である『新潟県青年海外協力協会』の活動だ。2015年からは会長に就任し、派遣される協力隊員には「現地の人になってきてください」と、はなむけの言葉で送り出す。帰国後の彼らの話を聴けることが何よりも楽しみだという。
 これらの活動の根底にあるのは、2つの途上国で培われた経験。協力隊に参加するまでは、食べるため、家族のために仕事に向き合ってきた。しかし、社会のために自分が役に立つことで、「お互いに協力して生きていける」ということに気づかされた。「自分の経験や力を試せる場は、どんなところにもあります。それを、若い人に伝えていきたいですね」渡部さんは、それが次なるボランティア活動だと感じている。
  • ミクロネシア大使館主催の日本との国交樹立30周年レセプションにて
    ミクロネシア大使館主催の日本との国交樹立30周年レセプションにて。現地の同僚やホームステイ先の家族とは、年を重ねた今も繋がっている。
  •  コロナ禍で2年ぶりの開催となった『2021新潟シティライド』
    コロナ禍で2年ぶりの開催となった『2021新潟シティライド』。当日は職場の同僚も参加し、約400人が市内を疾走した。
  • 国際色溢れ、和気藹々とした職場
    国際色溢れ、和気藹々とした職場。コンサルタント業務はチームワークが重要、会議はコミュニケーションを深める場でもある。
渡部 悟さんProfile
 新潟市出身。高校卒業後、建設会社で10年間勤務。1992年、青年海外協力隊に現職参加。土木設計隊員としてミクロネシアに派遣され、空港や港の設計に携わる。2005年、シニア海外協力隊に再び現職参加。河川整備隊員としてマレーシアに派遣され、河岸侵食問題に携わる。帰国後、50歳で総合建設コンサルタントの株式会社キタックに転職し、水工・砂防部の調査役として従事。
渡部さんへのエール! チャレンジ精神で会社を
引っ張っていってくれる存在
 建設コンサルタントの仕事は、基準書に沿って緻密にやっていくところがあり、細かくて複雑なことに拒否反応を示す人もいます。渡部さんは、そうしたことに対しても前向きなところがあります。まずはやってみようという気持ちには、色々な分野で助けてもらっています。これからも、ぜひ若い人を会社の外の世界に連れて行ってほしいですね。
株式会社キタック 水工・砂防部部長、大塚 秀行さん
株式会社キタック 水工・砂防部部長
大塚 秀行さん
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