日本も元気にするJICA海外協力隊 沖縄県

菅原 耕太さん

菅原 耕太さん 青年海外協力隊
Kota Sugawara

『ももやま子ども食堂』主任

【職場】
沖縄県
【職業】
団体職員
赴任国
マダガスカル共和国
マダガスカル共和国
【赴任地】
パキナカラチャ県マンドゥトゥ市
【職種】
村落開発普及員
【派遣期間】
2007年1月~2009年1月

子どもたちと一緒に生きていく
「子ども食堂」から始まる居場所づくり

子どもの貧困問題が大きな課題となっている沖縄県。
県内初の子ども食堂で働く菅原さんは、子どもたちの生活にそっと寄り添っている。
彼らの生きる力を信じながら、同じ時代を生きる仲間として、彼らの成長を見守り続けるために。

どんな立場の人も
生きる力を持っている
 中学生の頃、青年海外協力隊経験者の体験談を聞き、魅力的な現地の写真と楽しそうに話す隊員の姿が印象に残ったという菅原さん。大学で国際協力を専攻し、社会人経験を経て25歳で協力隊に参加。村落開発普及員としてマダガスカルに派遣された。
 「最初は村人たちの生活レベルを上げようと意気込んでいました。しかし、文化や風習も知らない外国の若者が『こうしたら収入が上がるよ、村が良くなるよ』と提案するなんて、おかしいと思ったのです。彼らは、その土地で昔から暮らし、生活の基盤もあるし、楽しそうでした。外から横やりを入れることはおこがましいなと気づいたことが、僕の中では大きな発見でした」
 将来は国際協力の仕事に就こうと考えていたが、この経験から国内の課題に目を向けるようになる。帰国後は通信制高校に職を得て、引きこもりや不登校の生徒たちと向き合った。「苦労して生きている若者が多いことに衝撃を受けました。そんな10代後半の彼らに対し、何もしてあげられない自分に無力感を感じながらも彼らから学ぶことが多く、夢中になって働きました」
 彼らを尊重し、見守り、伴走しながら、ときどきお節介を焼く。手を差し伸べて引き上げるのではなく、彼らの生きる力を信じて寄り添うスタイルが、いつしか菅原さんの定番となった。
どんな立場の人も生きる力を持っている
子ども食堂の役割
子どもたちへの声かけの難しさ
 30代前半、人生を見つめ直そうと考えた菅原さんは仕事を辞め、母親の故郷である沖縄県に移り住んだ。ある日、「小学生とご飯を食べたり遊んだりする子ども食堂が始まります」という新聞記事を読んでピンときたという。「不登校の高校生と接してきて、もう少し若くて傷の小さいうちから関わりたかった、そんな思いがあったんです」
 2015年、県内で初めて誕生した『ももやま子ども食堂』に菅原さんの姿があった。「ゆいまーる」(助け合いの精神)のある県だが、実は孤食の子どもたちが多い。週1回、一緒にご飯を食べるボランティアベースで始まった子ども食堂は、行政の子どもの貧困対策予算を活用して週5日の稼働となった。「曜日によって年齢層を分け、小学生から高校生まで1日平均10人くらいの子どもたちが、週1回の頻度で通って来ます。一人一人と向き合い、その子の状況を把握するようにしています」
 開所したばかりの頃、教員に「なぜ、毎日通えるようにしないのか、子どもたちが食べられなくてかわいそうだ」と言われたことがあるという。「かわいそうにしているのは僕らだけでなく、社会全体ですよね」と菅原さん。毎日食べられない状況にあるのなら、専門機関に繋ぐべきだと考えている。もし、家に食べるものがないという子がいた場合は「これ持っていく?」「明日、何か届けようか?」という声かけはするが、伝え方は難しい。「小学生であっても遠慮はするし、プライドもある。食べられていない自分をさらけ出すのは結構きついと思うし、それを言わせてしまうことも酷だと思います」
 すべての子どもたちにとって優しい社会を作れないのかと疑問を感じている。
自宅で子ども食堂を開き、
子どもたちの成長を見届けたい
 開所当初、小学5年生だった子どもが高校生になり、今はその子と一緒に、ボランティアで地域のお年寄りを訪れるようになった。「彼は僕の友だちであり、相棒になりました」一緒に活動する仲間が増え、喜びを噛みしめる機会も増えた。
 協力隊時代に培われた「なんとかなるさ」というポジティブさも手伝い、今では自分の家で子ども食堂を開く夢を持っている。「地域の子どもたちに開かれた家にしたいですね。週1回の里親として、みんなの成長を見守っていくのは楽しいだろうなと思います」県には児童館や児童センターが少なく、学童保育の利用料金も高い。子どもに対する施策が乏しいこともあり、子ども食堂は子どもの居場所としてますます注目が集まっていくだろう。
 「子ども食堂はあくまでインディーズバンドです。インディーズにはインディーズの舞台があり、紅白歌合戦には出なくていい。行政が子どもに対する施策をしっかりやることが大切で、それでも拾いきれないところをキャッチするのが僕らの本分だと思います」議員会館に呼ばれて現状を話したこともあり、他の団体と連携することも大事だと考えている。
 「僕は、ここで子どもたちと一緒にご飯を食べ、ベーゴマやけん玉をやりたいだけなんです」子どもたちの生きる力を信じ、一緒に寄り添う菅原さんの活動はこれからも続く。
  • 県内でクリーン活動をしている団体とコラボした清掃活動。中高生と地域をキレイにし、達成感溢れる企画となった。
    県内でクリーン活動をしている団体とコラボした清掃活動。中高生と地域をキレイにし、達成感溢れる企画となった。
  •  地域の庭木に水やりをし、ついにはドラゴンフルーツを収穫。なんでもない、誰でもできることを実施する菅原さんと子どもたち。
    地域の庭木に水やりをし、ついにはドラゴンフルーツを収穫。なんでもない、誰でもできることを実施する菅原さんと子どもたち。
  • 地域のみんなで制作した手作りリアカー。食べ物や遊び道具を積んで走らせる、移動型の子ども食堂を計画中。
    地域のみんなで制作した手作りリアカー。食べ物や遊び道具を積んで走らせる、移動型の子ども食堂を計画中。
菅原 耕太さんProfile
 千葉県出身。大学卒業後、民間企業での勤務を経て、青年海外協力隊員に参加。マダガスカルに派遣され、村落開発普及員として地方村落の生活向上を目指し活動。帰国後、通信制高校の教員として6年間勤務。2015年に沖縄県へ移住、県内初の子ども食堂である『ももやま子ども食堂』のスタッフとして勤務。
菅原さんへのエール! 子どもたちからの信頼が厚く頼れるリーダー
 菅原さんは熱いけれどクールな人です。「子どもだって生きる力を持っている」という考えがベースにあり、誰が解決すべき問題か、支援はどこまでが妥当か、冷静に判断してくれます。協力隊での経験や不登校の高校生たちとの関わりが、今に繋がっていますね。この食堂へ通ってくる子どもの一人が、彼のように海外で活動してみたいと作文に書きました。生き方のモデルになってくれている菅原さんは、ここになくてはならない人です。
『ももやま子ども食堂』 理事長 白坂 敦子さん
『ももやま子ども食堂』 理事長
白坂 敦子さん
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