日本も元気にするJICA海外協力隊 大阪府

宮嶋 愛弓さん

宮嶋 愛弓さん 青年海外協力隊
Ayumi Miyajima

四條畷学園大学 リハビリテーション学部 講師

【職場】
大阪府
【職業】
大学職員
赴任国
ベトナム
社会主義共和国
ベトナム社会主義共和国
【赴任地】
ホーチミン市
【職種】
作業療法士
【派遣期間】
2007年6月~2010年1月

世界中の“障がい”のある
人々を支援し
一人でも多くの笑顔に
出逢いたい

宮嶋さんの活動の源は、ベトナムでのたくさんの出会いと恩返しの心。
自身の経験を伝えていくことで、支援の輪は広がり、深められていく。
公私ともに多忙な日々を送りながら、より良い未来に心を寄せ、活躍の場を広げている。

子どもや外国人に対応できる
作業療法士の育成を
 宮嶋さんが大学の新入生に必ず話すことがある。それは、自身が作業療法士となった経緯と青年海外協力隊での経験。そして、作業療法士が海外で活躍できる仕事であることだ。宮嶋さんの話を聞いて、国際協力に興味を持つ学生も少なくない。
 現在の日本では、少子高齢化のために作業療法士の仕事は高齢者のリハビリテーションが中心だ。しかし、ベトナムをはじめとする途上国では、障がいのある子どもたちを対象にした、発達領域のニーズが非常に高い。「自身の経験を伝えるだけでなく、経験からどのように社会貢献ができるかを常に考えています。子どもにもしっかりと関わっていける作業療法士を育てるとともに、海外に興味を持った学生が一歩を踏み出せるよう、後押しをしていきたいですね」
 宮嶋さんが協力隊として配属されたのは、ホーチミン市の障がい児整形外科リハビリテーションセンター。当時のベトナムには作業療法士がおらず、理学療法士への作業療法の技術伝達と、その環境整備が必要とされていた。
 赴任当初は、子どもたちが泣きながら訓練をさせられている姿に衝撃を受けたという宮嶋さん。子どもの気持ちを尊重し、主体的な訓練にするべきだと思ったが、外部の若い日本人が拙いベトナム語で伝えても受け入れてもらえないと考え、まずは信頼関係を築くことから始めた。日本の方法とは異なると感じても否定せず、作業療法の手段や目的を根気よく示していった。2年間で一番苦労し、難しかったことは、環境面や物理面を変えるより、人を変えていくことだった。「相手への理解と信頼がなければ良いことでも伝わらないことを、協力隊の活動で学びました」
子どもや外国人に対応できる 作業療法士の育成を
楽しんで挑戦する姿勢
現地に受容の心を育む
 現地で受けた、もう一つの大きな衝撃。それは、金銭的な問題などでセンターに足を運べない子どもが大勢いたことだ。そこで、休日を使って郊外に出かけ、支援学校の先生や地域のボランティア、保護者の人たちと関わることで、徐々に活動範囲を広げていった。センターの患者が少ない時は、併設の障がい児デイケアを訪問。寝たきりで過ごす子どもたちのために、発達段階に応じた介助方法などを指導することも試みた。「積極的に外に出ながら、現地の人たちとの関係構築に努めました」
 その土地に溶け込もうとするうちに、現地の人々から受け入れられるようになったと語る宮嶋さん。同僚たちも宮嶋さんの言葉に耳を傾けるようになり、子どもたちも笑顔で訓練できるようになっていった。
 帰国後は、臨床現場でベトナム難民在住地域での訪問リハビリに携わる傍ら、大学院に進学。当初は研究と臨床に専念するつもりだったが、縁があって大学で学生たちに作業療法を教えることに。
 「人を育てることの素晴らしさと楽しさを知り、教育の道へ進むことを決めました。自分が目の前の1人を支援するよりも、作業療法士を100人育てれば、より多くの支援ができる、との想いを胸に教壇に立っています」
たくさんの出会いに感謝
広く深い支援で恩返しを
 勤務先の大学以外でも、専門学校や自立生活支援センターでの講師、ベトナム語の通訳と翻訳、就労支援作業所での支援など、語学や専門性を生かして多忙な毎日を送っている宮嶋さん。周囲からは、フルタイムで働きながら3人の子育てをしていると驚かれるが、ベトナム人から教わった“なんとかなる”の精神で、楽しみながら乗り越えているという。「家族との時間を大切にするのも、ベトナムで学んだことの一つ。自分の人生や仕事が幸せでないと、他人の幸せを考えて支援することはできません。これからも本当の幸せとは何かを考えながら、身の回りの出来事に目を向けて、より良くするための行動を続けていきたいと思います」
 ベトナムでは海外からの支援もあって作業療法士の学校が設立され、昨年初めて卒業生が誕生した。将来は、宮嶋さんが懸け橋となって勤務先の大学と協定を結び、スタディツアーやシンポジウムなど、交流活動をしていきたいと夢を膨らませている。
 「ベトナムで支援してもらえたから、今の私があります。だからこそ、出会う人々への思いやりを忘れず、相手に寄り添う形で、できる限りの恩返しをしていきたいと思います」
 宮嶋さんを動かす原動力、それは、ベトナムでの数々の出会いと感謝の想いだ。
  • 思いもよらないトラブルも全て楽しんで活動した宮嶋さん
    思いもよらないトラブルも全て楽しんで活動した宮嶋さん。「焦らず慌てず諦めず」進めていくことが、自身の成長へとつながっていった。
  • 自身の持ってる専門的な知識や技術を活かしながら患者さんの不安や困りごとに寄り添い支援している
    自身の持ってる専門的な知識や技術を活かしながら患者さんの不安や困りごとに寄り添い支援している。
  • 宮嶋さんの体験談を聞いて国際協力に興味を持つ学生は少なくない
    協力隊へ行く前には考えもしなかった、大学院進学と教育への道。宮嶋さんの体験談を聞いて国際協力に興味を持つ学生は少なくない。
宮嶋 愛弓さんProfile
 大阪府出身。高校時代にベトナムを訪問、障がいのある子どもたちが路上で物乞いする姿に衝撃を受け、作業療法士になることを決意。2007年、青年海外協力隊としてベトナムへ派遣され、作業療法士隊員として活動。帰国後、2度の出産と育児の傍ら、修士号及び博士号を取得。現在、四條畷学園大学で講師として後進の育成に携わるとともに、在日ベトナム人のための活動にも尽力する。
宮嶋さんへのエール! 自身の経験を
人材の育成に役立ててほしい
 常に真摯に、向上心をもって仕事に取り組んでいます。視野が広く、様々な視点から物事を捉えられる方です。普段の仕事ぶりからも垣間見えますが、協力隊の経験は価値観の多様性を受け入れる根幹となり、作業療法士として、対象者を捉えることの幅広さと豊かさにつながっていると感じています。これからも、作業療法士を目指す学生たちに、その貴重な経験をぜひ伝えていってほしいです。
四條畷学園大学 リハビリテーション学部 教授 銀山 章代さん
四條畷学園大学 リハビリテーション学部
教授
銀山 章代さん
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