JICA関西センター物語(11) -さらなるパートナーシップ発展のために- 「世界の人たちへの“恩返し”」

2023年9月12日

JICA関西センターの中には「国際防災研修センター(Disaster Reduction Learning Center : DRLC)1」(以下、DRLC)という組織があります。2007年4月、兵庫県とJICAが共同で設立しました。

兵庫県とJICA双方にとって大変重要なDRLCについて、今回は取り上げます。

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2023年4月、新しくなった国際防災研修センター(DRLC)のロゴマーク。

設立の経緯

DRLC設立の契機となったのは、1995年に発生した阪神・淡路大震災から10年目の節目の2005年1月に神戸市で開催された「第2回国連防災世界会議(兵庫会議)」でした。全世界から168ヶ国の代表が集まり、4,000名以上が参加しました。この会議ではのちに世界の防災戦略の指針となる「兵庫宣言/兵庫行動枠組2005-2015」(HFA)が採択されました。この中で国際協力を通じて開発途上国の災害対応能力、特に災害の予防、被害軽減、備えなどを緊急に強化することが世界の災害被害を軽減するためには重要であることが強調されました。DRLCはこのHFAを受けて設立されたのです。

2007年1月17日に当時の井戸敏三知事とJICAとの間で覚書が交わされました。同覚書の第1条(目的達成への努力)には、次のように記載されています。

「JICAと兵庫県は、(中略)開発途上地域等に対する国際防災協力をより一層推進することに資するため、双方協力して国際防災研修センター事業の実施に必要な努力を行うものとする。」

DRLCのセンター長とセンター次長は、それぞれJICA関西センターの所長と次長が兼務しています。設立以来、兵庫県から職員が常時1~2名、JICA関西センターへの出向の形でDRLCの運営や事業の実施に取り組んできて、現在までに13名の実績を重ねています。二つの組織が協力することの重要性が覚書、さらにその体制からも感じられます。


1 DRLC ウエブサイト:国際防災研修センター(DRLC) | 日本での取り組み - JICA
DRLC Facebook:Facebook

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(JICA関西センターの正面玄関右手にある銘板。ここにも「国際防災研修センター」の名称が刻まれている。)

国際防災研修センター(DRLC)をHAT神戸2、そしてJICAへ

震災とその後の復興を通じて得られた多くの経験と知見を広く世界にも発信し、世界の防災力向上に協力したいという兵庫県の意向は、この国際会議が開催されるずっと前からあったようです。当時の様子をDRLCの設立に深く関わられた元兵庫県副知事の齋藤富雄氏3に伺いました。齋藤氏は、「それは”恩返し”」だと語ります。

「発災直後から多くの国や国際NGOなどから救助隊派遣の申し入れがありました。しかし当初、被災地ではそれを断っていました。言葉も文化も違う。土地勘もない。手間がかかると。日本政府も地元の意向を受け、必要ないと返答していました。しかしそれが世界各国から批判を受けてしまった。方針は変更、積極的に受け入れることとなりました。その結果どうなったか。被災者は大変喜びました。『国際社会が自分たちを支援してくれている』と。そんな彼らの献身的な行動が被災者を大変勇気づけました。国際援助隊が任務を果たして戻るとき、被災者は拍手して、時には涙して見送ったのです。

『恩返しをしたい』。

この地に強い思いが生まれました。」

その思いを遂げる一つの手段がJICAと共にDRLCを作ることでした。ふたたび齋藤氏のお話です。

「国際社会から支援を受ける中、国際社会と一緒に取り組もうという意識も大きく芽生えました。兵庫県は知識やノウハウ、人材を持っていたがそれを国際社会に伝え、国際社会に発信する術がなかった。かねてより開発途上国の人たちに対する防災専門研修を手掛けてきたJICAと、世界の防災、減災に貢献したいという被災地兵庫の熱意が実を結びDRLCが生まれたといえます。」

JICAと共同で組織を設立する上で、何かご苦労はなかったのでしょうか?

「当時のJICA兵庫の幹部にDRLC構想を打ち明けたところ、けんもほろろでした。なかなか本部の幹部の方にもお話をすることができませんでした。やっと機会がいただけ、お話をしても、やはり最初の反応は冷ややかでした」。

当時の記録に、「当初の先方(兵庫県)案は実現困難な内容を包含。(中略)その後、先方から事務的ルートにより、より現実的な修正提案の提出あり」との記載があります。そこから設立に向けた話し合いが始まったことが窺えます。

2006年に内閣府、外務省、国土交通省など関係省庁とJICAの打合せがなされた際、兵庫県からご出席いただいた企画管理部防災企画局企画課長が、以下の発言をされたとの記録が残っています。

「(前略)国際的支援への感謝を込め、昨年(2005年)国連防災世界会議を誘致、開催した。(中略)HAT神戸の各種リソースの効果的な活用を図ることにより貢献できると考える。防災国際センター構想をよりよいものとするため、関係機関のご理解とご協力を賜りたい」。

兵庫県側の「恩返しをしたい」という熱意が、DRLC設立に向けての大きな力となったことが窺えます。


2 神戸市の東部新都心として開発された地区の名称。防災・人道支援関連、国際交流、国際協力機関などが数多く集積している。
3 1996年初代兵庫県防災監。2001年に兵庫県副知事。現在は関西国際大学教授。著書に『「防災・危機管理」実践の勘どころ』(晃洋書房)など。2011年にJICA国際協力感謝賞(現JICA理事長賞)受賞。

ゲストを招いた開所式

DRLCの開所式は2007年5月17日に開催されました。式典には齋藤氏(当時、兵庫県副知事)の他、兵庫県防災監などがご出席されています。また同日に開催された式典イベントのトークショーにはプロゴルファーの古市忠夫氏、俳優でタレントの赤井英和氏も出演されました。古川氏は神戸市長田区出身のプロゴルファーです。54歳の時、阪神・淡路大震災で経営していたカメラ店や自宅などほぼすべてを失いました。還暦を目前にゴルフのプロテストに合格し、その半生を綴った映画『ありがとう』が2006年11月に公開されました。また赤井氏はこの映画で古市忠夫役を演じておられます。

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(正面玄関にて。左から、中瀬憲一兵庫県防災監、齋藤富雄副知事、赤井英和氏、金子節志JICA理事、森川秀夫JICA兵庫センター所長兼国際防災研修センター長。いずれも当時の役職。)

様々な経緯を経て、JICAは2012年、大阪府茨木市にあった大阪センターを閉鎖しました。そして当時の兵庫センターと統合する形で、名称を改めて誕生したのがJICA関西センターです。

兵庫県の人たちの熱い思いで誕生したDRLC。「もしこのセンター(DRLC)がなかったら、JICA関西センターは現在この地になかったのではないか?」と思うことがあります。

次回以降、大阪センターと兵庫センターの統合について取り上げていきます。

JICA関西 地域連携アドバイザー
徳橋和彦