アムコン株式会社業界をリードし続ける
モノづくり精神を実践する
JICA海外協力隊経験者たち

  • グローバル人材の育成・確保
  • 開発途上国でのビジネス展開

SDGsのひとつにも挙げられる世界の水問題。それを裏で支える汚泥処理、水質検査、環境分析、給排水設備メンテナンスなど、専門知識とともに高品質なソリューションサービスを提供しているのがアムコン株式会社だ。当社は、汚泥処理関連装置の分野において、独自の技術で新しい脱水・濃縮機を開発した実績を持つ、業界のリーディングカンパニー。世界77の国・地域で展開する海外事業には、JICA海外協力隊経験者が最前線に立っているという。今回、当社執行役員の井村篤之さんと販売管理本部長の小磯岩雄さんのお二人に協力隊経験者への期待について話を伺った。

社会貢献性が高くても厳しい決断が必要なのがビジネス
コスト意識を持って社会課題に挑んで欲しい
小磯岩雄さん(ヴァルート事業部/販売管理本部/本部長)

弊社は、排水処理設備の維持管理事業で1974年に創業しました。現在は、汚泥処理関連装置を中心に、水処理用薬品や各種環境分析、ビルなどの給排水設備メンテナンスを事業の柱としています。2010年に中国で現地法人を立ち上げて以来、今では世界15の国と地域に販売代理店を構え、グローバルなネットワークを構築中です。

主力としているのが、汚泥の脱水・濃縮機。国内外とも、下水処理場や民間の食品工場、部品工場など、汚泥処理が必要なさまざまな業界で弊社の製品がお役に立っています。汚泥処理に関する技術や製品というのは、もともと海外で確立され日本に入ってきたものです。そこに、革新的な方法で日本生まれの新型モデルを誕生させたのが弊社。この時の思いが、弊社のメッセージである「誰もやらないからアムコンがやる」に込められており、モノづくりへの基本精神として現在に受け継がれています。

一般的に、人々の生活や工場から排出される汚水は、いったん浄化して河川や海に流しています。この浄化の過程で、汚泥という副産物が出るのですが、汚泥の99%は水分。こうした副産物をそのまま廃棄してしまうと土壌汚染の原因となり、焼却処分しようとするとエネルギーコストがかかってしまいます。そのため、出来るだけ水分を減らす必要があるのですが、ここに弊社が独自開発した脱水・濃縮の技術が活かされているというわけです。

かつて、日本企業がどんどん海外へ工場を移転していた頃は、弊社もそれに付随するかたちで、海外事業を伸ばしていきました。その後、現地の企業が成長し、かつ、各国で汚水処理の基準が強化されるようになると、弊社のお客様も日系企業から現地企業へと移り変わってきました。こうした流れのなかで、少しずつ現地の代理店・パートナーを増やし、事業のローカライズを進めるに至っています。まだまだ海外では、法令遵守のためにやむを得ず汚泥処理設備を導入するという企業も多いため、安さだけを求められるということもしばしばです。ですから、代理店・パートナーにもエンドユーザー様にも、弊社製品への理解と信頼をしっかりと持ってもらうことが、海外事業における課題のひとつとなっています。

現在、こうした海外事業の最前線で活躍してくれているのが、協力隊経験者の横井隆宏さんです。採用面接の時、当時進行中だったインドのプロジェクトの話をしたら、目を輝かせて「ぜひ、やらせてください!」と言ったのが今でも印象に残っています。弊社事業の社会貢献性に惹かれて入社した横井ですが、コスト計算がしっかりできた企画書は見事で、感心しました。どんなに社会貢献性が高くても、ビジネスである以上、時には厳しい選択をしなければなりません。横井にはこれが出来ると確信しました。今では安心して海外事業を任せることが出来ています。

執行役員の井村篤之さん(左)と
販売管理本部長の小磯岩雄さん(右)

協力隊経験者は自ら型を破ろうとする“はみ出しもの” “はみ出す”ことが出来なければ海外ビジネスは務まらない
井村篤之さん(執行役員/ヴァルート事業部/事業部長)

JICA海外協力隊のことは昔から知っていましたが、例えば学生時代に自分が参加したいと思ったかと問われたら、そのバイタリティは持てなかったと思います。ですから、自ら挑戦しようと開発途上国へ飛び込み、さらに2年間の活動をやり遂げて帰ってくる。そのことだけでも協力隊経験者は、弊社に限らず今の日本社会にとって貴重な人材なのではないでしょうか。

弊社の求人には、かつてフィリピンのODA事業にも関わっていたこともあって、開発途上国に関心を寄せる人たちが何名かエントリーしてきます。そのなかでも、協力隊経験者と面接して感じるのは、タフな環境で活動を成し遂げた、「自信」に満ち溢れていること。弊社の事業は汚泥処理に関わることなので、実際の現場はクリーンなイメージとはかけ離れています。また、現場がある地域も都市部から離れた僻地がほとんど。こうしたリアルな現状を伝えると、ODAに関心があったとしてもほとんどの求職者は躊躇してしまいます。しかし協力隊経験者は、むしろ困難な環境を望んで挑んでいこうとしますから、逞しさを感じさせてくれます。

世界的な視座で水分野の事業を上水側と下水側に分けた時、上水側の整備のほうが先行される傾向にあります。生活者からしてみれば、口に入る飲み水のほうが死活問題ですよね。しかし、公害というのは下水側で起こります。つまり、”持続可能な社会”という切り口で考えるなら、本来は上水側も下水側も同時並行で取り組むべき課題なのです。そうは言っても企業にとっては、下水側の設備投資というのは利益に直結しないため、優先順位が下がります。環境基準があれば企業は従わざるを得ませんが、本質的に大切なのは環境配慮への意識です。今、弊社の海外事業で直面しているのが、こうした環境コストへの課題意識をお客様に如何に持っていただけるかということ。このあたりは、代理店・パートナーを足がかりにして、弊社の技術や製品の必要性を地道に伝え続けていくしかないと思っています。海外の現状をよく知る協力隊経験者には、ぜひビジネス目線でこの課題に挑んでくれることを期待したいです。

現在、弊社が求めているのは、ひとりで何役もこなせる人材です。例えば、お客様に営業に行った時に現場でトラブルが起きたとしたら、すぐさまスーツを脱いでヘルメットをかぶれるような機動力のある人間。長年の経験で分かったことは、こうした人間というのは、型に収まることを避けて“はみ出そう”とするマインドを持っているということです。ですから弊社では、良い意味での“はみだし者”を大いに歓迎しています。

JICAボランティア経験者から

ヴァルート事業部 横井隆宏さん
(モザンビーク/PCインストラクター/2016年度派遣)

協力隊で鍛えられた現場力
ビジネス感覚で接していても現地を楽しむことは忘れたくない

私は、JICA海外協力隊でモザンビークに派遣されました。帰国後、半年ほどで弊社に入社し、今年で4年目になります。インドでの事業開拓が目的で採用されましたが、現在は国内外問わず、弊社製品の営業やメンテナンスが主な担当です。1ヶ月のうち3分の1は本社を離れて、どこかを飛び回っている生活を続けています。とくに海外へ出る際は長期が多く、昨年の8月からは、2ヶ月半ほどアジア5ヶ国を巡回していました。出張先では、ローカルの交通手段で移動してホテルを探したりしますので、まるで協力隊活動のようです。ただ、PCインストラクターをしていた当時と違うのは、工具箱をいつも抱えていること。出張した国に当社の代理店がある場合は、現地のエンジニアとともにお客様先を回りますが、代理店が無い場合は、見積もりを受けるところから部品の交換まで、私ひとりでこなさなくてはいけません。大変な仕事ではありますが、ある程度一任されて動けるので、やりがいを持って仕事に臨めています。

今の仕事で失敗談はあるかと聞かれたら、枚挙にいとまがありません。実際に現地に行ってみたら、思っていたことと違っていたり、あると思っていたものが無かったり。試行錯誤でなんとか乗り切ってきたことはたくさんあります。私が訪問する先は、ほとんどが開発途上国。そこで起こることは、まさに協力隊での経験ととても似ています。ただ、今は、相手がお金をいただいているお客様である以上、きちんとあるべき姿を示す責任があります。協力隊経験で身につけた現場力に加えて、ビジネスとして成果を残していくことが務めだと、いつも自分に言い聞かせています。

そうは言いながらも、海外では仕事を終えると一気に協力隊の頃に気持ちが戻るのも確かです。現地の料理を手づかみで食べたり、屋台でお酒を飲んだり。やはり、その国のローカルな雰囲気を楽しみたくなる気持ちは変わりません。そんなことをしていたら、現地のお客様に「これまで会った日本人と違う」と言われたこともありました。しかし、どうすれば早く現地の人と信頼関係を築けるかということを身体で覚えているのは、協力隊経験者ならではの強みだと思います。

汚泥処理の機械を扱う現在の仕事は、協力隊時代のPCインストラクターとはまったく畑が違います。しかし、修理する対象がパソコンから機械に変わっただけだと捉えれば、大きな違いはないように思えてきます。コンピューターにしても電気にしても、0か1、NoかYesかで進んでいくものだと考えれば、理解するのはそんなに難しいことではありません。まだまだ半人前ですが、ひとりで動き回らせてもらっているということで、少しは信頼されてきたのかなと感じる今日この頃です。

モザンビークPCインストラクターとして活動した横井さん

生きる術を学んだJICA海外協力隊の経験
現地の人と歩調を合わせられれば安全は作れる

モザンビークでのJICA青年海外協力隊活動を終えた後は、アフリカの開発に関わることに興味があり、NPOへの就職を考えていた時期もありました。しかし、実際にNPOの採用面接を受けて、自分は民間企業のほうが向いていることが分かりました。私なりの解釈ではありますが、寄付に依存するNPOでは活動の選択肢が限られてしまう。他方、企業ならビジネスプランを立てて投資を集めればチャンスを広げることが出来る。私が目指したいのはそこだと思ったのです。

考えてみたら、協力隊に応募した時も、帰国後の進路を見据えて言語で派遣国を選びました。当時は、ブラジル、ロシア、インドなどのBRICsが話題となっていたので、ロシア語を扱うキルギスを第一希望。実際に合格したのはモザンビークでしたが、ポルトガル語を学べることもあり、期待が膨らんだことを覚えています。実際の活動でも、語学は鍛えられました。教育機関に配属されたため、教師である私は、生徒が提出する15ページほどのポルトガル語のレポートを、毎回添削しなければなりませんでした。活動が終わる頃には、生徒の文法の間違いにも気がつくほど、語学は上達したと思います。

協力隊に参加する前、私は大阪にある刃物メーカーで品質管理の仕事を4年ほど担当していました。そこで、生産管理システムを自作したいと考え、プログラミングを夜学で習得。2年ほど頑張ったのですが、その会社でシステムを導入することは認められず、結果的に退職を決意。次の進路として選択したのが協力隊でした。

モザンビークでの2年間は、楽しい思い出に尽きます。細かいことを振り返れば、市場で強盗に狙われたり、見回りの警官から取り調べを受けたり、決して安全とは言えない、怖い思いをしたのも事実です。しかし、こうした経験を重ねたことで、生きる力を鍛えられた気がします。理不尽なことが起こる原因のひとつは、彼らにとって私こそが異質な存在であるからです。現地の人たちとうまく歩調を合わせていくことで、安全は作れるのだということを学びました。以前は人見知りだったのに、自分から人に話しかけられる性格に変わったことも驚きです。いろんな点で、協力隊は私を成長させてくれました。いつか、弊社のビジネスを通して、アフリカに恩返しが出来るような人間になりたいですね。

ヴァルート事業部の横井隆宏さん

※このインタビューは、2023年1月に行われたものです。

PROFILE

アムコン株式会社
所在地:神奈川県横浜市港北区新羽町1926
協力隊経験者:2名在籍

HP:https://www.amcon.co.jp/

 
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