株式会社国際開発ジャーナル社JICA海外協力隊経験者が企業からひっぱりだこ
異文化の人たちと理解し合い、協力できる真のグローバル人材として

  • グローバル人材の育成・確保

日本の政府開発援助(ODA)開始は1954年、今のようにインターネットなどはなかった時代だ。民間企業も含めて海外に出ていく人には、現場の情報が何より重要であり、JICA設立の1974年に先立つ1967年に『国際開発ジャーナル』誌が創刊された。以来、日本で唯一の国際協力専門誌として国際協力に携わる様々な立場の人たちにとって有効な情報源であり続けている。同社は、月刊の『国際開発ジャーナル』誌に加えて『国際協力キャリアガイド』も年1回発行。国際協力が学べる大学および仕事として携われる企業などを広く網羅し、進学および就職先を検討するための情報を提供している。国際協力に携わりたい人向けのイベント主催や人材紹介も業務内容だ。今回、ODAの歴史を振り返りつつ、官民の両方から国際協力に関わり続けてきた代表取締役社長の末森満さんに話を伺った。

日本の地域でも求められる
JICA海外協力隊経験者の力

途上国への国際協力は、ODAと貿易、投資の三位一体で行われます。日本の経済成長とともにODAが大いに伸びていた70年代80年代、この3つの合計の約8割をODAが占めていました。1989年には、ODAがアメリカを抜いて世界第一位となり、90年代後半をピークにその位置は少し後退。現在は貿易と投資が約8割となり、ODAとの立場が逆転しています。

トップドナーだった頃は、JICAだけでODAのプロジェクトを動かせるほどの規模がありました。近年は、そのアプローチが変化しています。途上国の課題を解決するために、他国政府機関やNGO、民間企業などとの連携を重視するようになったのです。ODAに戦略性がより求められる時代になったと言ってもいいでしょう。

日本の国益に資することも、さらに重視されるようになりました。例えば、JICA海外協力隊です。途上国での2年間の経験によって、異文化を理解しつつ、情熱を持って自ら行動できる人材になることを期待されています。地方創生には「よそ者、若者、ばか者」の存在が必要だと言われている中、途上国だけでなく、日本の各地域でも協力隊経験者の力が求められているのです。

弊社は、このような背景を踏まえ、ODAの制度やその実施状況のみならず、民間企業やNGO、地方自治体、大学、国際機関などを幅広く取材しています。そして、日本の国際協力に関する評価や提言も独自の視点で発信し、完全に民間企業である弊社は、この分野のオピニオンリーダーであると自負しています。

代表取締役社長の末森満さん

教育、ジェンダー、環境など
様々な切り口で国際協力の現状と将来を見つめる仕事

かつての協力隊は「組織では働けない人もいる」として日本企業から敬遠されがちでした。実際、芯がある人が多いので、終身雇用と年功序列でチームワークを最重視する企業風土には、馴染みにくかったのかもしれません。

しかし、時代は変わりました。同一業務同一賃金が叫ばれ、業務内容ごとの採用が行われることが増えています。海外進出だけでなく、国内でも技能実習生などが当たり前のように働いている状況でもあります。途上国の実情を肌で知っていて、異なる言語や宗教などを持つ人たちと理解し合って協力できる人材が強く求められているのです。その意味で、真のグローバル人材である協力隊経験者は、ひっぱりだこだと言っても過言ではありません。協力隊が変わったのではなく、日本社会のニーズが変わった結果なのだと観察しています。

弊社に所属する協力隊経験者の吉田さんは、山形新聞で記者としての経験もさることながら、赴任先であるガーナでは、小さい子どもたちへの教育に情熱を持って取り組みました。弊社は、業界経験よりも国際協力への関心と情熱を高く評価しており、吉田さんのような人材を積極的に採用しています。自分なりの主義主張は、ウェルカムです。現場取材を重ねた上で、ODAの問題点などを分析して提言することもできます。

もちろん、JICA海外協力隊には、引き続き注目しています。国際開発ジャーナル誌では「JICA Volunteer’s Next Stage」という連載があり、協力隊経験者を一人ずつクローズアップ。帰国後にどのような社会貢献をしているのかなどを今後の展望を含めて伺っています。

教育への関心を持ち続けている吉田さんには、その分野での企画も考えてほしいと思っています。例えば、全国の学校には外国にルーツのある児童・生徒が増えており、異文化理解を促進できる教員が不可欠です。各校に1名は、協力隊経験者がいる状況を目指すべきだと私は考えています。

教育だけではなく、ジェンダーや環境など、様々な切り口で国際協力の現状と将来を見つめることができるのが弊社の特徴です。情熱がある人、現場取材を厭わない人、イノベーティブに物事を考えられる人にぜひ加わってほしいと思っています。

JICAボランティア経験者から

編集・出版部『国際開発ジャーナル』記者 吉田実祝さん
(ガーナ/青少年活動/2019年度派遣)

人間万事塞翁が馬
コロナ禍で帰国中の就業体験がガーナの学校現場で生きた

私は、山形市出身で、地元の新聞社に勤めた経験があります。学生時代には、一度地元を離れて東京都の大学に進学し、中学校と高校の英語の教員免許を取りました。教育に関心があったことから、アルバイトも小中学生向けの塾講師をさせていただき、なかなかクセが強い人が経営する学習塾でしたが、4年間続けることができました。世の中には、いろいろな人がいるのだと学べた最初の経験です。

また、学生の頃は国際協力にも興味があり、フィリピンで植林を行うサークルに入っていました。1か月間ほど現地でホームステイをしながら、植林だけでなく、他の活動もゼロから学生だけで企画。現地の子どもたちと遊ぶイベントを行ったりしました。

JICA海外協力隊に応募したのは、山形新聞で記者を始めたばかりの頃です。前向きに働けてはいたのですが、協力隊は、やはり面白そうですし、若いうちに経験しておきたいと説明会に参加して感じました。その後、無事に合格し、第一志望で英語圏のガーナで教育支援に関わることが決まったところまでは、運が良かったと思っています。ガーナでのホームステイ先も親切で、美味しい料理を作ってもらっていました。様々なイモを混ぜてつくる主食を辛い味付けで食べるのが、ガーナでは一般的です。トマトとの唐辛子とたまねぎは必ず入っていて、私の口に合う料理でした。

ところが、ガーナに赴任して2か月後、現地の学校が新型コロナウイルスの影響で閉鎖されてしまったのです。私も日本に帰国することになり、オンラインで英語の講習などを受けていました。

すぐにガーナに戻れるだろうと楽観視していたのですが、半年経っても状況が変わらないため、日本の小学校で働かせてもらうことにしました。正式に就業するのであれば、協力隊を辞退しなければいけません。しかし、同じ山形県内の協力隊員が、JICAと教育委員会の許可を得て学校で働いていることを知り、私も教育委員会に直接電話をかけて「(臨時の)講師枠に空きはありませんか?」と尋ねました。

最初の小学校では、1年生を1か月ほど、次の学校では、5年生を半年ほど担任させてもらいました。産休に入った先生の代わりです。それまで私は、塾で子どもたちに教える経験はあったものの、学校で教えるのは、教育実習の経験しかなかったのですが、「担任、やれますか?」と聞かれたら「やってみます」と答えるしかありません。おかげさまで、ガーナに再赴任する前に、人前に立って教えることに慣れました。100人の生徒を前に、ガーナについて紹介したこともあります。

ガーナに再赴任できたのは、2021年の4月です。教育モデル校とされる小学校を指定されましたが、私はいろいろな学校を見てみたいと思っていました。家から歩いて回れる範囲の2校を紹介してもらって訪れたら、「先生がいない教室には入って教えてくれていいよ」とのこと。ガーナは教員が不足していて、そのレベルにも差があります。授業開始時刻になっても、先生が休憩中の教室もあるのです。ガーナの子どもたちは、珍しいものが大好きなので、肌の色が違う私が教室に入るだけで近寄って来てくれます。何度も通って慣れてもらい、英語の授業をしました。

思い出深いのは、日本で教えていた小学校とガーナの小学校でビデオ交流したことです。時差があるので、リアルタイムではつなげられなかったのですが、文化や学校紹介のビデオをそれぞれが作って交換しました。コロナで日本に一時帰国したからこそ、実現できた活動です。

ガーナで青少年活動隊員として活動した吉田さん

プロフェッショナルが読む専門誌という緊張感
毎日が試験勉強のような日々

帰国後は、TOEICの勉強をして、英語力を証明できるようにしてから就職活動をしました。私が興味をもったうちのひとつは、民間の立場で教育に携わることです。デジタル技術を使った教材開発の会社などを探しました。もう一つは、文章を書くことです。東京方面に住み、働くことを希望していた私は、弊社と縁がありました。

仕事をしながら国際協力を深く学べるところに、魅力を感じたのは事実ですが、入社3年目の今は、毎日が試験前みたいに勉強する日々です。新聞記者として働いていた頃は、様々な出来事を一般の人向けに事実に即して書くことが多かったのに対し、『国際開発ジャーナル』はプロフェッショナルに読まれる専門誌。知識も情報もある読者に求められる内容を、調べて書かなければならないので大変です。

協力隊経験者は「行動力がある」と思ってもらえることが多いので、急な出張が降ってくることも少なくありません。昨年の9月には、「来週からタイに行ける?」と上司から声をかけてもらい、2週間ほどタイで取材してきました。現地に詳しい日本人のコーディネーターがいて、きちんと案内してくれたのですが、それにしても急な出張だったなと……。「行けるか行けないか」と聞かれて「行けます」と答えるような出来事が、協力隊に参加してから増えている気がします。

協力隊から帰ってきて就職活動をするときは、JICAの進路相談カウンセラーや各地にいるJICA海外協力隊相談役に相談するのがおすすめです。私は、東京方面の進路相談カウンセラーに連絡をして、職務経歴書を添削してもらうなどのお世話になりました。気になっている企業がある場合も、担当の方に具体的に話すのがとよいと思います。何かコネクションがあるかもしれません。なお、就職活動の際は、弊社が制作している『国際協力キャリアガイド』も活用いただければ幸いです。

編集・出版部 記者の吉田実祝さん

※このインタビューは、2023年3月に行われたものです。

PROFILE

株式会社国際開発ジャーナル社
設立:1934年
所在地:東京都文京区湯島2-2-6 フジヤミウラビル8F
事業内容:国際協力の政策、制度、評価、組織づくり等に関する調査研究、国際協力に関する定期刊行物及び単行本の発行、販売など
協力隊経験者:1名在籍

HP:https://www.idj.co.jp/

 
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